黙想と祈りの夕べ通信(529)復刻版を掲載します。2009年11月のものです。
黙想と祈りの夕べ通信(529[Ⅺ-07]2009・11・15発行)復刻版
月曜日に辺野古基地反対国会前座り込みに行きました。この座り込み(現在月曜と木曜正午から5時頃まで)
が始まって5年になりますので、現在は数名の女性が中心にこの座り込みを続けています。ぼくもできるだけ
時間のあるときは参加するようにしています。この日座っていましたら、通りがかった中年過ぎと思える男性
が、この座り込みは何のためにやっているんですか、と聞いてきました。沖縄に基地を新しく作らせないため
ですし、基地がない世界にしたいからです、と答えました。その方は、米軍基地を沖縄からなくすことは賛成
だ。しかし、軍隊がないと外国から日本は簡単に攻められるので、軍隊は必要だ。軍隊をいらないと言うのは、
日本が裸でいいということで、女の人は裸が好きだからと、セクハラまがいの発言をして、通り過ぎていきま
した。憲法9条との関係で安全保障が問題になる時に、必ず出て来る典型的な意見です。確かに東西の冷戦時代
には先進国以外の発展途上国のどこかで途絶えることなく代理戦争が行われていました。アメリカかソ連の軍
事力の傘の下に入り、軍隊で国を守らなければ、安全保障は成り立たないというのが現実的な選択肢だと多く
の人々は考えました。上記の人は、沖縄から米軍基地をなくし、日本の自衛隊が日本の国を守るのだというの
でしょう。しかし、軍隊によって国を守ることができるというのは私には幻想のように思えます。憲法9条の
軍事力の放棄による多角的な平和外交こそが、私には日本と世界の未来を拓いていくことができる唯一の道で
はないかと思えてならないのです。戦争はどんな戦争でも人の命と生活の破壊以外の何ものでもありません。
戦争は絶対にやめなければなりません。
上記の私の発言に続いて、一人の方から人の気持ちを大切にしたマイケル・ジャクソンの優しさについての
発言がありました。続けて別の人の発言がありました。自分の行っていた神学校でも憲法9条反対の人が数名い
た。北朝鮮の脅威があるからと。同じ神学校でも人と話し合っていくことがなかなか難しい。靖国神社での公
式参拝反対行動をテロと言う人もあり、話がかみ合わない。アフガニスタンのペシャワールを中心にNGOの活
動をしている中村哲さんは自分たちは武器を持たないからアフガニスタンでの活動が許されていると言う。戦
争は人が死ぬことである。相手の立場に立って話し合うことが必要である。しかし、いろいろな意見の違いを
埋めるコミュニケーションは難しい。ヘンリー・ナウエンは、「私たち自身から離れ、私たちの心を向けるべ
き人々の方へ移る時、教会は常に新しくされていくでしょう」と言う。
また別の人の発言がありました。WOWOWで「パール> ハーバー」という映画を観た。改めて戦争を起こして
はいけないと思わされた。日本が仕掛けたことから始まり敗戦、現在の沖縄のことも影響していると思わされ
た。辺野古国会前の座り込みが5年経った。今までは情報が抑えられていたが、今は政権が変わり、米軍再編
が揺れ動いていて11・8の沖縄県民集会もテレビ等で伝わってきている。沖縄からの発信に「外電やあちこち
の英語メディアで大きく報じられました」と有り、辺野古が取り上げられてきているようだ。又「国連のB規
約(市民的および政治的権利)人権委員会は、2008年10月30日、日本政府に対して「アイヌ民族および琉球民
族を国内立法下において先住民と公的に認め、文化遺産や伝統生活様式の保護促進を講ずること」「彼らの土
地の権利を認めるべきだ。アイヌ民族・琉球民族の子どもたちが民族の言語、文化について習得できるよう十
分な機会を与え、通常の教育課程の中にアイヌ、琉球・沖縄の文化に関する教育も導入すべきだ」と勧告す
る審査報告書を発表しています。」との文も送られてきました。私は戦争のない世界を強く求めたい。自分
自身戦争で父を亡くしているせいか、映画の中でも棺の父親を迎える子供の姿が印象的だった。今は国会前
には2、3人で座っているが、辺野国会に呼びかけたら御高齢な日本基督教会の渡辺信夫先生が来てくださ
り恐縮した。これからも平和を訴えていきたい。
天地万物を包みこむ」 11月15日
霊的な生活を送っていると、私たちの小さなおびえた心は、宇宙の広がりと同じくらいに拡げられます。
なぜなら、私たちの内に宿っているイエスの霊が、すべての被造物を抱いているからです。イエスはみ言
葉です。み言葉によって天地万物は造られました。「天にあるものも地にあるものも、見えるものも見え
ないものも、王座も主権も、支配も権威も、万物はみ子において造られたからです。つまり、万物はみ子
によって、み子のために造られたからです。つまり、万物はみ子によって、み子のために造られました。
み子はすべてのものよりも先におられ、すべてのものはみ子によって支えられています」(コロサイ
1:16-17)とパウロが言っている通りです。したがって、イエスが私たちの内に霊によって生きておられ
る時、私たちはあらゆる人々を心に受け入れるようになります。そればかりでなく、すべての被造物をも
心に受け入れるようになるでしょう。愛はすべての恐れを締め出し、神に属するすべてのものを一つにし
てゆきます。
祈りは、イエスの霊と共に息をすることですが、祈りによって私たちはこのような計り知れない知識へ
と導かれてゆくことでしょう。
(ヘンリ・J・M・ナウエン『今日のパン、明日の糧』より)