なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(76、復刻版)

 昨日は連れ合いと渋谷のオーディトリウムで上映しています「“私”を生きる」という映画を観てきました。この映画のパンフレットの表紙に、この映画の内容を示す言葉がありますので、それを紹介します。「東京都の教育現場で、急激に”右傾化“が進んでいる。卒業式・入学式で『日の丸・君が代』が強制され、教師たちの言論は、厳しく統制されてきた。その『教育の統制』の巨大な流れに独り毅然と抗い、”教育現場での自由と民主主義“を守るため、弾圧と闘いながら、”私“を貫く教師たちがいる」。この映画では、卒業式・入学式での「君が代」斉唱での不起立に対する処分をはじめとして、11回の懲戒処分を受けた根津公子さん、信仰上の理由で君が代伴奏を拒否した佐藤美和子さん、学校の言論の自由と非常勤講師不合格について損害賠償を求め訴訟中の土肥信雄さん(校長)の3人の生き方がテーマとなっています。私はこの映画を観て、まず3人の方々が自然体に感じられたのが、自分としては最初意外でもありました。しかし、よく考えて見るとなるほどと納得できました。この3人の方の教育現場の右傾化に対する抵抗は、それぞれご自分の存在を否定するものへのやむにやまれない抗いのように思われたからです。特に根津さんと佐藤さんの場合には、それが根底にあるように思えました。ですから、インタビューに対するそれぞれの応答が、体のどこにも力が入っていないように感じられるほど自然でした。こういう方がいらっしゃるということに、私は希望を与えられました。

 今日は「黙想と祈りの夕べ通信(76、復刻版)」を掲載します。 

         黙想と祈りの夕べ(通信 76[-24] 2001・3・11発行)

 先日一人の若い牧師から電話がありました。彼とは寿の活動を通して知り合いました。彼は今年4月から日本キリスト教団の関西のある教会に赴任することになったので、私に報告のつもりで、電話してくれたのです。さて、以前彼と話したときに、彼から教えられたことですが、彼は、柄谷行人らの運動、NAM(New Associationist Mouvement)、日本語で言えば「新連合主義運動」に関心をもっています。最近柄谷行人編著『原理』(太田出版)が出て、この運動について書かれていますので、NAMに興味ある方はぜひお読みください。この運動は資本と国家の枠組みに取り込まれないで、資本と国家に対峙する運動、人間の生き方は何か、という問題意識から生まれたものと思われます。しかも一人から、一人一人の連合によって可能な運動として考えられています。たとえばNAMでは、非資本主義的な(利潤追求を目的としない)消費-生産の形態を作り出そうとしています。また現在の貨幣に代わる地域通貨の発行による互酬制交換の輪の広がりを作り出そうとしています。組織については、組織の権力志向、官僚化を排するために、地方分権とくじ引き制が考えられています。彼は、この運動を教会を場にして出来ないものかと考えているようです。そして将来は、牧師給も地域通貨でもらえるようにしたいと、話していました。私も以前からイエスの運動は、現代的に言えば国家と資本の桎梏を超える運動だと思っていましたので、問題意識としては彼に近いと思います。ただ方法論は、私の場合国家と資本のイデオロギ-としてのキリスト教批判という方向で考えてきました。ですから「自立と共生」は、国家と資本のイデオロギ-に取り込まれない形での可能性を考えて来ました。しかし、私の考えは、どうしても意識の変革に強調点があり、運動として生活への広がりに欠ける傾向があると思って来ました。彼から教えてもらったNEMは、その点で違うように感じています。いずれにしろ、彼のような若い牧師がいることは嬉しいことです。

 上記の私の発言に続いて、一人の姉妹が、3月3日に当教会で開かれた「外キ連」(外国人登録法反対キリスト者連合?)集会での講演を聞いて考えさせられたことを話されました。「在日一世と介護保険」についての講演だったが、日本に在住する在日一世の方々が日本の国の社会保障からいかに切り捨てられているかを知らされた。国民年金は25年払わないと受けられないが、年数が足りないで受けられない在日一世のお年寄りがいる。同じ条件でも日本人のお年寄りには救済措置があったが、在日一世の人にはない。収入がゼロで、介護保険も支払えず、当然介護保険も受けられない。日本の国は日本人だけで構成していると考えており、外国人を帰化させようとする。その点、スエ-デンは開かれている。スエ-デン在住の日本人の子供たちは、日本語を習いたいと希望すれば、それが保証され、スエ-デン語を習いたいと希望すれば、それも保証される。スエ-デンという国はいろいろな人によって構成されている国だからという。日本の国も他民族国家になりつつあるのだから、開かれた国でなければと思う。自分自身も今回お話を聞かなければ、分からなかったので、もっともっと学び、多くの民族の人たちと交流したい。利用するだけ利用して、排除するようなことがあってはならない。

 また、一人の姉妹は、アフリカの国へ仕事で行っていた息子さんが無事帰って来たことを感謝すると言われた。