なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(416)復刻版

 黙想と祈りの夕べ通信(416)復刻版を掲載します。2007年9月のものです。第一次安倍内閣が短期間で

崩壊した頃のものです。


         黙想と祈りの夕べ通信(416[-51]2007・9・16発行)復刻版


 安倍首相が今日午後辞意表明しました。そのことにも関心がありますが、今日はキリスト教信仰がこれまでの信

仰告白や教義、職制や教会制度、礼拝のような祭儀としての伝統の継承とは別に、根本的に見直されてきているこ

とをお話したいと思います。たとえば、言葉による信仰の伝達は、理解や解釈という人間の体全体からすれば頭の

部分における認識に過ぎず、もっと五感を含めた体全体で信仰を受け止めることが大事ではないかという問題意識

です。佐藤研さんという新約の学者は禅を取り入れて、イエス理解を試みています。まだ私も十分に佐藤研さんの

意図を理解しているわけではありませんが、禅の覚知は知の認識を超えて体全体における悟りをめざしているので

はないかと思います。佐藤研さんは『聖書と現代社会』という太田道子さんとの対談の「あとがき」でこのように

書いています。「・・・キリスト教者なるものは、教会とその慣習とに惰性的に依拠することをやめ、何よりも人間

として、一個人として、聖書が何を語っているのかを自らの責任で把えるのでなければならない。(太田)道子さ

んはその中心を、たとえば「人権と平和」と言い、「命全体の存在の意義」と表す。これらの表現が言おうとして

いることを理解するには、俗に言う「信仰する」とか「信じる」とかではなく、人間の苦悩への自己の感受性を呼

び覚ましながら、単独者としてこの身をもって聖書を『体読』し、事柄を全身的に把握することが必要なのであろ

う。そしてその探求の究極点には、道子さんによれば『新しい人・ナザレのイエス』がいる。・・・」。ここで佐藤

研さんが言うところの「体読」ではないかと思います。イエスを体で受け止めるとは、どういうことなのか、考え

させられています。

 上記の私の発言に続いて、一人の方の発言がありました。安倍首相の辞意表明は私も注目した。安倍さんがやっ

たことは教育基本法の改定くらいか。能力の無い人が首相になると、ああなるのかと思わされた。自戒したい。国

民の側は一時圧倒的に安倍を評価していた。それは人気であって、政策への関心は低い。教育基本法の時も多くの

国民は無関心だった。今回の参議院選でも、社共が憲法改定をしないと言っていたが、多くの国民は無関心であっ

た。安倍さんが一人芝居で、大臣の選び方もあったが、彼の関知しないところで問題となった年金問題などでやめ

て行く。国民の無関心が心配である。

 また別の方からの発言がありました。今日は国会前で座り込みをしていて、安倍首相の辞意表明をいち早くキャ

ッチした。国会上空にはヘリコプターが飛回していた。座り込みには3人のキリスト者がいた。3人で話したが、私

たちキリスト者は終末を信じているから、やめたーと簡単に放棄しないと。安倍さんは辞意を表明したが、その安

倍さんを多くの国民は歓迎した。何をもって安倍さんを歓迎したのか、国民の姿勢も反省しなければならないと思

う。国会前に座り込んでいると、日本の国の政治の貧困さをひしひしと感じさせられる。このようなことになって

いるのは、他でもなく政治は別世界と避けてきている自分、そういう自分自身を問わなければならない。ある種の

お任せ主義を反省しなければならないと思う。座り込んでいる私たちのところに来て、状況を熱く伝えてくれるロ

ビイストの若い人や年配の方で、憲法調査会に出ているキリスト者の姿を見ていると、彼らは自分のこととして政

治を見つめている。私ももっともっと自分の事として考えなければならないと思わされた。 


                  「人の子の到来」   9月16日


 非常に破壊的な世界に生きていても、私たちは神のものであり、神と共に安全の中にいるということを霊的に知

っていると、歴史のあらゆる混乱、恐れ、苦悶のただ中にあって、「人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗っ

て来る」(ルカ21:27)のを見ることが出来ます。イエスはこのことを終末の出来事として語っていますが、

これは恐ろしい出来事がすべて終わった後に起こる、おまけの一つのようなものでありません。終わりの時がすで

にここにあるのと同じように、人の子が来られるのもまた、今ここにおいてなのです。それは聖霊の領域における

出来事であり、時間という境界に支配されることはありません。

 イエスとの交わりの内に生きている人々は、今ここで、自分たちの間にイエスが再び来られるのを見る目と、そ

れを聴く耳を持っています。イエスは言われました。「すべてのことが起こるまでは、この時代は決して滅びない」

(ルカ21:32)。信じ続けるどの世代にとってもこのことは真実です。


                        (ヘンリー・M・ナウエン『今日のパン、明日の糧』より)