なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

父北村雨垂とその作品(43)

 この4年半とう時間が、日本基督教団との関わりにおいて私にとって何であったのかを問い、それを明らかにする意味もあって、私は戒規免職処分を不服として裁判をすることにしました。その裁判がいよいよ本格的に始まろうとしています。明日「北村慈郎牧師を支援する会」から全国の心ある方々(含教会伝道所)へ裁判支援のお願いを発送いたします。発送作業がすみましたら、このブログでもご支援のお願いをしたいと思っています。

今日は「父北村雨垂とその作品」(43)を掲載します。

父北村雨垂とその作品(43)

以下の父の作品も主題があり、前にも掲載してありますが、その句を読み比べて見ますと、微妙に違いますので、ここに掲載します。多分今回の方が推敲以前の句ではないかと思われます。

“妻”

妻は鏡に空気の抜けた乳房
妻の欠伸に天井と壁があるのみ
妻よ夢を抱け青空でも歩け
妻の手のあかぎれ街の口紅
妻はおのが子守唄でいつしか寝たよ

 “風”

第一部

風が時計の振子を笑ってる
風が魔法使ひの手先きを笑ってる
風が天才の行為を笑ってる
風が貸衣裳屋のそろばんを笑ってる
風が地球の心臓を笑ってる

第三部

風が時計の残骸に泣いてゐる
風が魔法使ひのミイラに泣いてゐる
風が天才の白骨に泣いてゐる
風が貸衣裳屋の破産に泣いてゐる
風が地球の枯れた産毛に泣いてゐる

第弐部

風が時計のぜんまいと握手してゐる
風が魔法使ひの道具と握手してゐる
風が天才の感情と握手してゐる
風が貸衣裳屋の衣裳と握手してゐる
風が地球の觸角と握手してゐる


“顔”

第一部

井戸の青空で顔が系図を獨語した
俺が見たいと顔が心臓に獨語した
俺が居ないと顔が鏡に獨語した
オオ兄弟と顔が小砂利に獨語した
感情の狡智と顔が落輝に獨語した

第二部

ひげをぼっちりぼんさいと比べる顔だ
白粉を創った知惠のある顔だ
怒鳴られた馬が風格のある顔だ
小便垂れてゐる天国へ行く顔だ
意味を握んで生きやうとする顔だ

第三部

私の顔にふるさとの風よ吹け
私の顔にぐんぐん雲よ湧け
私の顔にしみじみ露を置け
私の顔にハラハラみぞれせよ
私の顔に咄々と神よ説け