なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(44、復刻版)

 先週の日曜日は永眠者記念礼拝でした。船越教会では2名の方のご遺族が礼拝にいらっしゃいました。一人は召された母上が船越教会に関わっておられた方でした。今はお連れ合いが特養(特別養護老人ホーム)での生活をして7年になるということでした。できるだけ口から食事をと思って自分が頻繁にホームに訪れているが、そのホームで働く方はみな一生懸命で気持ちよく、7年近く一度もこれはと首をかしげる職員の行動を見かけたことながないとおっしゃっていました。下記通信の中に出てくる止揚学園も、高齢者と知恵遅れの方との違いはありますが、その職員はみんな喜々として働いていました。命を担ぐお仕事が、すべてそのような人々によって担われるようになればと願わずにはおれません。

黙想と祈りの夕べ
   (通信 44 2000・ 7・30発行)

 止揚学園の福井達雨さんが、重い知恵遅れの方々との生活の中で、「命を担ぐ」ということを語っていたのを思い出します。先日96歳で帰天(通常私たちの教会では召天と言いますが、私はカトリックで用いられている帰天の方が人の死の言い方としてはふさわしいように思っています)したMさんの晩年の5年4ヵ月弱を、私は当教会の牧師として間接的な形に過ぎませんが関わらせてもらいました。その間のMさんと妻Tさんはじめ周囲の方々についての私の印象は、福井達雨さんが「命を担ぐ」と言われたように、Mさんの命をみんなで担いでいるという感じでした。Mさんのもっとも身近な他者である妻Tさんは、文字通り全身全霊をもって自ら喜んでMさんを支え助けられたように思います。以前Tさんの誕生日のカ-ドに、私はこのように書きました。「人の業の中でその時は消えてゆくかに見える他者への仕えほど神の喜びたもうものはないと思います」と。実際にそのように感じていたからです。そのようなTさんとその協力者によって助け支えられて、Mさんは不自由なからだにもかかわらず積極的に日々を生きることができました。大変恵まれた方だったように思います。そして、多くの人に支えられたMさんが恵まれていただけではなく、Mさんを支えた方々もまた、ただ犠牲を強いられただけではなく、Mさんとの関わりの中で多くの賜物をいただいたに違いありません。ひとつの命を共に担ぐという行為がもつ豊かさであり、不思議さではないでしょうか。
 そんな想いを、私は前回の「黙想と祈りの夕べ」の「分かち合い」でお話させてもらいました。
 続いて一人の姉妹が、Tさんのことに触れてこのようにお話ししました。Tさんは、姑に仕え、歴代の牧師とその家族を支え、多くの若い夫婦の仲人を引き受け、これまでは本当に沢山の人のために生きて来たように思う。これからは、自分のための時間を生きられるのではないか。人間としても豊かなものをもっている方だから、これから彼女が豊かに生きていかれるようにと祈っていきたい。すぐには無理かもしれないが、礼拝にも出られるようになり、教会の交わりの中で支えられるようにと願っていると。
 また別の姉妹が、自分が関わっているキリスト者の方同志において争いが起こらないように、またその争いがおだやかに解決するようにと祈っているという発言がありました。 「命を担ぐ」ことについて、Mさんとは違う別の方のことも記しておきたいと思います。家族の方の強い支えと本人の思い煩いを委ねた澄んだ心によって、医者の予想をはるかに越えて末期ガンの状態にも拘らず6年近く生き延びてきた一人の姉妹が、いよいよその最後を迎えようとしています。先日すべての延命治療を止めて、ただ痛みのみを取り除くことに、本人とご家族の方が決断しました。ただご本人には正確な病状は伝えられていないようです。ご家族の方は、その決断が本当に正しかったのかと悩み、私に電話をかけて来られました。この姉妹はここ数年病院での生活を続けています。病との向かい合いの生活です。そのようにして自分の与えられた命を担いで生きておられるのです。その姉妹を家族の方が支えています。もちろん病院の医者や看護師の方々にも支えられています。病におかされた一つの命を、本人と家族と病院関係者の方が中心になって担いでいるのです。ひとつの命を沢山の人で担ぐ営みは、利害を越えた人間としての基本的な業なのだと思わずにおれません。