なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(414)復刻版

 喪空想と祈りの夕べ通信(414)復刻版を掲載します。2007年9月のものです。

 私は今日から3日間山口に行きます。その間、このブログもお休みします。


           黙想と祈りの夕べ通信(414[-49]2007・9・2発行)復刻版


 夏期休暇を利用して沖縄の辺野古と高江の基地建設反対座り込みに行って来ました。今回は6日間いましたので、辺野古

座り込みや阻止行動をしているいろいろな人と話すことができました。防衛施設局側の作業船は、私の行く前日に出て、舟と

カヌーとダイビングで阻止行動をして大変だったということでした。翌日の朝7時過ぎに自動車に分乗させてもらい辺野古

つきましたら、既にカヌー隊の方々が来ていて、浜にカヌーを並べて、いつでも出られる準備をしていました。私も現場担当

のまとめ役の方から、「北村さんは舟に乗ってください」と言われました。しかし、その日も作業船が出ませんでしたので、

私はテントの座り込みをしました。午後には高江の方に自動車で行く青年がいたので、分乗させてもらい一緒に行きました。

高江は辺野古から1時間半ほど北に行ったやんばるの中にある米軍基地の三つのゲート前で座り込んでいます。その一つのゲ

ート前でその日の午前中には基地内に資材を入れようとする防衛施設局側の人たちと座り込みの人とのやり取りがあったとい

うことで、高江の方は緊張していました。そこには以前辺野古のテントで出会った顔見知りの人もいて、辺野古からかけつけ

ている人もいることが分かりました。その日は名護の宿に着いたのは午後8時過ぎでした。翌日も朝辺野古に行き、辺野古

は作業船がでないということで、Hさんらと高江に行き、午後4時ごろに辺野古に帰ってきました。私が辺野古に行っていた後

半は沖縄の旧盆に当り、この時期には海人は舟を出さないということで、辺野古での6日間は静かな日々でした。この座り込

みを実質的に担っていますヘリ基地反対協の方や数名の青年とも話ができ、有意義な時を持つことが出来ました。そこで感じ

たことは、ここに関わり続けている人を突き動かす何かかが辺野古にはあるということです。それは沖縄戦を体験したおじい

、あばあが、戦後の食料も厳しかった時代に魚介類の豊かな辺野古の海に助けられた経験から、その命の海を守るんだという

強い思いがベースになっているのだと思いますが、人を突き動かす何かがあるのです。私はイエスもそうだったのではないか

と思い、座り込みを続けながら、改めて自分にとってこの自分を突き動かすものは何かということを問われました。そして、

これらからの自分の残された時間を本当に自分を突き動かすものによって歩んでいきたいと思わされました。

 上記の私の発言に続いて、一人の方の発言がありました。今日の耳の不自由な者の癒しの聖書の箇所と今聞いた突き動かす

もののことを考えていた。私が関わっているNPOの関係で、最近8歳の重度の障がいを持った子が急に亡くなり葬儀に列席した

。その子は生まれたとき医者に3歳までしか生きられないと言われたという。8歳で亡くなった時、生まれたときに診てもら

った医者は、まだ生きていたのかと驚いたという。遺影は七五三の時の綺麗なドレスを着た麻痺を持っているお顔の写真でし

た。ところが棺の中の顔は麻痺のなくなった元の顔はそれはそれは美しいものでした。8年しか生きられなかったと言うべき

か、8年もよく生きられたというべきか。呼吸することも痰を出すのも、元気な人には何ということもないことが、呼吸も痰

を取るのも大変なことで、それにかかるエネルギーは当たり前に生きられている者の何倍になるか。この子は8年間そのエネ

ルギーを十分使い果たして生きたのだと思う。そして私たちに人間が一人生きるということには、どれだけの多くの人の支え

の中にあるのかを教えてくれている気がした。その亡くなった子に、ありがとう、ご苦労様と心の中で言ったが、美しい顔を

見ていて、神さまはなぜこの美しい子に障がいを与えられたのだろうか?なぜもっと生かして下さらなかったのかと問わざる

を得なかった。ご家族にはこの疑問はどんなにか大きいと思う。キリスト者は聖書から答えを与えられている気がする。しか

し、何も声をかけられず帰った。こうした急な別れを思うとき、心残りは、こちらのスケジューに合わず、訪問をごめんなさ

いしたことがある事を訪問看護の人が話していた。多くの人の支えを必要とする障がいをもった子との関わりはいつもベスト

を尽くしていかなければと突き動かされるものを再度感じた。

 もう一人の方の発言が続きました。今晩の耳の聴こえない人の癒しの聖書箇所(マルコ7:31-37)から、イエスは自

分の出会った、目の前にいる人に、本気で関わりながら生きた人だと感じた。耳の穴に指を入れたり舌に触れたりする事は、

中途半端な気持ちではできない。イエスが真剣にその人と関わる中で、人は癒され、変えられていったのではないか、そして

それがやがて神の国を求める人々の生き方の流れになっていったのだと思う。私も一人一人の人と真剣に関わるイエスの姿の

後を追っていきたいと祈り求めた。

         
                   「善をもって悪に勝つ」 9月2日


 使徒パウロがローマの人々に宛てて書いています。「あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。・・・悪に悪を返さ

ず、・・・復讐せず・・・あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。・・・悪に負けることなく、善をもって悪に勝

ちなさい」(ローマ12:14~21)。これらの言葉には、霊的な生活の中心に響いてくるものがあります。これらの言葉

は、死ではなくいのちを選ぶとはどういうことか、呪いではなく祝福を選ぶとはどういうことかを明らかにしています。しか

し、ここで私たちに求められているのは、人間の本性に反することです。他の人々にするようにと私たちに求められているの

は、神が私たちのためにしてくださったことそのものであると、全身で知るようになることです。それが分かるようになって

初めて、私たちはパウロの言葉に従って生きることができるようになるでしょう。 
















(ヘンリ・J・M・ナウエン『今日のパン、明日の糧』より)