なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ(7)

 31日の日曜日夜遅くに鶴巻に着き、月曜から水曜まで3日間、連れ合いが泊りがけの会に出かけていましたので、私一人で過ごしました。月曜日には東海大学駅前の「さざんか」という天然温泉の施設に、火曜日には鶴巻温泉駅近くのこれも天然温泉「弘法の里湯」を楽しみました。さざんかは割引チケットを買ってありますので、450円で、弘法の里湯は7月8月は午後6時から、秦野市民は400円で入浴できます。温泉と言っても、通常の銭湯並で入浴できます。実は鶴巻には時間ができたら読みたいと思って買いだめしていある注解書、聖書学関係以外の本を持ってきています。しかし、なかなか本を読む作業に入れないでいます。この3日間も何となしに過ごしてしまいました。余り観たこともないテレビの映画を4,5本も観ました。今日は午後に船越に行きます。船越は教会の建物の中にある牧師館で私一人で原則として木曜日は午後3時以降、金、土、日曜日の教会行事の終わるまで過ごします。
 今日は午後からスイッチを切り替えて、それこそ牧師の働きに専心したいと思っています。
 以下「黙想と祈りの夕べ通信」(7)を掲載します。 
 
 
黙想と祈りの夕べ
   (通信№ 7  1999・11・14発行)
 
 「黙想と祈りの夕べ」を始めるに当たって、いろいろ自分なりに構想してきたこの会の主旨が、どこまで諸兄姉に伝わっているか不安でした。実際私たちの中には、口に入った食物を噛み締めて食べるように日々御言葉を思いめぐらしつつ、それを自分の糧として生活するということが少ないように思えるのです。事実私自身牧師という働きを長年担って来ていながら、そのことに気づかされたのは、牧師になって大分経ってからです。本当のところここ数年前からかも知れません。ところが、紅葉坂教会の私の前任者I牧師は、H教会で97年から、それまでの祈祷会に代えて、「黙想と祈りの集い」を始めていました。私はYさんを通してそのことを知りました。そしてI牧師がその集いを始めるに当たって、H教会の機関誌に書いておられることも、私の考えていたこととほとんど同じものでした。聖書の言葉や先達の信仰者の言葉に導かれ、黙想を通してその言葉の開く信仰の世界を感知すること、それが黙想の大切なところなのです。私たちの信仰には、ともしますと、そのようなみ言葉との対話が開く豊かな信仰の世界を日々の生活の中で汲み取る努力が乏しいのではないでしょうか。ですから、どうしても二元論的な生き方になってしまい易いのです。教会生活と日常生活とを別々の規範で使い分けて生きるということです。本来信仰者は二つを繋ぐ接着剤のようなあり方を取るように思われてなりません。
 先日テレビで退職者の第二の人生について、数名の人の事例を紹介する番組がありました。その中で、現役時代接着剤の研究者だった人が、東急ハンズの接着剤売場の接客係をしているということでした。最先端の研究ではないが、人に役立てる仕事ができて楽しいということでした。今でも、新しい接着剤が出ると、家で研究して、その製品の用途を確かめているところが、放映されていました。 私は、「黙想と祈りの夕べ」で、一方ではみ言葉の黙想によるみ言葉の開く信仰の世界への豊かな交流、一方では「分かち合い」によるこの世で生きる者の苦しみ悲しみ、そして喜びの共有により、私たち一人一人が両者を繋ぐ接着剤のような者になっていけたらと願っています。また実際に多くのキリスト者はそれぞれの働きの場で、そのような接着剤として生きているように思います。そういう諸兄姉とその働きのことも覚えて、共に祈っていけたらと思うのです。
 日曜日の夜の「黙想と祈りの夕べ」には出席できない諸兄姉も多いと思います。けれども、それぞれの場で「黙想」と「祈り」を共有していただけたら、私たちは、見えないイエスの命に連なる大きな輪の一員として、そのイエスの命に生かされてい生きることができるのではないでしょうか。そして、現代社会の中で傷つき、苦しんでいる方々に、教会と私たち一人一人が、あの死を生にかえるイエスの復活の命を証言することができたらと願わざずにおれません。
 11月7日の「黙想と祈りの夕べ」では、10月にこの会に来られて、最近朝の礼拝に来ておられる若い姉妹を覚えて、それそれがその人らしく生きてゆくことができる社会をつくってゆきたいことを、「分かち合い」の時にお話しました。画一的・均一的な社会ではなく、多様性が認められる社会であれば、いろいろな人が生き易くなるでしょう。また、老いて病と向かい合っている一人の姉妹の痛みが軽くなりますように。