昨日の日曜日は船越から、私の裁判支援会の事務局会が紅葉坂教会でりましたので、そちらに寄ってから鶴巻に帰ってきました。事務局会で12月25日発行のキリスト新聞に、12月3日の「北村慈郎牧師を支援する会」発足集会の記事が掲載されたことを知りました。事務局長の久保さんのところにキリスト新聞が送られてきて、その切抜きを持ってきてくれたからです。そのキリスト新聞の記事は、比較的丁寧に発足集会の様子を伝えてくれていましたので、どんな記事になるかと内心不安もありましたので、一安心しました。12月17日の土曜日に紅葉坂教会で葬儀式が行われました、来年1月1日がきますと満105歳になります召された姉妹は、この3月までの16年間、私が紅葉坂教会の牧師としておそらく紅葉坂教会のメンバーの中では一番数多く見舞いに行った方ではないかと思います。召されるまでの約12年間病院と老健での生活でしたから、2-3ヶ月には1回は見舞いましたので、50回は越えていると思います。小柄で眼光の鋭い教師タイプ(実際に教師だった)の方でしたが、私の見舞いを心待ちにしてくださっていて、伺いますと、必ず病院でも老健でも、自分の行っている教会の牧師さんが来てくれたと、私を看護師や介護の職員に紹介するのです。私はそれがちょっと恥ずかったのですが、姉妹が嬉しそうに紹介するのをやめてもらうことができませんでした。ここ数年は認知症も進み、一時は私が教会の牧師であることも認識できない時もありましたが、しばらくすると、また体調を取り戻していました。私が伺うと、ハグせんばかりに私に抱きつこうとしたり、手を握ると私の手に唇をつけて接吻する時期もありました。また、「先生と天国で鬼ごっこをしましょうね」としきりに言われた時期もありました。讃美歌を一緒に歌ったり、日本の歌を一緒に歌ったり、主の祈りを一緒に祈ったり、思い出は尽きません。ホームで皆さんに送ってもらう時に、「津軽海峡冬景色」を歌って送ってもらったそうですから、晩年は演歌も好んで歌っていたのでしょう。今滋賀の教会で牧師をしているY君が、紅葉坂教会の伝道師だった頃、彼が長髪で背中の真ん中ぐらいまで髪の毛があったので、姉妹は別の姉妹といつかY君の髪の毛を挟みで切ってあげたいと何度も私に言っていたのも思い出します。姉妹とご遺族の方々の上に主にある平安をお祈りいたします。
今日は、「父北村雨垂とその作品(55)」を掲載します。現在掲載している作品のノートの句は習作もあるように思われます。
北村雨垂とその作品(55)
これは女の衣裳としたい銀座のネオン
雑草が十種(いろ) みどりの色も十種(いろ)
山に みどりの「重量」を姙んだ五月
空は蒼い 無とは蒼いものだ
絵の具皿が いきいきと思想を伏せた
赤や黄で花が「生存」を瞭らかにした
原色の分裂を明日の神話が創造した
生殖とふ肉がパレットに踊る
錫のいろ赤銅のいろにこほろぎを聴く
狂人語り分光器語る厳しゅくに語る
あじさいに苦悩みじんも見当たらぬ
純すいな灰色にふくろうが鳴いた
抵抗の意志をスゥッチの紫光
街燈が黄色い沈黙を投げた夜明け
森の赤い鳥居が印象的な眞夏
川面のいきいな絣は赤トンボ
それぞれの青に限界が来てゐた八月
たそがれて芝の波を魔法の杖
熱帯魚がゆうゆうと往く秋の銀座
モズの宣言直情の葦に風ありき
研 牛の瞳は「アイオーン」と啼く天の海
研 天井のミイラの蝿は巨大な脚(アシ)
研 俎(マナイタ)でホーチョーを睨(ニラ)んでいる目玉
研 明日のたそがれ現在(いま)も天から流れ来る海
研 アイオンと啼く牛の目に天の海
ささ舟に海の偉大な未完の美
聖堂の風化は南無と黙しつつ
研 風雪に母恋い芽吹く柿の種
海が化石とたわむれているあけぼの
夢の舞踏の頂天を往く秋の蝶
朝を睨んで縛がっている野犬
どんどん揚がれ天まであがれ獅子の凧
鍵盤に自覚を聴いたカオスの夢(希(ネガ)ひ)
遂に確かなものに「カオス」が残り
あけぼのが化石が海とたわむれている
心臓は鍵盤をたたくカオスの目覚(メザメ)を
妻の児の絶景の火葬場(かそうば)の煙(けむ)り
火葬場の妻の児の煙りの絶景の