なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(368)復刻版

 黙想と祈りの夕べ通信(368)復刻版を掲載します。2006年10月のものです。


        黙想と祈りの夕べ通信(368[-3]2006・10・15発行)復刻版


 月曜日に基地・自衛隊問題小委員会主催の横田基地を見る集いに参加しました。横田基地の広さにも驚

かされましたが、その前に寄った立川のテント村では、1950年代の砂川闘争のことを聞くことができまし

た。当時滑走路拡張予定地とされた土地が、国が買収した所と反対農民が国に売らなかった土地とが入り

組んでいて、結局滑走路を作ることが出来ず、国有地がずっと放置されてきて、市民が農園に使っている

状態であることが分かりました。立川の基地は今は自衛隊が使用し、その周りには国の防災施設が集中し

ています。国の側からすれば、防災の名における民衆の監視が目当てではないかと思われます。実際に自

分の目で見てみないと、現実がどこまでいっているのか分からないものです。岩国の基地を見た時にも、

そう思わされました。砂川闘争で滑走路拡張を阻止できたのは、農民にとっての土地が農民自身の命その

ものであったからではないかと思わされました。命のかかった抵抗は強いでしょう。また、場合によって

は土地だけではなくからだが抵抗のエネルギーとなることもあるように思いました。

 上記の私の発言に続いて、一人の方からの発言がありました。今日の朗読聖書箇所マタイ福音書15章

21~28節「カナンの女の信仰」の記事で、最初はイエスに拒絶されているのだが、それはどうしてなの

か。普通イエスにはねつけられたら、帰ってしまうと思うのだが、この女はイエスに一度拒絶されても、

さらにイエスに食い付いていく。こんなに強い希望を持っている女性の存在は大事にすべきである。私の

知人で以前聖公会の教会に行ったことのある女性が教会に行きたいと言うので、私の友人が牧師をしてい

聖公会の教会を紹介した。彼女の息子の国家試験のこともあり、教会に行って祈りたかったのだろう。

その教会ではそばにいた女の人が彼女のことを覚えていて、教会バザーの売り子を頼んで来た。そうこう

するうちに彼女は洗礼を受けた。当教会でも新来者がどれだけ来るのか分からないが、自分たちだけが楽

しんでいるのではなく、新来者への対応を考えたらよいのではなかろうか。

 また別の人からの発言がありました。沖縄のことを話させてもらう。Nさんが釈放された翌日防衛ミサ

イル、パトリオットが沖縄に搬入設置されるというので、反対運動がすぐ始まった。部品がトラックで搬

送されるのを、先週の日曜日には阻止行動に100人位座り込んだ。機動隊によるごぼうー抜きで、今朝

ミサイルが運び込まれた。今日の夕方のニュースでもやっていたが、辺野古の座り込みで一緒に闘ってい

た人たちの顔が見えた。自分は沖縄に犠牲を強いているヤマトの人間としてゴメンアサイとしか言えな

い。沖縄のNさんもEさんもこの3日間で1時間ぐらいしか家に帰れないといいう。機動隊が出て来てやり

合っているからだ。このことは、沖縄がまた犠牲を強いられることだ。沖縄に基地が集中し、土地が奪わ

れ、また更に基地強化が強いられようとしている。ここで今静かにしていると、もう一つ前の日本の歴史

を想い起こす。日本が朝鮮人や台湾人の言葉を奪い、侵略したことを。人間がどこまで非人間的に振舞う

のか。イエスに十字架を背負わせている。来週沖縄に行く予定である。どんな顔をして行ったらよいの

か、何を言ったらよいのか。機動隊のごぼう抜きに、阻止する側はただ非暴力抵抗で向かい、やられるま

まである。教会でも8月には平和について考えたことを思い、今の沖縄の状況を思うと、大変辛い気持ち

で一杯だ。