なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

使徒言行録による説教(16)

        使徒言行録による説教(16)使徒言行録4:32-37、
       
・今日の使徒言行録のところには、「信じた人々の群れは心と思いを一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた」と記されています。最初に誕生したエルサレムの教会は、「一つ心、一つ思い」であったというのです。このことは大変素晴らしいことです。互いに思いを異にして、時にはお互いに争い合っている私たちの現実からしますと、新しく生まれた教会に集う人々がすべてを共有して、心と思いを一つにしていたことは、この教会が人間の中に新しい可能性(救いと解放)をもたらすものと言えるかも知れません。

・ところで、この「一つ心、一つ思い」ということで、私たちが忘れてはならないことがあります。それは、これが上からの権威や権力によって統制された一体性という場合もあるということです。かつて私たちの国は天皇制国家のもとに絶対的な統制によって「一つ心、一つ思い」にすべての人が強制的にさせられていました。特に戦時下の時代には、戦争や天皇制に反対する者は治安維持法によって処罰され、拷問を受けたり、獄中で死んでいく人もいました。

エルサレム教会の場合は、どうだったのでしょうか。その点はまだよく分かりませんが、私は紅葉坂教会時代に日曜学校で、「バラバラのいっしょ」とか「みんなちがって、みんないい」(金子みすず)ということばによって、「一つ心、一つ思い」を表現していました。それぞれの違いを認め合った上で一つになっていくという道です。

・さて、この個所と殆ど同じ言葉が既に2章に出ていました。「信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り払い、おのおの必要に応じて、皆がそれを分け合った」(2:44,45)。そして今日の個所は続けて、「使徒たちは、大いなる力をもって主イエスの復活を証しし、皆、人々から非常に好意を持たれていた」(32,33節)と記されています。これがルカによって描かれた最初に誕生したエルサレムの教会の姿です。

・この使徒言行録の記事の前には、当時のユダヤの権力者の脅迫に負けないで大胆に語ることができるようにと信徒たちが祈ったという記事があります。つまり、エルサレム神殿を中心とするエルサレムにおいて新しく誕生した最初期の教会は、イエスの十字架と復活の福音によって立つ集団として、その信仰に基づいて、エルサレムの既存のユダヤ教的な社会と緊張関係にあったということです。既存の社会に抵抗なく同化することはできず、イエス神の国の宣教とその奇跡行為によって、当時のユダヤ社会の中に亀裂をもたらし、人々を神による救済・解放へと導いていったように、最初期のエルサレムに誕生した教会も、そのようなイエスの福音の下に集まった人々だったのです。しかも、その中心メンバーは、イエスと共にガリラヤからやってきた人たちでした。彼ら彼女らにはエルサレムでの生活基盤が希薄だったと思われます。すぐにはエルサレムで仕事を見つけて経済生活を支えることは困難だったと思われます。ですから、エルサレムの教会に集まった人々の中にいたであろう、元々エルサレムに生活基盤があり、地所や家屋を持っていた人たちが、その貴重な不動産を売り払い、それによってエルサレム教会のメンバーの生活を支えたということなのでしょう。この使徒言行録に記されています教会は、「一つ心、一つ思いで」集まり、お互いに助け合う互助の精神にあふれていて、迫害下の厳しい中でも、自らのアイデンティティを失わなかったというのです。

使徒言行録の著者ルカは、聖霊によって神に導かれた教会は、そのような姿を取るのだと、ここで語っているのでしょう。現在私たちが所属しています日本基督教団という教会は、「一つ心、一つ思いで」結びあわされている、今日の使徒言行録に記されていますエルサレムに誕生した最初期の教会とは違って、二つの心、二つの思いによって分裂しているように思われます。

・昨日も清水ヶ丘教会で神奈川教区総会がありましたが、そこでの論議や決議においても、この二つの心、二つの思いによって分裂している教団という教会の現状が露わになっていたと思います。特に「平和を求める沖縄の祈りに連帯し、日本全国の米軍基地強化とオスプレイ配備に反対する声明に関する件」という議案についての議場での論議の中でそのことがはっきりと出ていました。

・ある議員から、この議案にある絶対平和主義の考えでは、現在の世界情勢の中で日本の安全を守れるのか。米軍基地を含む軍備を必要としている現実があるのではないかという質問がでました。それに対して、ある議員の方が、現在の世界情勢の中で米軍基地も必要軍隊も必要という考え方があることは分かるが、私たちキリスト者は和解の使者として、祈りをもって軍事力によらない平和を求め続けて行くべきではないかという趣旨の発言をしました。

・ここには教会とキリスト者は、自らの信仰に基づいて、国家との関係や市民社会の中でどのような道を選び取っていくべきなのかという問題があるように思います。その点で、私たちが属する日本基督教団は、自ら一つを選び取ったというよりも、様々な教派に別れていた諸教会が国家の力によって統一させられて日本基督教団が成立しました。1941年のことです。日本基督教団という教会は、最初から国家や当時の日本の社会との緊張関係を保ちながら、イエスの福音によって「一つ心、一つ思い」に結ばれてできたわけではありません。むしろ国家の要請でバラバラだった教会が一つになったのです。

・私たちの教会は、この日本基督教団の成立における問題、国家の要請に従って日本基督教団が成立したという問題を背負っています。本来教会は、イエス・キリストの福音によって、国家の要請ではなく神の要請によって誕生するものです。その神の要請に応答する人々の群れです。使徒言行録の最初期の教会に集つまった人々も、それぞれイエスの福音による神の要請に応えて集まった人々です。

・「使徒たちは、大いなる力をもって主イエスの復活を証しし、皆、人々から非常に好意を持たれていた」(33節)と記されています。使徒たちとは、エルサレム教会を導いていた人たちですが、彼らは多くの人とイエスの福音を共有するために、言葉で福音を宣べ伝えた人たちです。彼らはそのようにすることによって、彼らに与えられた神の要請に応えていたのです。彼らは神の働きかけによる(聖霊による)内的促しを受けて、それに従って証しの生活をしていたのでしょう。

・34節、35節には、「信者の中には、一人も貧しい者がいなかった。土地や家を持っている人は皆、それを売っては代金を持ち寄り、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に応じて、おのおのに分配されたからである」と、最初期の教会の信者の分かち合いの生活が述べられています。最初期の教会の信者たちの中には、〈土地や家を持っていて十分に裕福な暮らしをしている人々もあれば、その日暮らしに必要なものすら不足する人々もありました。貧しい人々とはたとえば6章に出てくる「やもめ」すなわち夫を失った婦人たちであります。初代教会の裕福な信徒たちは、自分の財産を処分してお金に換え、そのお金を教会に献金し、さらにそのお金は貧しい信徒たちに分配されたというのです。現代のように国家や地方自治体が住民の福祉のためにさまざまな活動を行うということのない時代ですから、教会が愛の働きとして直接にお金の分配に携わっていたというのは、ごく自然なことであったかもしれません。そして、今日の教会がそれと同じようなことをする必要はないでしょう。しかし、それにしても初代教会の信徒の献げものの大胆さは単に時代や社会制度の違いだけで説明できないものがあるのではないでしょうか。すなわち、彼らが財産を処分したということは、自分の生活そのものを神に献げたということを意味しているということです。すなわち自分の住む家や土地を処分して献金すれば、必然的に生活は苦しくなります。神が必要なものを与えてくださると信じて、神にすべてを委ねている人だからできることです。ですから、財産を売って献金した人たちは、単にお金を献げたのではありません。彼ら自身の人生を献げたのであり〉(三好明)、それはまさしく神からの要請への応答です。

・同じことが36,37節のバルナバの物語にも明らかに語られています。「たとえば、レビ族の人で、使徒たちからバルナバ ―「慰めの子」という意味― と呼ばれていた、キプロス島生まれのヨセフも、持っていた畑を売り、その代金を持って来て使徒たちの足もとに置いた」。旧約聖書の時代レビ族は土地を所有しないという定めになっていました。しかし、新約聖書の時代にはその掟はもはや実行されていなかったようです。バルナバがどこにどれだけの畑を所有していたかはわかりませんが、彼は畑から毎年収穫を得てある程度裕福な生活をしていたことが想像されます。畑を売って献金するということは、彼が収入を得る安定した手段を捨てて、まったく新しい生き方を始めたということになります。すなわち、彼はキリストの福音を伝えるために神の要請に応えたのです。

バルナバエルサレムに生まれた最初期の教会の大切な一員となります。彼がした最初の大きな働きはダマスコで回心してキリスト教徒になったパウロエルサレム教会との交わりの中に受け入れたということでした。さらに、シリアのアンティオキアに派遣されたバルナバは、エルサレムから故郷に帰って小アジアのタルソスにいたパウロをアンティオキア教会に招き、アンティオキア教会で伝道のために共に奉仕しました。そこでも「バルナバは立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちていた」(使徒11:24)と記されています。その後、アンティオキア教会はバルナバパウロキプロス島小アジア地方の伝道に遣わします。これが第一回伝道旅行と言われるもので、バルナバパウロは町々でユダヤ人だけでなく異邦人にもイエス・キリストの福音を宣べ伝え、各地にキリスト者の群れである教会が形成されます。

・財産を献げること、多くの人を励まし慰めること、パウロを教会に結び付ける働きをしたこと、まだ福音を聞いていない人々に福音を伝えること、指導者として教会を治めること、このような多様な働きをしたバルナバの根底にあったのは、神の恵みを分かち合うという姿勢でした。

・イエスを信じ、神によって「一つ心、一つ思い」に導かれた者は、他者との分かち合いの生活に導かれていくことが、今日の使徒言行録の記事から私たちに与えられているメッセージではないでしょうか。宗教改革カルヴァンは「聖徒の交わり」とは何かということを解説して次のように記しています。「聖徒たちは、かれらに神が授けたもうたすべての賜物を、互いにわかち合う、という法則のもとに、キリストとの交わりのうちに集められた」(渡辺信夫訳)と。上からの統制によってではなく、イエスを信じる信仰によってそれぞれに内的促しが与えられ、人が「一つ心、一つ思い」を共有し、互いに分かち合う生活へと導かれる道が、私たちに与えられていることを喜びたいと思います。

※この説教の後半部分は、三好明『使徒言行録』の当該個所を参考にさせてもらいました。