なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(21)

 私は『自立と共生の場としての教会』で、教会を神学的概念でとらえるのではなく人間の集まりをして、その集まりが何をめざしているかという視点から教会を「自立と共生の場」としてとらえることを提案しました。このイメージは聖書の中では契約思想に近いかも知れません。イスラエルの契約思想には、エジプトで奴隷であったイスラエルの民をエジプトから解放した神ヤーウェの導きの下に、一人一人は対等同等な存在として他者の命と生活を侵害しないで共に生きる一つの民として歩むという実験が示されていると思います。十戒の精神にそれが表れています。おそらく古代イスラエルでは自営農民が構成単位で、女の人や子どもたちはその家族・親族の中に含められた財産として考えられていたと思われますが、今日では女の人も子どももすべての人が神の下にある尊厳を与えられた存在として考えられなければなりません。その人がその人らしく生きていくことと、自分と同じように他者を大切にして生きていくということが、神の導きの下にあって、私たちがめざすべき道ではないでしょうか。そういう道に私たちが生きて行くために、教会があると思うのです。
 今日は、「黙想と祈りの夕べ通信」(復刻版)を掲載します。
 
  黙想と祈りの夕べ
   (通信№ 21 2000・2・20発行)
 
 前回の「黙想と祈りの夕べ」には、この集いに時々参加しておられるMさん父娘のお二人を加えて5名の出席がありました。昨年10月からはじまったこの集いの2回目くらいにお二人はいらっしゃいました。その時は娘さんの方が交通事故の後遺症ではないかと思われますが、体調が思わしくありませんでしたが、最近はその時から比べますと、随分よくなって来ました。集いの参加者も彼女のことを覚えて、祈ってきました。彼女も集いの中で自分からも祈るようになっています。うれしいことです。
 前回の通信に書いたことにも通じますが、昨年10月の「黙想と祈りの夕べ」にお二人がいらした時に、お二人のお話をお聞きし、私は、その後お父さんとお嬢さんに手紙を書きました。お父さんは、「どうして自分の娘がこんなことになったのか」という思いを強くもっていらっしゃいましたので、そういう風に、起こったことの意味をあれこれ考えるよりも、このことを契機にしてこれからどうしていったらよいか、今までとは違う新しい道に神さまから招かれているのかも知れないのだから、という主旨のことを書きました。お嬢さんには、友達や他の人と比べて自分をどうこう思うよりも、あなたらしさを大切にして行かれたらどうか、とう主旨のことを書きました。私自身そのように生きて行きたいと常々思っていることでしたので、正直に書きました。けれども、思うことと実際にそのように生きることとは、そう簡単に結びつかないのが現実です。お二人がどのように受けとめてくださったのかは分かりませんが、私自身は、自分の書いたことに余りかけ離れないような生き方をしたいと思っています。
 また、「分かち合い」の時に、一人の姉妹が自分の体験を話されました。彼女は野鳥を観察する友の会に加わっているのでしょうか、先日丹沢のふもとに行き、相模川中流から下流に向かって歩いたそうです。その間に40種類位の野鳥を観ることができ、その中で魚を獲るトンビをはじめて観たそうです。自然界の弱肉強食を見せられた感じで、彼女は振り返って、人間界はどうだろうかと思わされた、とい言いました。そして、JR相模線に乗った時に、その車両の中を行ったり来たりしている20歳ぐらいの大きな体の男性が自分の手にはめていた自分の子どもの時計に興味を持ち、その時計を外して遊びはじめた。長い針はどっちかという針の当てっこをして、しばらくしたら彼は「当てっこ終わり」と言って、時計を返してくれ、別の所に行った。彼が自分の前に立ち、時計が欲しいと言ったとき、自分のではなく自分の子どものだったので嘘を言わずに断れた。短い時間だったが彼と心を通わせることができた。振り返って、教会のことを考えさせられた。教会における共生とは何だろうか。この集いの中で歌う賛美歌89が自分は好きだ。家で歌詞を見たが、「共にいてください」は原文では、Stay with us,になっている。この us に意 味があると思った。85も89も原文で歌えたらと思う。彼女はそのように話されました。
 T兄が2月19日に退院しました。彼は両足の骨折で昨年11月末ごろから入院していました。まだ長い時間歩くことは難しいようです。これからリハビリを続け、職場復帰へと向かいます。U姉は比較的安定していますが、長い病院生活が続いています。在宅の高齢者の諸兄姉にも弱さと向かい合っておられる方々がいらっしゃいます。これらのお一人お一人の上に主にある癒しと支えとが豊かにありますように。