なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(415)復刻版

 黙想と祈りの夕べ通信(415)復刻版を掲載します。2007年9月のものです。

 5日(月)~6日(火)と下関の梅光学院で開催された西中国教区の総会に、北村慈郎牧師を支援する会として

来訪者にしていただき、私が参加してきました。連休中でしたので、6日の新幹線座席指定が取れず、もう一泊

下関にして、今日は防腐にある障がい者の施設にいらっしゃる、私の裁判を熱心に支援してくださる方を訪問して

から、鶴巻に帰ってきました。西中国教区の報告は、別の機会にしたいと思います。



           黙想と祈りの夕べ通信(415[-50]2007・9・9発行)復刻版


 牧師が退職した場合、一番困るのは住居の問題です。しかし、それも厚生年金に加入できるようになってから

の牧師です。多分現在90歳くらいの方から、牧師になった最初から厚生年金に加入できるようになったと思いま

す。それ以上の方は、途中からの加入ではないかと思います。もっとずっとお年の方の場合は無年金だったと思

います。そのような方々の多くはすでに天上に移られたのではないかと思います。ですから、無年金時代の牧師

やその家族は晩年生活が大変でした。息子や娘のところで生活しなければ、生活が出来なかったというケースが

ほとんどだったのではないでしょうか。

 今年度教団年金局は、1億1千万の謝恩献金を目標にしています。それは教団年金を維持するために必要な額と

いうことです。昨年度の謝恩献金が3千数百万だったそうですから、今年度約8千万円を昨年度より多く集めなけ

ればならないというのです。これは昨秋の教団総会でも承認されたことなのですが、各教区によってその取組み

がバラバラだそうです。先日神奈川教区の常置委員会でも、年金局に関わる方から神奈川教区として約1千万の

諸恩献金を考えてもらいたいという発言がありました。常置委員会として議論しましたが、まとまらず継続とい

うことになりました。神奈川教区全体として昨年度は謝恩献金に3百万円強集まったということなので、今年度

1千万円集めなければならないとするなら、約7百万円昨年度実績にプラスにしなければなりません。教区の互助

献金でも毎年350万円集めなければならないのに、目標を達成したことがないそうです。ですから、余程のこと

をしないと、1千万円は無理だというのが大方の認識でした。

 教団年金はある種の企業年金に近いのでしょうか。私にはよく分かりませんが、教団年金を作ったときの意図

は、牧師は引退後住居がない場合が多いので、厚生年金で生活費、教団年金でアパート代位にということだった

そうです。厚生年金は掛け金の額によりますから、牧師謝儀の額によって年金支給額も違ってきます。教団年金

は厚生年金とは違って、年間約30万円くらいまでは掛け金によらずだれでも支給されるそうで、それ以上は掛け

金に比例するそうです。最高でも月約7万円だそうです。

 教団総会で出た意見の中には、教団年金くらい掛け金によらずみんな同じにしたらどうかというものがありま

した。私はその意見に賛成です。けれども、教団総会ではその意見は少数意見で受け入れられませんでした。聞

くところによれば、今の教団のように合同教会として当然なのですが、いろいろな考え方がある中で、話し合い

を積み重ねながら、それぞれの違いを多様性として認め合って、一つをめざす形成途上の教会には不満で自分た

ちだけが正統とする立場の人たちも、教団から独立しないのは、教団年金があるからだというのです。そういう

ものなのかなあと思いますが、教団年金を失う不安は多少理解できるとしても、何か違うのではないかという思

いはぬぐえません。

 少しでも財産を持つということは、全く財産がないところでの関係の在り様とは、随分違ってしまうのかも知

れません。そういう意味で教団年金30数億円という教団の財産が、教会としての日本基督教団を狂わせる原因に

なっているのかもしれません。情けないことです。教団年金がすべての隠退牧師に同じ額支給されるようになれ

ばと願うものです。
     


                 「終わりの時に生きる」   9月9日


 私たちは、終わりの時に生きています。それは、すべての物事の終わりが近づいているということではありま

せん。そうではなく、イエスが言われた時の終わりのしるしが、みなすでに現れているということです。戦争、

革命、民族間や国々の争い、地震、疫病、飢饉、迫害などがそれです(ルカ21:9~12)。イエスはこれら

私たちの世界の出来事について、この世界が私たちの最終の住処ではないことを告げると同時に、人の子は私た

ちに完全な自由をもたらすために来られることを告げるものである、と説明しておられます。イエスは言われま

した。「このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ」

(ルカ21:28)。私たちは、自分たちを取りまくこうした恐ろしい出来事を最終的な解放に向けて、私たち

を備える道として、生きるよう心がけることが大切です。


                         (ヘンリ・J・M・ナウエン『今日のパン、明日の糧』より)