今日も「父北村雨垂とその作品(62)」を掲載します。今日は「顔三部作」のみにします。父の作品ノートでは、次に「小説 五十句」という表題で50句が一連の句として記されていますので、それを全部掲載しますと、長くなりすぎます。
顔三部作の第一部の五句、特に「俺が居ないと 顔が 鏡に獨語した」という句などには、私自身の感覚にも近いものを感じます。父親の句を掲載しています私のこのブログ読んでくれています私をよく知っていてくださるある方が、私のことを父親と似ているとおっしゃってくれたことがあります。
人間は誰も、その人が生きているこの世の現実社会にあって、その社会の中に自分を完全には融和できないものを抱えているのではないかと思われます。心のどこかで自分が完全に融和できる異郷の世界に心惹かれながらこの世を生きている私たちは、常にこの世を過渡的なものとして心の中にある異郷とこの世の境界線上を生きているのではないでしょうか。
私は、キリスト者として私たち全ての人間の故郷である「神の国」という異郷を信じています。そしてイエスによってこの世にとっては異郷であるその「神の国」がこの世に突入しているというよき知らせ(福音)を与えられていると信じています。ですから、ただ異郷である「神の国」にあこがれるだけでなく、異境である「神の国」をこの世にあって生きたいと思っております。そのことをみなさまと共有できれば大変幸いです。
父北村雨垂とその作品(62)
顔 三部作
第一部
井戸の蒼空で 顔が 系譜に獨語した
俺をみたい と 顔が 心臓に獨語した
オオ兄弟 と 顔が 小砂利に獨語した
俺が居ないと 顔が 鏡に獨語した
感情の狡智と 顔が 落(おち)輝(び)に獨語した
第二部
髭をぽっちり 盆栽と較(くら)べる顔だ
白粉(おしろい) を 創った智恵のある 顔だ
努なられた馬に 風格のある顔だ
小便 垂れている 天国へ行く 顔だ
意味を握んで 生きようとする 顔だ
第三部
私の顔に ふるさとの風よ 吹け
私の顔に ぐんぐん 雲よ 湧け
私の顔に しみじみ 露を おけ
私の顔に はらはらと みぞれせよ
私の顔に 咄々と 神よ 説け