なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想とI祈りの夕べ通信(15)

 昨日日曜日でしたが、船越教会では夕方からバーベキューをしました。毎月一回夜に聖書研究が行われていますが、8月はそれを中止して普段教会に来れない信徒の方と共にバーべキューを、例年行ってきたので、今年もということで計画されました。昨年は4人の参加者だったそうですが、今年は14人の参加があり、にぎやかにバーベキューを楽しみました。現在の船越教会は、第一の日曜日には礼拝後役員会がありますので、比較的教会から遠くに住んでいます信徒の方の出席もあり、礼拝出席は12~13名になります。しかし、その他の主日の礼拝は5~6名の出席でした。しかし、このところ第一以外でも10名弱の出席者になっています。私が4月から船越教会に着任して、8月末までの5ヶ月の礼拝に一度でも出席した方の総数は50名です。古くからの船越教会のメンバーの方から、私のことを「北村さんは人を呼んでくる人だ」と言われています。そん名風にいわれたのははじめてです。私の説教は小難しくて人がきやしない、と言われたことは、一、二度ありましたが、今回のように言われたのは、はじめてです。
 さて、今日は「黙想と祈りの夕べ通信(15)」を掲載します。
 
  黙想と祈りの夕べ
   (通信№ 15 2000・1・9発行)
 
 「黙想と祈りの夕べ」に出席した人は、同じ日曜日に行なわれております主日礼拝と比べますと、大変対照的な雰囲気の集いに感じられると思います。主日礼拝は、公同礼拝として、ひとりの神・ひとりの主イエスの召集を受けて、その招きに呼び集められた一つの民の集いであり、神の民の公的な側面が前面に出る集いのように思われます。ですから、礼拝の式順序にも表れていますように、主日礼拝は、神の側からの働きかけ(招詞、聖書朗読、説教、祝祷など)と人間の側の応答(讃美歌、祈祷、献金など)が交互に折り込まれています。それに対して、「黙想と祈りの夕べ」は、「黙想」によるみことばの思いめぐらしと、「分かち合い」と「祈り」による参加者相互による悲苦・喜悦の共有と神への嘆願が中心になります。神の民の公的な集いというよりは、自発的な参加者による自由な集いと言ってよいでしょう。けれども、私は両者には相互補完という面があるように思います。主日礼拝ではなかなかカバ-できない、礼拝者相互が「共に苦しみ、共に喜ぶ」共同体の一員として成熟するには、「黙想と祈りの夕べ」のような集いが必要ではなかと思うのです。
 2日の「黙想と祈りの夕べ」の「分かち合い」では、痛みを抱えて歩む若い諸兄姉のことを特に覚えました。入院している兄弟が二人います。
 さて、「黙想と祈りの夕べ」でも時々野宿者のことが「分かち合い」や「祈り」の中で覚えられます。私は、この年末年始の寿の越冬に2日、午後3時半頃から夜のパトロ-ルまで参加しました。1月3日のパトロ-ルの前に行なわれた交流会での話し合いには、支援者(?)だけでなく、日雇い労働者やプレハブ宿泊者も加わり、相当厳しい問いかけと応答がありました。そこでは極めて本質的な問題が提示されたと思います。「ひとりの命も失わないために」というスロ-ガンで行なわれている越冬闘争において、ドヤにいる障がい者の方が切り捨てられているのではないかという主旨の問題提起が一人の方から出されました。また論議の中で、問題は、私たち一人一人がどういう社会に生きたいのかということではないのか。毎冬路上で死んでゆく人が断たないような社会に生きていてよいのか。そんな社会で生きたくなかったら、自分はどうしたらいいのか。越冬に参加して学んだことを、自分の日常の場で自分が関わる他者との間でどういう質の関係を築いていったらよいのかという課題を追求して欲しいという主旨の発言がありました。私は、その場にいながら、はじめて越冬闘争の本質を垣間見させてもらったように思いました。すべての社会的な運動に言えることかもしれませんが、運動の目的は、ノルマの消化ではなく、その運動を通した主体性の獲得ではないでしょうか。運動が厳しく、担うべき事柄が重く、仕事も多ければ多いほど、ノルマの消化にどうしても心が奪われがちです。その結果、現実社会の矛盾を止揚するための運動が、現実社会の矛盾の補完ということになりかねません。そこにすべての社会的な運動のアポリア(難問)があります。このアポリアを抱えながら、越冬闘争は、その参加者に問いかけているように思われます。「あなたはどんな社会に生きたいのですか。そのためにはどうすればいいのですか」と。
 教会も現実社会の中に組み込まれています。けれども、福音は現実社会を超えて私たちに語りかけています。その狭間で教会は、どのように福音にふさわしく自己形成をしてゆけるのでしょうか。