なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(224)

 しばらくこのブログに掲載記事を載せることができませんでした。夏期休暇だったこともありますが、

支援会の作業が重なって、ブログに記事を掲載する余裕がありませんでした。やっと一段落しましたの

で、ここに「船越通信(244)」を掲載します。


            船越通信癸横横粥 。横娃隠鞠8月16日  
  

・私は8月11日(火)~17日(月)、25日(火)~31日(月)夏期休暇になっていますので、この通信も

一週間の行動を書くことはできませんので、今回は船越通信癸横横欧虜埜紊如⊆々罎法△判わっている

8月1日の講演会での小倉利丸さんの講演から教えられたことを、ここで書いておきたいと思います。その

点については、8月2日の説教でも少し触れましたが、改めてここで展開してみたいと思います。

原発反対や戦争法案反対の運動は、当然原発事故を引き起こした東京電力とその背後にあるエネルギー

政策を進めてきた政府やそのイデオローグたちへの批判であり、また集団的自衛権の行使によって戦争の

できる国造りを進めている安倍政権への批判という面を当然持っていますが、それだけではなく、同時に

批判する私たちの中にどのような社会をめざすのか、或はどのような社会を作ろうと考えているのかとい

うことで、イメージを明確に持つ必要があるのではないか。そしてそれに向かて、様々な障害や抵抗を乗

り越えて主体的に生きていくことが出来るかどうかに、私たちの運動が、ただ運動することだけではなく、

新しい歴史を作り出せるかどうかがかかっていると思うのです。以下は国会前の抗議行動に参加するよう

になっている大学生の運動SEALDsのホームページからの引用です。

・<私たちは、自由と民主主義に基づく政治を求めます。SEALDs(シールズ:Students Emergency Action

for Liberal Democracy - s)は、自由で民主的な日本を守るための、学生による緊急アクションです。

担い手は10代から20代前半の若い世代です。私たちは思考し、そして行動します。

 私たちは、戦後70年でつくりあげられてきた、この国の自由と民主主義の伝統を尊重します。そして、

その基盤である日本国憲法のもつ価値を守りたいと考えています。この国の平和憲法の理念は、いまだ達

成されていない未完のプロジェクトです。現在、危機に瀕している日本国憲法を守るために、私たちは立

憲主義・生活保障・安全保障の3分野で、明確なヴィジョンを表明します。 日本の政治状況は悪化し続

けています。2014年には特定秘密保護法集団的自衛権の行使容認などが強行され、憲法の理念が空洞化

しつつあります。貧困や少子高齢化の問題も深刻で、新たな生活保障の枠組みが求められています。緊張

を強める東アジアの安定化も大きな課題です。今年7月には集団的自衛権等の安保法整備がされ、来年の

参議院選挙以降自民党改憲を現実のものとしようとしています。私たちは、この1年がこの国の行方を左

右する非常に重要な期間であると認識しています。いまこそ、若い世代こそが政治の問題を真剣に考え、

現実的なヴィジョンを打ち出さなければなりません。私たちは、日本の自由民主主義の伝統を守るために、

従来の政治的枠組みを越えたリベラル勢力の結集を求めます。そして何より、この社会に生きるすべての

人が、この問題提起を真剣に受け止め、思考し、行動することを願います。私たち一人ひとりの行動こそ

が、日本の自由と民主主義を守る盾となるはずです。>

・70年の学生運動が沈静化し、少数のセクトの運動はほとんど社会に発信力を持たなくなっていましたが、

ここにきてSELDsのような大学生や、先日渋谷で行われた高校生たちが運動に加わってきています。今まで

ほとんど政治に関心を向けなかった大学生や高校生が政治にも関心を向けていることは、それ自身は喜ば

しいことです。ただ、小倉さんも言っていましたが、大学生にとっては就活がネックとなっていて、政治

に問題意識を持った大学生も就活で思想信条までもチェックされるところがあって、例えばツイッター

の自分の発言を削除してほしいと言ってくる学生もいるということです。大学生や高校生は、これから社

会人となってこの社会を生き抜いていくわけですから、就活で自分の希望するところに就職できないと、

将来不安定な生活を強いられることになるかも知れないわけで、彼ら・彼女らにとって就活は非常に大き

な関門になっているに違いありません。就活を乗り越えて、問題意識を持続させて、運動を続けていくた

めには、例え不利な条件でしか働けなくとも、自分はこれに賭けるのだという覚悟と、彼ら彼女らにその

覚悟をもたらす、運動がめざす高い理念と目標が必要ではないでしょうか。そのためには国家を超える思

想、国家を前提としない社会の構築をめざす必要があるのではないでしょうか。

・しばらく前にネグリ・ハートの『帝国論』が注目されたことがあります。ちょうどソ連邦崩壊後アメリ

カが世界で唯一の帝国国家になった頃だったと思います。ネグリ・ハートは覇権的な帝国主義的国家に対

して、それに抵抗する民衆をマルチチュードと言って、そのマルチチュードの運動に希望をかけるような

ことを言っていたように思います。ところが、その後中国の台頭やロシアの復権リーマンショックによ

アメリカの衰退などが重なって、すっかり『帝国論』の陰が薄れてしまったように思われます。ただ小

倉利丸さんの講演を聞きながら、現在の国民国家の枠組みをはずして、国家や民族、或は資本を超えて人

が人と繋がり合う関係の構築に未来がかかっていることは確かなように思いました。戦争法案に徹底的に

反対し、軍事力によらない世界の平和を求めていくためには、日本の国家をさえ相対化し、国家の無い社

会をめざすことになるのではないかと思うのです。その過程において他国に私たちが侵略されることがあ

ったとしても、その侵略に耐えて、人と人とが繋がる平和な社会の構築にかけていくだけのものが私たち

には必要なのではないでしょうか。現実の歴史の中で、そのような私たちのめざす世界が実現できるかど

うかは分かりません。おそらく資本が食らいつく資源がこの自然界や人間社会の中に乏しくなっていった

ときに、国民国家もまた弱体化して、国家や民族を超えて人と人とが繋がる可能性が開けてくるのかも知

れません。しかし、そういう状況になったときには、人類と地球滅亡という破局が近づいていることにな

るかもしれません。そうならないためにも、世界大で人と人とが繋がる平和な社会の構築が望まれていま

す。そもそも公同教会とは、そのような世界大の平和な共同体なのではないでしょうか。原発反対や戦争

法案反対の運動において、そのような公同教会としての教会の責任と課題も大きいと言えるのではないで

しょうか。