昨日の私のブログ(裁判支援通信第一号を発送しました)には100人位の方々からのアクセスがあり、びっくりしました。私の裁判支援発足集会での関田先生の挨拶を掲載しましたからだと思いますが、私の裁判への関心の高さを確信しました。私の希望としてはこの私の裁判を梃子にして現在の日本基督教団の偏向が正されていくことです。そのためには多くの信徒の方々の関心を喚起しなければならないと思っています。
さて今日は「父北村雨垂とその作品(75)」を掲載します。
父北村雨垂とその作品(75)
無題
中年の女二人の、割りきれぬ 対話
月の秘密 己が 秘密も 知らずして
影 ひとつ 護り續けた 泣き 笑ひ
人も 馬も 馬場も 埃(ほこり)に 見え かくれ
燃えろ 青緑(あを) 声援(せいえん)の 春の波 小刻(こきざ)みに
咄々と語る 心臓の コトバの 静寂(しじま)
瞭(あき)らかな存在を ひとときの 孤獨の とき
黄昏(たそがれ)の 文化の 馬鹿な 馬鹿な 馬鹿な
バラの絢(けん)は 死んだ 回帰の夢を 土の黒
心臓の 多弁な 孤獨と 対象と
風と おくれ髪 風は 男の立場にて
番犬 と 知性が叫び 黙(だま)るほか なし
ひとりの足音が 近づいて 遠のいて 夜あけ
嵐の跡の ひらひろと ひと葉
科学者に 悪霊(あくりょう) 醒めず 潮は 満つ
冬は 月も呪(のろっ)ているぞ 吠えろ 野犬(いぬ)
創造の圧巻に タバコ が あった
鬼の面だけが 流石(さすが)に 生きて いる
塵もなき 鏡(かがみ)に 缺けた 批判性
まっくらな魂 三味線を 覚え
土 掘れば 土は いのちの 色かとも
闘病記 蝿(はと)の臓器を 画描き 絶ゆ
泣くな この父の 白髪を みせてやる
月の無い夜は 死んだ児が 居ると想う
この父を 正しいと想え 夜の膳
巴に おどる 親のいのちと 子のいのち
能面へ 吾が雑炊(ぞうすい)が在る 明日(あす)が
えのぐ なき えのぐ皿 在り 赤ん坊よ
火を吐くか 秋をうらむか 無花果は
猫柳 汝を 西行法師 とす
花ほどに 蝶ほどに 佳き 春ならず
剃刀の下に まどろむ 昼がある
素晴らしい月夜である 洗濯をしてゐる
悲曲 その子守唄から 夢となり
時計 鳴る 擬装の母と 子のうえに
深淵に 雲を浮べて 母も子も 無し
踊り児の 死んでゐる人形の 顔よ
街の祭だ 若者達の 情欲だ
佛像の胸を射る陽だ 節穴だ
いしくれよ 児の掌(てのひら)に 意味 生れる
楽手の あの 白痴の顔を みるや
夏は 消えた 姙む 女の罪をみた
女 愚痴(ぐち)を 朝(あした) に 夕べに
こおろぎに 耳を奪われて聖書 おく
重水素 重水素 重水素 阿片