なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(147)

          船越通信癸隠苅掘 。横娃隠看2月16日                
・9日の日曜日の朝は、大雪のために教会の玄関の扉も60度くらいしか開かず、20センチ以上の雪

で庭も道路も階段も覆われていました。先ず外の道路から階段を上がって、船越教会の玄関まで雪

かきをしなければなりません。会堂裏にあるスチールの物置まで行くのも大変です。長靴がありま

せので、水を吸わないビニール靴をはいて、シャベルがないかどうか、物置きに見に行きました。

すると、物置きには雪かきに最適のシャベルがありました。そのシャベルで雪かきをして、とにか

く道路から教会玄関までは雪を踏まないでも来れるようにしました。船越教会に来る自動車道路の

歩道は、追浜側も田浦側も、足跡はついていますが、雪かきはしていませんので、歩く人が滑る危

険性があります。でもそこまでは雪かきをする余裕も余力もありませんでしたので、教会に来る方

に気をつけてもらわなければなりません。雪かきを終えて、マイクやヒムプレーヤーなど礼拝の準

備をし、朝食を済ませて、礼拝の時間を待ちました。最初にH・Sさんが、こういう時こそ近所の住

人が来なければと言って、礼拝にいらっしゃいました。私は、ああこれで今日の礼拝は一人でなく

なったと、密かに喜びました。礼拝が始まる時間にはH・Tさんもいらっしゃり、これで「2、3人

わが名によって集まるところに私もいる」というイエスの言葉のように、礼拝が持てると思い、3

人で礼拝を守りました。

・この日は礼拝後は、懇談とお茶の会もなしにして、すぐに散会しました。私は後片付をして、午

後1時半過ぎに船越教会を出ました。京急田浦まで、歩道にはまだ雪が取り除かれていないところ

もありましたので、滑らないようにと気をつけながら歩いていきました。鶴巻に着いたら温泉にで

も入ってと思っていましたが、鶴巻に着くころには、鼻水が出るようになっていて、どうも風邪を

引いてしまったようです。この週は木曜日鶴巻から船越に移動するまで、じっと鶴巻のマンション

に閉じ籠もっていました。2月11日の2・11集会も、相武台教会を会場に湘北地区の集会に講師と

して関田寛雄先生が見えますので、そちらに参加を予定していましたが、参加できませんでした。

また、13日の水曜日の午後には来客を予定していました、私だけでなく連れ合いも風邪を引いてい

ましたので、お断りして、また別の機会に来ていただくことにしました。そのようにして、何とか

木曜日には船越に移動できるまでに回復することができました。

・13日(木)は、午後6時から寿大賀詞交換会という、寿でははじめての会があり、寿地区センタ

ーを代表して私も参加することになっていましたので、この日はこの会に合わせて、鶴巻を午後4

時過ぎに出ました。私は、この寿大賀詞交換会という会を、寿地区にある様々な運動体が集まって

行われるものとばかり思っていましたが、私の考えていた会とは違って、寿地区全体の町ぐるみの

会でした。当日いただいたプログラムには、「開催趣旨」として、「日々変化している寿のまちの

姿や、近年の地域の歩みについて知り、お互いに交流する場として、顔の見える関係をつくり、地

域のつながりが更に深くなるように『寿大賀詞交歓会』を開催します」とあり、実行委員会には寿

地区自治会をはじめ他7団体とも、寿に関わる公的な団体で、どちらかと言えば、行政との関わり

の深い団体のように思えました。従って、来賓挨拶には横浜市健康福祉局長や中区長の方も入って

いました。主催者側の発表では、その日の出席者は200人以上いたようで、圧倒的に背広を着てい

る人が多く、寿の住民はわずかだったように思います。私のお隣の方は介護福祉の関係で寿で働い

ておられる女性の方で、15年ほどその働きを寿で続けておられるようです。寿の街は高齢化が他の

地域以上に進んでいて、介護の必要な方もが多く、さまざまな介護関係の働きのグループが寿にも

出来ています。それにしても、寿に関わる様々な立場の人たちが、こんなに沢山いるんだと、この

会に出て、改めてびっくりしました。私としては、一人一人の命と生活が、ここに来たら守られる

というところに、寿という街がなって欲しいと願っています。

・14日の金曜日は、午前11時に寿地区センターで用事があり出かけました。12時半頃用事が終わ

り、その日は金曜日でしたので午後1時から炊き出しの配食がありましたが、私の体調がまだ万全

ではないので、炊き出しのボランティアは失礼して、船越に帰りました。その途中に雪がどんどん

降って来て、京急田浦に着いたときには、先日の大雪の残雪がところどころに残っている道路に新

雪が積もって白くなっていました。

・私は裁判の支援会のためにハガキを1000枚船越郵便局で買い求めて、教会に帰る予定でした。と

ころが船越郵便局は小さな郵便局ですので1000枚はないということで、お隣の田浦郵便局に電話連

絡してくださり、田浦郵便局にはあるということで、雪の中をバスで田浦郵便局に行き、ハガキを

買い求めて、教会に帰りました。その頃には、大分雪が降り積もっていて、先週の土曜日の大雪を

思わせるほどでした。この日は、夜に蒔田教会で「合同のとらえなおし」について集会があり、私

も出席するつもりでいましたが、夕方には相当雪が積もっていましたので、その集まりは失礼しま

した。後で聞くところによりますと、この集会は雪のために中止になったということです。2週間

にわたって2回もこのような大雪が降るのは、私の記憶でも遥か昔に思えます。娘が生まれた年

で、私が神学校を出て最初の教会に赴任した1969年には、確か相当雪が降ったと記憶しています。

その前になりますと、私が中学受験した年に、ちょうどある私学の受験日が大雪で、東横線が止ま

ってしまい、電車を降りて線路を歩いた記憶があります。そのため試験の開始時間が延びたように

思います。そのためかどうかは分かりませんが、私はその私学の受験に落ちてしまいました。1953

年のことです。

・15日の土曜日午前中には、支援会事務局長のKさんと、3月29日(土)開催の支援会の集会&

総会のハガキの案内を、ラベルを貼って発送する予定でした。私は前日の夜に、Kさんには無理を

しないでと申し上げておきました。15日朝Kさんから電話があり、交通網が乱れていて、船越に行

くのは難しそうだということで、連絡がありました。私もそうなることを予測して、金曜日夜には

ハガキに印刷をしておきましたので、ラベルを貼って、午後のポストの集配に間に遭うように投函

できました。