なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(8)

 昨日も木曜日ですので、午後3時には船越教会に行く予定でしたが、国会前の辺野古新基地建設反対座り込みに行きました。84日はちょうど満7年前に、辺野古からおじい、おばあも来て国会前の抗議行動が行われ、はじめての座り込みをした日です。昨日は国会前の座り込みが8年目に入った記念すべき日です。しかし、この記念すべき日は、本来ならこんなに長い間座り込みを続けなければならないことがおかしいのですから、余り嬉しいことではありません。しかし、そうせざるを得ないほど、日本政府はアメリカのいいなりです。本来なら憲法9条に立って、軍事力をすべて放棄し、自ら戦争を放棄した国として、外交努力によって諸外国と平和な関係を結び、二度と再び戦争をしでかさない国として国際社会から認められる国になって欲しいと思います。やろうと思えばできるに違いありません。しかし、現在の日本政府も今までの歴代の政府もやろうとしないとしか言いようがありません。
 さて、今日も「黙想と祈りの夕べ通信」(8)を掲載します。  
 
黙想と祈りの夕べ
   (通信№ 8  19991121発行)
 
 前会は、ちょうど7日のロ-ズンゲンの主日聖書箇所の一つに、マタイ福音書25章31-46節があり、そこを朗読しました。この箇所には、羊と山羊に分けられる審判についての記事があり、その中にあの「この最も小さな者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」というイエスが語ったといわれる言葉があります。「黙想」の後の「分かち合い」のときに、私もこの言葉についての感想をお話しました。同じようにこの聖書箇所についての感話が、一人の姉妹からありました。
 彼女は、この聖書箇所には、信仰の「し」の字もなく、ただ愛の業が問題とされていることへの戸惑いを正直にお話しされました。そして、自分なりの他者との関わりにおいて、特に目の不自由な方との関わりにおいて、いつも自分に何ができるだろうかと、自分が責められるように思えてきたと。特に視覚障がい者の方の中には、年と共に重複障がいになる方が多く、以前姉妹が関わられた方も、40代から難聴になり、耳鳴りがひどくなり、しばしば死にたいと語られたというのです。そのような方に自分は何ができるか、何もできないのではないかと、自分自身が責められるというのです。けれども、最近お互いのことを覚えて祈り合うことの大切さに気づかされ、祈りの中からできることをしていけばと思えるようになったと言われました。
 私は、姉妹のお話を聞いていて、視覚障がい者が音を識別する力はあるが、難聴になりやすいということを、はじめて知りました。ひとつの俗説なのかも知れませんが、目が不自由な人は耳がよい、とばかり思っていたものですから、それは思い込みに過ぎなかったのでは、と反省させられました。すべての他者に言えることなのかも知れませんが、特にさまざまなハンディを背負う方々のことをその人の立場になって正確に知ることの難しさと、それだけに、憶測ではなく、正しく相手を知ることの大切さを改めて知らされました。 別の兄弟から、今年の「障がい者と教会の集い」(神奈川教区で毎年夏に一泊二日で行われている会)でのことが話されました。ある人は障がい者が「小さな者」だと言い、ある人はそれに対して反論したということです。また話し合いの中で、ある人が、障がい者の方から「健常者」と自分は呼ばれたくない、と言われたとうのです。健常者だから問題がないとういうわけではないと。このことを話した彼は、健常者と障がい者を分けるラインは何だろうか、と言われました。
 確かに難しい問題です。けれども、そもそも健常者とか、障がい者とか言われるようなあいまいな人間の区分けが問題なのかも知れません。人間はみなさまざまな差異をもった者として生きているわけですから、それぞれの差異をお互いに受け容れあって共に生きていかれれば、健常者と障がい者という区分けをわざわざしなくてもよくなるかも知れません。 「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さな者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」。
 私たちが、「最も小さな者の一人」とは誰かを意識しないで、他者の困窮を敏感に感じ取り、そこでできること、すべきことを黙々としてゆける者になれたらと願わずにはおれません。14日のボンフェッファ-の言葉(「…われわれが現在の課題のために繰り返し 抑えてきた願望は、逆にわれわれをもっと豊かにするものである」)にある「われわれの現在の課題」の中に、そのような私たちの行為も入るのではないでしょうか。