なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(43、復刻版)

 昨日は、「北村慈郎牧師を支援する会」の発送作業が行われました。事務局の人と他からの応援もあって、約1200通を発送することができました。私は今日、下記のようにお手伝いくださった方々へのお礼のメール出しました。この思いが私の裁判に取り組む姿勢です。このブログでも追々皆様に裁判の報告をしていきたいと思いますので、ご支援をよろしくお願い致します。

 昨日は「北村慈郎牧師を支援する会」の発送作業、一日中ご苦労さまでした。ありがとうございました。この私の裁判を通して、日本基督教団が多様性を認めて、一致を求めて自由に、また活発に話し合いができる教団となっていくことを希望します。そして、それぞれが自立した信仰者として、様々な苦しみと痛みを持つ人びとと解放をめざして共に生きていくことができるような教団の教会を形成していくために、この裁判に関わっていただけたら幸いです。
 この裁判は、私の戒規免職の撤回をめざして行われますが、最終的な目標は教団が私の戒規免職を撤回し、現在の教団の執行部が多様性を認めて話し合っていく人たちも入って変わり、私と教団との和解が成立することではないかと思っています。何年かかるか分かりませんが、先ずは来年の教団総会までの期間に、この私の問題を全教団の信徒・教職にできる限り知ってもらい、来年秋の教団総会にどういう人を送るべきかをよく考えて教団総会議員を選んでもらえるように、この運動を展開していきたいと願っています。

 では、今日は「黙想と祈りの夕べ通信」(43、復刻版)を掲載します。


 黙想と祈りの夕べ
   (通信 43 2000・ 7・23発行)

 「われわれは、黙想する時、言葉をもって考えたり、祈ったりしようと努力する必要はない。ひたすら聞くことからのみ出てくる沈黙の思いと祈りとは、しばしばより有益なものとなりうるものである」という、ボンフェッファ-の『信じつつ、祈りつつ』の7月22日の言葉があります。私が「黙想と祈りの夕べ」を始める時に、「黙想」ということでイメ-ジしていましたのは、このボンフェッファ-の言葉でありました。けれども、実際の私自身の黙想の時には、自分の考えがめぐったり、祈りのときにどのように祈ろうかというような思いが入ってくることもしばしばです。「聞く」ということは徹底的に自分が無になることですが、自意識のかたまりの私には、それがなかなか難しいのです。けれども、「黙想と祈りの夕べ」における「黙想」の時に、徐々にではありますが、静かに聞いている自分になっていることがあります。そんな時は、不思議にも私の中に他者である神、他者であるイエスが中心を占めるような感じになり、「生かされてある自分」を実感することがあります。時には、その日の朗読聖書箇所の一節が、自分の体の中にしみ込んでくるように感じることもあります。不思議な体験です。
 前回の「黙想と祈りの夕べ」の「分かち合い」では、上記のような私の感想の他に一人の姉妹が、その日の日曜学校の幼少科、中高科全体の分級でのM兄の戦争体験のお話に触れての感想が語られました。彼女は、率直なところMさんのお話を聞きながら、改めて戦争体験を伝えることの難しさを感じたというのです。戦争体験を被害者的な立場からは伝え易いが、天皇が現人神であったとか、憲兵がいたとかいうことは、なかなか子供たちには伝わりにくく、子供たちもピンと来なかったようで、質問はと言われても、質問が出来なかったというのです。自分自身の中にも、熱心にMさんが伝えようと語っているのに、なかなかそれに共鳴できないでいる自分がいるのを見出して愕然とさせられたと。「日の丸・君が代」強制に戦前の国家総動員へと結びついていく思想統制と同じ動きを感じる人に対して、そうは思えないで、平和づけになってなかなか危機感をもてないで自分を、空恐ろしく感じていると。
 実は日曜学校の子供たちに戦争体験を語っていただく方として、Mさんを推薦したのは私です。以前壮年会と信和会の新年会を高島町木曽路で行ったときに、自己紹介でMさんはお孫さんから戦争体験を書いてくれと言われた話をしました。そして、その時にMさんは戦時下の時代状況に対する忌避感を露に述べておられました。私はMさんの世代の方々の多くが当時の天皇制国家のイデオロギ-に呑み込まれて、何らかの形で戦争協力を強いられ、そのことを拒否できなかったが故に、自己弁護的になるのを知っていました。そのような私の思いからしますと、MさんはMさんの世代の人の中では異質な感じに思えました。はっきりとあの時代はいやでいやで仕方なかったという感性をもっていたからです。そして、再び戦争を引き起こしてはならないという強い意志をもっておられることが伝わってきました。ですから、日曜学校の子供たちにも話していただいたらと思ったわけです。
 子供たちに戦争の悲惨さを伝え、再び私たちの国が戦争をしないようにするためには、戦争体験者のお話だけではなく、いろいろな試みが必要なのでしょう。教会がなすべき平和教育について、よく考え実践してゆく必要を感じます。