なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(33)

 今深夜ですが14日になりました。私は今船越教会にいますが、13日夜裁判の事務局会があり、その後交流会を持ち、ちょっと寄り道して船越教会に着いたのは0時半ごろでした。船越教会に来て、午前様ははじめてです。さて、10月16日の礼拝は、私は船越教会ではなく群馬のある教会に招かれていて、連れ合いとそちらの教会に行きます。その教会には紅葉坂教会時代に結婚式の司式をした新婦の御両親がおられます。その父さんが教団から戒規免職処分を受けた私を励まそうとして、教会に働きかけてくださったのではないかと思います。
 さて、今日は「黙想と祈りの夕べ通信」(33、復刻版?)を掲載します。
 
 黙想と祈りの夕べ
   (通信 33 2000 514発行)
 
 前回の「黙想と祈りの夕べ」には7名の出席者と共に、故H姉の棺が特別に加わりました。日曜日の朝相模大野の病院で83歳の生涯を閉じた姉妹が、ご家族の希望で教会にそのまま運ばれて来ました。夕方に納棺式をご遺族の方だけで行い、前夜式はしないで、翌日教会で葬儀式を行うことになりました。私は、別室にとも思いましたが、礼拝堂で姉妹の棺と共に「黙想と祈りの夕べ」を行うのも意味あることではないかと思い、そのようにしました。私は、「分かち合い」で、姉妹についての思い出と感想を述べました。 姉妹とは、5年前に当教会の牧師になってからの交わりでしたが、お連れ合いが96年6月に肺癌で召されてからは、お嬢さんの家族と一緒に生活するようになりました。その前後から、老いが進んだようで、自分だけでの外出が困難になりました。私に何度も電話をかけて来て、同じことを繰り返しおっしゃることもありました。そのような姉妹を、私は自然な人の姿として感じ、心がゆるむのでした。藤木正三さんという方が、その説教集の中で「もつ、する、ある」という人間の在り方について書いています。この世の中では、お金や力や能力を「もつ」人や、いろいろなことを「する」行動力のある人が尊ばれる面があります。けれども、その人がそこにいる(「ある」)ことそのことを、神は何よりもお喜びになるのではなかと思うのです。そのことにいつも気づずかせてくれた、晩年のHさんを、神さまにお委ねしたいと思います。
 また、一人の姉妹が、棺を前にして、死というものは「ご苦労さま、こっちへいらっしゃい」という神の招きではないか。若い時には、死者と共にあることはドキッとしたが、今はホットするものを感じるようになった。死者から生者への命の引き継ぎのようなものを感じる。自分は両親共クリスチャンで、二人が結婚して3ヵ月の子だが、父は戦争で自分が生まれたことは知っていたが、一度も会わずに戦死した。残っている父から母への手紙で、自分が母のお腹にいる時から、父がどんな思いでいたのかを読んでいる。幸い自分は両親から命と信仰を引き継いで、一度も会ったことのない父の想いが分かるように思う。そして、自分の子供たちのことを考える。子供たちも命を受け継ぎ、信仰を受け継いでもらいたいと思う。そのことを自分は祈っていきたいし、祈っていただきたいと思う、と話しました。
 この日は慌ただしい一日でした。礼拝後に役員会があり、その後役員宣教委員会がありました。私は途中で失礼して、納棺式を礼拝堂で行いました。夕方訪ねて来る人があり、「黙想と祈りの夕べ」の直前まで一緒にいました。7時に礼拝堂に入り、「黙想と祈りの夕べ」が始まりました。黙祷、招詞、賛美歌、沈黙と進んで行くに従って、私自身も落ち着いて来ました。見えない大いなる方に自らを委ね、み言葉を思い巡らし、自らの一週間の歩みを振り返り、心の中でイエスとの対話が始まっていました。私には頑ななところがあり、その頑なさが人を隔てることを知りつつも、素直になれないところがあります。そういう自分をその奥にある自分が歯痒く思いながら見ているのです。この自分の中にある最深の自分によって、私はかろうじて支えられているように思うことがあります。「内なる私」とでも言いましょうか。「内なるキリスト」とまではいきませんが、この「内なる私」がイエスとの対話によって成熟し、もっともっと私自身を動かしてゆけるようになればと願っています。