今日はこれから神奈川教区総会に行きます。神奈川教区は総会が年2回開かれます。2月と6月です。2月総会は新年度の計画と予算が中心になります。私は戒規免職処分以降、神奈川教区でも教会担任教師としての扱いを受けていません。現在実質的に船越教会の牧師をしていますが、教団が認めていないため、神奈川教区でも船越教会主任担任教師としての総会議員ではありません。推薦議員にはなっています。その推薦議員になるにも、常置委員会で一部の常置委員から反対が出ていますが、問題を切り捨てないで対話による一致を求める神奈川教区の形成基本方針により、私が推薦議員の一人として選ばれています。今日の総会でもこのことが問題にされるでしょう。
さて今日は「黙想と祈りの夕べ通信(86、復刻版)」を掲載します。
黙想と祈りの夕べ (通信 86[-34] 2001・5・20発行)
ゴ-ルデンウイ-クの間にいろいろな殺人事件が起きました。またこの間は岡山の方で17歳の娘が母と叔母を家に火をつけて焼死させたという事件がありました。このような事件の起こる特徴として、その一つに、大都市のど真ん中というよりも都市と農山村部の境界にある地域が多いことが挙げられるように思われます。特に中高生くらいの青年が親や大人との間で起こす事件には、そのような傾向が顕著のように思えるのです。渋谷や原宿を闊歩する若者が同じような事件を起こしたということは、余り聞きません。多分大都市の家族は実質的に同居家族に近づいていて、親であっても子どものやることに干渉しないようになっているのではないかと思います。けれども、まだ封建的な遺制の残存をバックに持つ地域では、若者は情報化社会の影響で大都市の若者と意識や行動においてほとんど変わらないのに反して、親や大人はそのような若者を受け入れられないだけでなく、自分たちの価値観を若者に押しつけるところが強いように思えます。そのような両者の葛藤が、この種の事件の背後にはあるように思うのです。そこで、どうしたらこの種の事件が起こらないようにできるのでしょうか。情報と消費を中心とした現代社会の流れは止まらないように思います。大都市から地方へ確実に浸透していくに違いありません。そのような情況を生き抜く道を私たちが持ち得るとすれば、個を認め差異のある個の連帯を生き得る成熟した人間になって行かなければならないでしょう。イエスの福音にはそのような人と人の間にある敵意や対立に対して和解と平和を生み出す力があるとすれば、そのイエスの福音によって生きている私たちキリスト者の責任は大きいと言えるでしょう。
「分かち合い」では、以上のような私の発言に続いて、一人の姉妹が以下のような発言をしました。
今日は永眠者追悼の時を礼拝で持った。この一年で召された諸兄姉は、一人一人個性豊かな方々であった。実は昨日故S・N姉の10年の記念会がN家の親族のみで50人以上集まって行われ、招かれて行った。Sさんの10人の子どもが一人一人母の思い出を話された。一つのエピソ-ドとして、父が食事をする時に、静かに食事をしたいというので、大きな子どもが幼い弟、妹を背負って外に出させられた。母は父の傍で団扇をあおいで、父の世話をしていたという話があった。その母の思い出に、子どもたちはそれぞれ聖句を母から贈られたという。しかもその聖句は誰にも同じ聖句なのではなく、一人一人に違った聖句だったというのである。明治の女性は、封建的、父権制的な社会の中で没個性的にしか生きられなかったように思いがちだが、そのような限界の中で大変個性豊かに、自分の特性を生かして、心の自立をもって生きていたように思える。それに反して、今は自由で何でも言えて、何でもできるようであるが、一人一人が個性豊かに生きているかと言えば、案外みんな同じように見えるのではないか。今日は諸兄姉の追悼の時を持ち、また昨日のN家の記念会でのことも思い出し、外面的には不自由な情況の中でも、自分の深いところで自由をもち、自立して生きていただろう先達の方々から見習うべきものが多くあると思わされた。
この日は礼拝後教会ピクニックが行われました。幼い子どもから年長者まで約60名の諸兄姉がシンボルタワ-のある公園に出掛け、潮風の香りを胸一杯に吸いながら、五月晴れの青空の下、楽しい一時を持ちました。