なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

使徒言行録による説教(55)

       使徒言行録による説教(55)使徒言行録15:22-35、

・みなさんもご存知のように教会には、いろいろ面倒な問題があって、そのことが、イエスを信じて生きていこうとする者にとって、重荷になったり、負担になったりする場合があります。特に教会に連なる者として、また、自分も教会の構成員の一人として、責任的に関わろうとする人は、人任せにしていくことができませんので、当然その問題の渦中の人になっていきます。そこで悩み苦しみながら、教会がイエスの名によって集まる集まりにふさわしいものとなるように、祈りつつ、自分のできることをしていこうとしていくでしょう。

・けれども、中にはそんな面倒な教会という組織集団に関わるよりも、個人の信仰者として、この社会の中で苦しんでいる人のために働き、平和運動に時間と勢力を注いでいくことの方が、どれだけ意味あることではないかと判断して、そのように行動している信仰者の方も多いと思います。

・私は、そのことを否定しませんが、私自身は牧師の道を選んだ(選ばされた)ということもありますが、それだけではなく、ある面ではこのどうしようもない教会という組織集団に批判的に関わり続けることに、自分の信仰者としての責任的な生き方があると思っています。

・私は、聖書の神の救済の働きは、イスラエルの民を通して、イスラエルの民の挫折後、イエス・キリストを通して、全ての人々に啓示されているということを信じています。

・そしてイエス・キリストを信じて集まっている群れとしての教会は、イエスにおいて実現成就している、全ての人への神の救済の働きに応答する自覚的な集団として、この世に存在していると思っています。このイエスにおいて実現成就している神の救済の働きは、教会が完成させることはできませんが、教会は、この神の救済の働きをこの世で証言していく使命を与えられていると思います。イエスにおいて実現成就している、全ての人への神の救済としての、義と平和と喜びである神の国の完成は、神ご自身によるものと信じています。その終わりの時、完成の時を待ち望みつつ、すべての人へのこの神の救済の働きを証言し続ける、それが教会の使命だと思っております。

・最初期のエルサレム教会やアンティオキア教会による宣教活動によって、段々と信徒が多くなり、その集まりとしての教会もいろいろな地域に誕生していく過程において、エルサレム教会会議が行われ、その会議の結果、「使徒書簡」と言われえる「手紙」がエルサレム教会の代表者によってアンティオキア教会に届けられました。そのことが、先ほど読んでいただいた、今日の使徒言行録の個所で書かれていることです。

・問題は、エルサレム教会の保守派である人々の存在です。この人々は、非ユダヤ人の信徒にも、ユダヤ人と同じように「割礼」を受けさせ、「律法」を守らせるべきだということを強行に主張していたと思われます。アンティキア教会を代表してエルサレム教会にやってきたパウロバルナバらは、非ユダヤ人の信徒に、ユダヤ人のようにならなければならないというエルサレム教会の保守派の人たちの主張を押し付けることはできないと思っていました。この保守派とパウロらとの間で、「激しい意見の対立と論争が生じた」(15:2)ので、この件について協議するためにエルサレム教会会議が行われたのです。その結果「使徒書簡」(手紙)をアンティオキア教会に送ることになりました。そのためにエルサレム教会からは、エルサレム教会の中でも指導的な立場にありました、「バルサバと呼ばれるユダおよびシラス」の2人が選ばれ、パウロバルナバを一緒にアンティア教会に派遣されることになりました(15:22)。

・その「使徒書簡」の内容は、23節以下に記されています。まずエルサレム教会の「使徒と長老たち」が「兄弟として」「アンティオキアとシリア州とキリキア州に住む異邦人出身の兄弟たちに挨拶いたします」という書き出しではじまっています。続いて、「わたしたち(エルサレム教会)のある者たちがそちらに行き、わたしたちから何の指示もないのに、いろいろなことを言って、あなたがたを騒がせ動揺させたとのことです」(24節)と、エルサレム教会会議を行うようきっかけになった出来事に触れています。非ユダヤ人の信徒も、ユダヤ人のように「割礼」を受け、「律法」を守らなければいけないというユダヤ主義者の言動です。次に、エルサレム教会としては、「主イエス・キリストの名のために身を献げているユダとシラスを選び、派遣し、バルナバパウロとに同行させて、そちらに行って、この書簡に書かれていることを口頭でも説明するでしょう」と、ユダとシラスがエルサレム教会から派遣された正式の使者であることに触れています。そしていて最後に、エルサレム使徒会議で決まったことが記されています。「聖霊とわたしたちは、次の必要な事柄以外、一切あなたがたに重荷を負わせたいことに決めました。すなわち、偶像に献げられたものと、血と、絞め殺した動物の肉とみだらな行いを避けることです。以上を慎めばよいのです。健康を祈ります」(28,29節)。

・この「使徒書簡」を託されたユダとシラスおよびバルナバパウロらが、エルサレム教会の人々によって「見送りを受け出発し、アンティオキア教会に到着すると、信徒全体を集めて手紙(使徒書簡)を渡した。彼らはそれを読み、励ましに満ちた決定を知って喜んだ」(30,31節)というのです。この新共同訳の「励ましに満ちた決定」は訳し過ぎで、「「勧めの言葉」(岩波)あるいは「呼びかけ」(田川)と訳されるところです。何れにしろアンティオキア教会の会衆は、この「使徒書簡」を読んで、エルサレム教会の使徒や長老たちからの呼びかけに「喜んだ」というのです。

・この「使徒書簡」で記されています「偶像に献げられたものと、血と、絞め殺した動物の肉とみだらな行いを避けること」は、アンティオキア教会の非ユダヤ人信徒にとっても、彼らを騒がせ動揺させたエルサレム教会の保守的なユダヤ主義者の言動とは違って、異和感なく受け入れられる勧告・呼びかけであったというのです。「偶像に献げられたものと、血と、絞め殺した動物の肉」は、ユダヤ人には宗教的なタブーとしての汚れを意味していますが、非ユダヤ人にとっても、衛生上の理由から、このユダヤ教の食物規定については抵抗なく受け入れられたようです。「みだらな行い」=「淫行」は近親相姦を意味していて、これも非ユダヤ人の信徒にとっては当然にこととして受け入れられたようです。

・前回パウロのガラテヤ人の信徒への手紙2章-10節の、エルサレム使徒会議のことに触れているパウロの理解では、貧しい人への配慮以外にはどんな条件(義務)も負わせられなかったと言われていることを紹介しました。そして、私は、このエルサレム使徒会議の決定事項が、エルサレム教会のユダヤ人信徒の側と、非ユダヤ人信徒の側にいるパウロとで、外交文書のようにそれぞれの側で都合よく理解されたのではないかということを申し上げました。そういう面もあったのではないかと思われますが、それ以前に、この『使徒書簡』の異邦人信徒への呼びかけの内容が、異邦人信徒にとってもそれほど抵抗なく受け入れられることであったのかも知れません。

・「使徒書簡」を託されてアンティオキア教会にやって来たユダとシラスは、「使徒書簡」を手渡し、読み上げて、その役目を果たしました。その後彼らは、しばらくアンティオキア教会に滞在して、預言者としてアンティキア教会の会衆に対し多くの言葉をもって呼びかけ、強めた後、自分たちが遣わされたエルサレム教会に帰っていきました。パウロバルナバもしばらくアンティキア教会に留まり、他の人々と共に主の言葉の福音を告げ知らせた(35節)と言われています。

・さて、このような最初期の教会において、福音理解をめぐって教会会議が開かれ、論争と協議が行われ、「使徒書簡」のようなものがエルサレム教会からとアンティオキア教会に送られるというということの中に、福音とは何かを共に確認して、イエス・キリストにある一致を大切にしている教会の実践を読み取ることが出来ます。パウロもまた、彼の設立した教会や見ず知らずのローマにある教会に「書簡」を送っています。その書簡の中には、コリントの信徒への手紙のように、コリントの教会にある問題、例えば先ほどの「使徒書簡」にも触れられています「偶像への供え物」を食べてよいかどうかという問題や「復活についての問い」への回答のようなものもあります。或いはガラテヤの信徒への手紙のように、パウロの宣べ伝えた福音とは異なる福音を語る人たちが、パウロの後にガラテヤ教会にやってきて、彼らの影響を受けてパウロの語る福音から離れていく教会の人々を諌め説得するような激しい手紙もあります。そのような書簡が新約聖書の中にはパウロ書簡や牧会書簡や公同書簡として相当数入っています。エルサレム使徒会議での「使徒書簡」は、それらの様々な書簡の中でも、教会で最初に出した書簡ということができるでしょう。そしてその書簡が何のために出されたかと言えば、お互いの信仰を確かめ、イエスの福音にふさわしい道を求めていくことであったと思われます。ですから、教会にとって会議やその会議で決められた約束事を全教会に伝達することは、その教会の信仰の一致とイエスの福音にふさわしい教会形成にとっては、極めて重要なことであると言えます。

・ところで、「使徒書簡」のことで思い出さざるを得ないのは、戦時下日本基督教団が出した「日本基督教団より大東亜共栄圏に在る基督教徒へ送る書簡」のことです。日本国家の侵略戦争を聖戦として肯定し、アジアの解放のために共に戦うことを訴えたこの書簡は、日本基督教団の名において出した書簡ですが、当時の日本の天皇ファシズム国家の戦争行為を肯定し、それに協力するもので、アジアの人々とその地の教会、キリスト者に対する犯罪的な書簡と言えます。そういうものを教会の名で出してしまうということに、組織としての教会も、私たち一人一人と同じように、過ちを犯すのです。ですから、私たちは個人としても教会構成員としても、イエスの福音にふさわしい道を求めていかなければなりません。そのためには、イエスご自身が神と人との関わりをどのように生きられたのか、そのイエスの生涯に倣って、何よりも私たちは被差別者・被抑圧者と共に生きられたイエスに従って生きていかなければなりません。そのようなイエスの視座や道ゆきを見失った時に、私たちも教会も、イエスの福音とは違う道に反れて行くことを忘れてはなりません。教会会議が開かれ、使徒書簡のようなものを出すとすれば、それが何よりもイエスの福音にふさわしいものでなければなりません。そのことによって、教会は、イエスの福音を証しし、多くの人々に仕えていくことが出来るのではないでしょうか。