なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

父北村雨垂とその作品(65)

 今日は「父北村雨垂とその作品(64)」を掲載します。今回も以前にこのブログに掲載した句があるようですが、そのまま掲載します。

 船越教会の礼拝は少人数ですので、終わった後何もない日でもいつも、急がない方はお茶を一緒に飲んで、誰かが持ってきたお菓子や果物をいただきながら、取り留めのない話をしています。だいたい30~40分くらいですが、長いときは1時間を越えることもあります。このお茶の時間での懇談の時に、結構本質的な問題が話題になることがあります。特に昨年のクリスマスの頃から、79歳の男性が来るようになって、この人の発言には深いものを感じています。「自分はいろいろな教会に出席したが、虐げられた者の救済(解放)を根底としているイエスの福音にふさわしい教会には出会えなかった。余裕のある人が集まっている仲良しグループのようで自分には響くものがなかった」。「プロテスタントの教会は、今でも宗教改革追体験しているところなのに、現状に甘んじている面が強い」。「キリスト教信仰は個人に留まるのではなく社会変革につながっていくものがある」等々(このまとめは私の言葉です)。私は、名古屋の教会18年、紅葉坂教会16年と比較的人数の多い教会の牧師を続けてきましたので、船越教会のような少人数のよさをしみじみと味わっています。

              父北村雨垂とその作品(65)

  富士

 富士に愛着の 素朴な 父と祖母と
 
 黒いZ機を 富士は 知らぬ気な 様子

 雄大な単調をみろ 富士をみろ

 でんとした 富士の おろかな 面構(つらがま)え

 富士が グルグル廻る グラス

 感傷の 大海原に 富士が消える

 富士が 小さくみえる クレーン

 歴史の断層を 夏の富士に みた

 アポロンも ゼウスも 知らぬ 富士の風格

 虚無には 勝てぬ 富士の存在

 富士は 空虚(くうきょ)に向って 大きな口(くち)を開けている

 庭(にわ)の鶏頭が 富士に 背のびした

 哀愁のない 富士である 死なぬ

 富士にコンパスは要らぬ ドルも要らぬ

 富士に渦巻く風雲と 渦巻く思想と

 富士をみろ 歴史を知らぬ 季節が 在る

 富士も 弦月も 沈黙の 不安な 平和

 富士は麓(ふもと)の現実を 否定も肯定もしない

 颱風が来るぞ 豪華(ごうか)な 富士をみろ
 
 紫の富士が 傳説を生んだ 夜あけ


      風   三部作

  第一部

 風が 時計の振り子を 笑っている

 風が 魔法使いの手先を 笑っている

 風が 天井の行為を わらっている

 風が貸衣裳屋の そろばんを 笑っている

 風が 地球の心臓を 笑っている

  第二部

 風が 時計のゼンマイと 握手している

 風が 魔法使いの道具と 握手している

 風が 貸衣裳屋の衣裳と 握手している

 風が 天才の感情と 握手している

 風が 地球の触角と 握手している

  第三部

 風が 時計の残骸に 泣いている

 風が 魔法使いのミイラに 泣いている

 風が 貸衣裳屋の 破産に泣いている

 風が 天才の白骨に 泣いている

 風が 地球の枯れた産毛に 泣いている