なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(548)

船越通信、№548 2023年1月8日(日)北村慈郎

 

  • 1日(日)は、0時30分ごろに礼拝式及び説教原稿他を配信し、それから寝て、この日の朝は遅めに起きました。この日は1月1日で2番目の息子も来て、お昼に娘と三人でお雑煮とおせちを食べることにしていましたので、午前中に私は独りでメール配信による礼拝式によって礼拝をしました。息子が鶴巻のマンションに着くのは12時過ぎるというので、私と娘でお雑煮とおせちを食べ始めましたが、しばらくして息子も到着して、3人でお正月の食卓を囲みました。この日は穏やかな日で、天気も良かったので、午後には娘と二人でこの年初めての散歩に出ました。田んぼが広がるところでは、凧揚げをする三組の子供とお父さん(お母さん)を見かけました。安定して上がっている凧の糸を操る子供と、何度も試みても、上がっては、すぐ落ちてしまう凧と格闘している親子が、お正月の風景として私たちの目に映りました。田んぼを左手に見ながら、まっすぐあじさい道路の川の土手までいき、その土手を歩いて大根公園で一休みして帰ってきました。何時もより短めの距離でしたので、これで大体6,000歩になります。この日は夜すき焼きをして、息子はそれを食べて帰って行きました。娘は4日までいて、4日の夜に帰って行きました。個人的には、クリスマス前後からしますと、新年の一週間はゆったりと穏やかな日を過ごすことができました。
  • それでも、2日、3日と、年末に送った支援会の通信第30号の原稿をSさんが編集してくれて、第一稿の校正、第二稿の校正をしました。第一稿の校正では、2日でしたが、支援会の事務局員をして下さっているOさんにもお願いし、すぐに校正メモをおくってくださいました。第一稿は、Oさんの校正と私の校正を加えてSさんに送りましたが、第二稿は私のみで行いました。後は第二稿の校正を確認すれば、Sさんに印刷に出してもらうだけです。支援会では、16日(月)と17日(火)に船越教会で昨秋開催の教団総会会期中に行った支援会の全国交流集会の報告がメインの通信第30号に2月4日(土)に開催する第4回全国Zoom懇談会の案内と共に約900人の支援者と、約1,700の全国の教会・伝道所には、通信第30号に前号の通信第29号も入れて発送することにしています。
  • それに私が個人的に、1月5日付で、私が戒規免職処分を受けて12年になりますので、世代交代でその経緯がお分かりにならない方もいると思いますので、第42回教団総会で選ばれた新しい三役。常議員30名と各教区議長宛てに、私の戒規免職処分の不当性を訴える手紙を出しました。その中には、教師委員会による私の免職処分に至る、教師委員会の戒規に関する内規の改定前と改定後のもの及び当時の常議員7名による私を戒規にかけるように教師委員会に出した申立書も(以上は裁判で、教団側から証拠書類として出されて、私もはじめて手にしたものです)、信仰職制委員会に対する諮問と答申、教師委員会の調査員会からの私宛の面談要求の3回の手紙と、それに紅葉坂教会役員会が信仰職制委員会に出した諮問の答申が出るまで、面談は待って欲しいという、教師委員会に対する私の3回の手紙などを、資料として入れました。またT・Nさんが私の戒規免職の問題を要領よくまとめて下さったパワーポイントの原稿が掲載されている通信第29号も入れました。この作業をするために、電源が入らなくなった印刷機の修理に来てくれる日になっていました、6日(金)午前中船越教会に行きました。印刷するものがあったからです。ところが、修理の人が印刷機を見てくれましたら、ちゃんと電源が入り、修理は必要ありませんでした。この時NさんとT・Tさんが教会に来ましたので、新年の挨拶をしました。二人が帰った後、作業をして、お昼前には終わり、深浦工業団地の中にあるヤマト運輸の配送所に寄って、鶴巻に帰ってきました。
  • さて1月1日の東京新聞に、「コロナ禍やロシアのウクライナ侵攻、エネルギーをはじめとした物価高…。次々と新たな危機が訪れる時代」への『人新生の資本論』を書いた斎藤幸平の提言が載っていました。斎藤は、「身近なところで議論するのが民主主義の第一歩。正月に実家に帰省すると、親戚が集まる中、女性は台所で準備や片付けをしているのに、男性は酒を飲んでいるという場面がよくあると思う。そこで、『みんなでやりましょうよ』と言うことから始まる民主主義もある。/一見すると政治とは違うが、全く違うかというとつながっている問題。家族でも仕事場でも民主主義の芽生えはある」。「民主主義というと選挙の時に投票するとか、政治家への陳情、デモ、社会運動など政治的な領域に限定しがちだ。政治の領域はもちろん大事だが、私たちの日常はほとんど働いている。この時間に、自分の自由な意思の表明や同僚と意思決定をして運営するという民主的な手続きをどれだけ踏んでいるであろうか。/単に言われることをやるという受動的なマインドでは、職場の民主主義は育たず、政治における民主主義も育たない」。「…また、気候変動など大きな問題に対しても、時間がかかったとしても日常的に考えたり、他の人と話したりすることを通じて、多くの人の納得や理解が得られなければ、解決にはつながらない」と言っています。もっともなことだと思います。政治的な運動に力を入れている人の中で、家族や職場の人間関係を民主的に取り結んでいるかが問われているのだと思います。政治的運動に熱心な人が、職場関係や家族関係において専制的な態度をとるということも、ないとは言えないからです。そのことを思うと、私たちの現在の日本基督教団は、常議員の全数連記による選挙方法一つとっても、民主的な集団とは言えません。選ばれた常議員による常議員会でも、傍聴している支援会事務局長のKさんの話を聞く限り、意見を言うのは教区総会議長で、ほとんどの常議員は「単に言われたことをやるという受動的なマインド」の人が多いようで、常議員会がとても民主的とは思えません。教会に限ったことではありませんが、現在のような困難な課題が多い時代には、余計に話し合いによる多くの人の納得と理解を得ることが大切なのではないでしょうか。斎藤の『人新生の資本論』では、そういう行政運営をしているところが、スペインのバルセロナをはじめ世界の各地の都市に起きていると記しています。杉並区長岸本聡子さんもそのような区運営をされることを期待しています。