なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(42、復刻版)

 10年以上前の「黙想と祈りの夕べ通信」を読んでいて、その当時のことを想い起すことがあります。下記に記してありますホームでパニック状態になって入院した方については、牧師生活42年の中で、おそらく最も時間をかかけて関わった方だと思います。事情があって、身元引受人として今でいえば私が後見人のような役割を果たしましたが、約1年間週に2,3度その方を訪問し続けました。最後は病院で召されましたが、教会で葬儀をし、お骨は夫と子どものお骨と共に教会の墓地に埋葬しました。
 いろいろな弱さを負って痛み苦しんでいる方との関わりは、下記で一人の姉妹が適切な言葉で言っていますように、「一緒に空気を吸うこと」に尽きると思います。また、私たち自身、「一緒に空気を吸ってくれる」人が一人でもいれば、どんなに大きな慰めでしょうか。
 今日は、「黙想と祈りの夕べ通信」(42、復刻版)を掲載します。
  
黙想と祈りの夕べ
   (通信 42 2000・ 7・16発行)

 私は紅葉坂教会に着任してから、病気や高齢で教会に来たくても来れない諸兄姉の訪問・見舞を続けています。特に家族と一緒の生活ではなく、病院やホ-ムに入っている方々の所に行くようにしています。このような諸兄姉への訪問・見舞は、ある意味で牧師としての当然の牧会的働きと言えましょう。そして役員会では毎月報告していますし、オリ-ブの会(年長者の昼食会)や「黙想と祈りの夕べ」では、少し詳しく個人の消息をお話する場合もあります。このことに、私は主に二つのことを考えています。一つは教会という「キリストのからだ」の肢体として、病気や高齢の諸兄姉のことをいつも覚えていたいという願いです。もうひとつは、教会はそのような弱さや痛みを抱えている諸兄姉のために祈る交わりではないかと思うからです。
 最近も一人の姉妹のことで姉妹が生活しているホ-ムを集中的に訪問することがありました。彼女は体力の衰弱もあってでしょう、今までのホ-ムでの生活が困難になって、パニック状態になりました。ホ-ムの介護者の方も、このままではホ-ムでの生活が難しいということで、結局病院に入院するようになり、私が身元引受人をしていますので、その手続きを取り、入院させました。私は、前回の「黙想と祈りの夕べ」の「分かち合い」で、その姉妹のことをお話し、また教会に来たくても来れない多くの病気や高齢の諸兄姉を覚えて祈っていただきたいと申し上げました。
 続いて一人の姉妹が、教会員の中には会員の弱さについて報告を時には聞きたくないという方もあることを話しました。中にはいつか同じような状態になったときに自分のことも報告されるのが恥ずかしいという思いの人もあったり、また厳しさや弱さという人間のマイナス(?)な面は聞きたくないという方もあるようです。彼女は、そのような個々人の思いも大切にしなければならないが、弱さや厳しさという現実を直視して、互いに祈り合う教会でありたいと付け加えました。
 私も、諸兄姉に関する私の報告に、中には耳をふさぎたいという反応があることを承知していますが、話せることは出来るだけ話してきましたし、これからも情報をお互いに分かち合って、共有できるところは共有したいと思っています。
 「分かち合い」では、一人の姉妹が、先月久しぶりに会った友人のお話をしてくれました。その方がヤカンをかけたガスの火を止めそこなって、ヤカンを真っ黒こげにしてしまった話をしてくれ、お互いに年を取りましたが、ザックバランな関係もよいものだと思ったというのです。そういう人ばかりではないがと。また4年前に香港から3年間の学びを兼ねて、日本に派遣された伝道者のお話を聞く機会があり、小さな教会だが一人の姉妹の心に響くお祈りに、驚きと喜びを感じ、私もそのようになりたいと思ったと。
 また別の姉妹は、ヘルパ-として訪問している白血病の方が、クリスチャンではないが訪問にくる沢山のヘルパ-さんに力を下さっていたが、最近は痛みがひどくなり、本当にきついということが伝わってくるようになった。自分はその方の傍らにいて、何も出来ず、ただ一緒に空気を吸うだけだ。そいうことが続いているので、今年の夏には「障がい者と教会の集い」に出て見たいと思い、参加を申し込んだと話してくれました。
 私も何度も同じような体験をしていますが、ひどく痛む他者の傍らに立つ者のできるほとんど唯一のことは、姉妹が言うように、「一緒に空気を吸うこと」なのかも知れないと思いました。