なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(359)復刻版

 黙想と祈りに夕べ通信(359)復刻版を掲載します。2006年8月のものです。

 今日はまた雪がちらついています。これから寿に出かけます。

 
      黙想と祈りの夕べ通信(359[-46]2006・8.13発行)復刻版


 お年寄りの方々を病院やホームにお訪ねしたり、見舞ったりしていますと、家族のいらっしゃる

方とお一人の方では心の持ち様の違いを感じます。たとえば老人保健施設と家とを3、4週間毎に

行き来している方がいらっしゃいます。元来物事にはこだわらない、大変楽観的な方ですが、お訪

ねすると、ニコニコしています。見かけるかぎり、ほとんど不安な気持はないように感じられま

す。人間は表面的には分からないものですから、心の深いところでは、不安や痛みがあるのかも知

れませんが・・・。別のもうすぐ100歳になる方は、ほとんど老人保健施設で生活しています

が、時々ご家族の方が迎えに来て、自宅に数日外泊します。ご本人も、なかなかお召しが来ないの

で困る。早く天国にいきたい。天国に行ったら、みんなとまた会えるし、天国は楽しいところだか

ら、いつか先生とも一緒に天国で遊びましょう。などと冗談とは思えない本気でおっしゃいます。

しかし、お世話する家族の方がいらっしゃらない独りの方は、どこかに不安を抱えているのが伝わ

ってきます。先日も入院した方を見舞ったとき、この方はお一人ですが、以前手術した時に病院か

ら誰か一晩付添いの人がいますかと言われて、あわてたことをお話ししていました。完全看護の病

院だから、困ることはないと思っていたが、急遽知人にお願いしたというのです。こういうとき、

一人だと困るのよと。私も、事情があって以前教会の一人のお年寄りを世話したが、家族でない第

三者がお世話する難しさを感じました。その後後見人制度ができたので、その点をはっきりしさえ

すれば、本人との信頼関係の中で支え合うことは可能ではないかと思いますが、むしろお金を払っ

てヘルパーさんを頼むか、公的扶助の中で、一人の方でも困らないようなシステムが必要ではない

かと思っています。

 上記の私の発言に続いて、一人の方からの発言がありました。8月4日で、辺野古のヘリ基地反

対から始まった国会前の座り込みが丸2年経った。今年5月からは月曜日と木曜日だけになった。

米軍再編で辺野古大浦湾の案がどう展開するのか分からないので、国会前の座り込みも停滞気味で

ある。2年前最初に座り込みを始めたときには、警察官や衆議院会館や参議員会館の警らの人が、

どこから来たのかと、責任者は誰かとか、何人とか、声をかけてきたり、壁には何も貼ってはいけ

ないとか、座り込みに対する抵抗が強かったが、今は何も言われない。2年経ったという実績があ

るからなのであろう。通行人へのアッピールも以前ほどはせず、関心を持ってくれる人やカンパし

てくれる人に、こちらから声をかけている。座り込みをしていても、以前ほど張り合いがないが、

辺野古では今でも緊張していて、いつ動きがあるか警戒していると言う。その辺野古で国会前の座

り込みから話を聞いて来たという報告もあるので、そんな時は張り合いが出る。先日も国会前のチ

ラシを観た早稲田の学生が、就職を新聞社にと思っていて、そのために琉球新報のある沖縄に一週

間ほどいくので、時間があったら辺野古に行って来たいと言う。熱心に私たちの話を聞く彼の態度

に、国会前の座り込みの人から紹介されたと言って下さいと言った。飛び込みで辺野古に来る人の

中には、探りを入れるために来る人もいるので、辺野古のテント村では警戒しているからである。

昼の12時から5時まで自分の思いで黙々と座り込んでいることが何を意味するのかと考えることも

あるが、この青年のような人に出会うと、元気が出る。最初に辺野古で座り込みをはじめたおじ

い、おばあは7、8年黙々と座り込んでいたことを思うと、自分も座り込みを継続したいと思う。

 また別の方からの発言がありました。先週の日曜日8月6日は広島、今日は長崎に原爆が投下され

た日だ。その悲惨さを、目的のために手段を選ばない米大統領に伝えていくことは大切である。日

本の側の問題としては、7月26日にポツダム宣言が出ていて、無条件降伏をその段階で当時の日本

政府が受諾していれば、広島、長崎の原爆投下はなかったのだ。戦争犯罪者を裁かないという条件

闘争のために受諾を延ばしたので、広島、長崎の悲劇が起きた。当時の日本政府が問題だった。私

は今日日が東戸塚の駅で東戸塚九条の会のアッピールがあり、カンパし入会した。地元での運動に

参加したいと思っている。