なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

使徒言行録による説教(87)

          使徒言行録による説教(87)使徒言行録24:17-27,

・ご存知のように私は約2年半にわたって原告として、結果的には敗訴におわりましたが裁判を闘いました。

船越教会でも長年行っていますフリー聖餐、つまり洗礼を受けていない人でも希望すれば与かることのできる

聖餐式を行ったという理由で、私は日本基督教団から正教師の免職処分受けました。その免職処分に至る手続

きが余にも不当でしたので、人権侵害として教団を訴えました。教団側は政教分離を理由に、私の訴えは司法

が取り上げるに値しない宗教上の問題であるから、裁判で争う問題ではないと主張してきました。裁判所は、

教団側の主張に則する形で、私の訴えは「争訟に値しない」という判断で地裁から最高裁まですべて却下、棄

却となりました。例えば、フリー聖餐の是非を裁判所に判断してもらうということであれば、フリー聖餐は確

かに宗教上の教義に関わることですので、裁判所が取り上げないという判断は正しいと思います。しかし、一

宗教団体の中で宗教的な教義の衣の下で行われた人権侵害であれば、その訴えを裁判所は取り上げて、審議す

べきではないかと思います。その点、私の訴えに対する裁判所の判断には今でも疑問を持っています。

・さて、今私の裁判のお話をしましたのは、今日の使徒言行録の記事も、ある意味ではパウロを被告とする裁

判の場面だからです。そしてここでも私の裁判同様に、問題はパウロを訴える原告である大祭司アナニアと長

老たちの主張が争訟に値するかどうかが問われているのであります。実はパウロはこの場面では被告の立場で

すが、後にパウロローマ皇帝に上訴します。その時にはパウロは原告の立場に立つことになります。イエス

を信じる信仰者には、この世の裁判は関係ないのでは、と思われる方もあるかも知れませんが、イエスご自身

がローマの総督ピラトの下で裁判を受けて、十字架刑に処せられ、殺されました。このイエスの裁判のことを

考えましても、決して信仰者にはこの世の裁判は関係ないとは言えないのではないでしょうか。

・前回の説教で触れましたパウロが訴えられた三つの理由をもう一度思い起しておきたいと思います。,海

男は疫病のような人間で、世界中のユダヤ人の間で騒動を起こしている者であること。◆屮淵競貎佑諒派」

の主謀者であること。エルサレム神殿さえも汚そうとしたこと。この三つです。,鉢△砲弔い討蓮∩芦鵑

所で扱いました。今日の使徒言行録の箇所では、パウロはのエルサレム神殿を汚そうとしたという訴えに対

して弁明しているのではないかと思われます。

・17節、18節でパウロはこのように弁明しています。「さて、私は、同胞に救援金を渡すため、また、供

え物を献げるために、何年ぶりかで戻って来ました。私が清めの式にあずかってから、神殿で供え物を献げて

いるところを、人に見られたのですが、別に群衆もいませんでしたし、騒動もありませんでした」と。これは

事実を述べているわけですが、このことからして、パウロが神殿を汚そうとしたという訴えは、事実に反する

というのです。続けてパウロは、「ただ、アジア州から来た数人のユダヤ人はいました。もし、わたしを訴え

るべき理由があるというのであれば、この人たちこそ閣下のところに出頭して告発すべきだったのです。さも

なければ、ここにいる人たち自身(大祭司アナニアと長老数名)が、最高法院に出頭していた私にどんな不正

を見つけたか、今言うべきです」(19-20節)。アジアから(具体的にはエペソから)来たユダヤ人によってパ

ウロが襲われたということは事実です。彼らはギリシャ人を神殿境内に連れ込み、律法と聖所をパウロが汚し

たと誤解し、騒ぎを起こしました(21:27-28)。しかしその当人たちが、なぜ直接ここに出頭しないかという

点を指摘して、この間接的告発は訴えの根拠がないと、パウロは主張したのです。

・そして23章7節以下の記事に依拠して、「死人の復活」ということが、あの争論の原因となったのだ(つまり

これは、ローマの国家権力の介入すべき問題ではない)と主張して、パウロはその弁明を結んだのです。

・つまりパウロの主張は、自分を訴える原告の主張は宗教的な問題で、世俗の国家であるローマが介入すべきで

はない。ローマの法廷で扱う問題ではなく、その意味でパウロに対する訴えは「争訟に値しない」というのです。

私の裁判での教団側の主張と同じ主張をパウロはしているのです。ただここでのパウロの主張は正しいと思いま

す。本来ならば、そこで直ちにローマ総督フェリクスはパウロの無罪を宣告し、大祭司らの訴えを退けるべき

でした。しかし、フェリクスはそうせずに、先送りします。22節、23節に、「フェリクスは、この道について

かなり詳しくしっていたので、『千人隊長リシアが下って来るのを待って、あなたたちの申し立てに対して判

決を下すことにする』と言って裁判を延期した。そして、パウロを監禁するように、百人隊長に命じた。ただ

し、自由をある程度与え、友人たちが彼の世話をするのを妨げないようにさせた」とある通りです。政治家と

して巧妙な総督フェリクスは、自らが裁く立場を回避しただけでなく、2年間もパウロを監禁したまま、結局

この問題を後任者の総督フェストゥスに先送りするのです(25:1以下)。

・さて、今日の使徒言行録の箇所では、裁判を終えた後、フェリクスとその妻であるユダヤ人のドルシラが、

パウロを呼び出してキリスト・イエスへの信仰について話を聞いたというのです。フェリクスの妻であるドル

シラは、ヘロデ・アグリッパ一世の末の娘で、エメサの王アジズスと彼が割礼を受けてユダヤ教徒になるとい

う条件で結婚しましたが、後に総督フェリクスと相愛の仲となり、離婚という律法違反を犯して、その妻にな

った人物です。高橋三郎さんは、<この二人がパウロから「キリスト・イエスに対する信仰のことを聞いた」

(24:24)とすれば、それは泥沼のような罪の世界に、義の光が照射したということであった>と言っています。

ところがフェリクスとその妻ドルシラとは、パウロが正義や節制や来るべき裁きについて話すと、恐ろしくな

って、パウロに「今回はこれで帰ってよろしい。また適当な機会に呼び出すことにする」(25節)と言ったと

いうのです。

パウロにとって、ナザレのイエスを自分の主・キリスト(救い主)と告白する信仰は、それまでの自分の思

想や生き方や、ものの考え方を根本から変える出来事でした。それゆえに、パウロが、キリスト教信仰におけ

る、「正義」「節制(自己抑制)」あるいは「来るべき裁き」についての教えを示した時に、総督フェリクス

とその妻には、それまでの彼らの貪欲と肉欲に支配された世俗主義的な生き方、ものの考え方から解放される

絶好の機会であったわけです。しかし、この二人はパウロの話を聞いて恐ろしくなったというのです。それは、

パウロの語る福音そのもののもたらす革新的な神の力に触れて、二人は恐怖を感じたということです。ある人

は、この二人は「神の力により、『恐ろしくされた』のである」と言っています。

使徒言行録によれば、この時のフェリクスとパウロの会見の後にも、フェリクスはたびたびパウロを呼び出

して話し合った(26節)と言われています。それはパウロから賄賂をもらおうとする下心からであったという

のです。おそらくフェリクスは、パウロエルサレム教会へ持ってきた献金のことを知っていたでしょうし、

監禁中にパウロを支える人たちを見て、パウロにはお金が沢山あると思ったのでしょう。当時のローマの地方

総督の民衆支配の腐敗の凄まじさは、ローマ皇帝による「賄賂を禁じる勅令の公布」がその実情を明らかにし

ていると言われています。フェリクスもその類の総督だったということでしょう。

・このような今日の使徒言行録の記事から、私たちは改めてイエスを信じる信仰とは何かということを教えら

れるのではないでしょうか。パウロとローマ総督フェリクスとの対照的な姿に信仰とは何かということが指し

示されているように思うからです。イエスを主と信じる信仰者にとって、その信仰は自分の生き方やものの考

え方の根本的な転換でもあります。信仰者は、真に畏れるべき方を畏れる信仰によって、この世の不安や恐れ

から解放された者なのではないでしょうか。この使徒言行録のパウロの審問の記事を読んでいて、前からも繰

り返し申し上げていますが、パウロのその動じない堂々とした態度が際立っています。パウロは、復活のイエ

スとの出会いによって、イエスを通して、自分に命を賜り、今も生きることを許していくださっている神への

信頼を獲得したのではないでしょうか。あなたは罪と弱さの中にあっても、かけがえのない者として、生きる

ことができるのだよ、という神の絶対的な肯定の言葉を聞いたとのだと思います。そこ信仰によって、パウロ

は人間としての軸をしっかりと定めることができたのだと思います。

・一方ローマ総督フェリクスは、ローマ総督という権力の地位にありますが、一人の人間としてはいろいろな

不安と恐れに囲まれていたのではないでしょうか。フェリクスはクラウディウス帝の母アントニアの解放奴隷

でしたが、この皇帝が解放奴隷を地方官に登用する時流に乗って、紀元52年パレスチナの総督に任ぜられまし

た。タキトスの語るところによれば、彼は兄パラスの絶大な権勢を頼みとし、「どんな悪業も罰せられない」

ということだし、ヨセフスは彼が無数の「盗賊」を十字架刑に処した、と伝えています。ここで「盗賊」と呼

ばれているのは、実際はローマからの解放を求める叛乱を起こした人々のことです。・・・この種の反ローマ

闘争は、日ごとに熾烈さを加えて行ったことを、ヨセフスは語っています。これに対して、フェリクスも断固

反撃を加え、連日その処刑に追われたと言います。フェリクスによって、反ローマ運動に、むしろ火を注ぐ結

果となり、ついに、ユダヤ人の代表がローマへ赴き、皇帝ネロに彼の非行を訴えたため、紀元60年彼はついに

失脚するに至ったと言われています。使徒言行録で描かれているフェリクスとは、実際のフェリックスは大分

イメージが違うようです。いずれにしても、フェリクスは、パウロと違って、何時も不安と恐れを抱えて、頼

りにならない己を主人として貪欲と肉欲の支配に翻弄されながら、虚勢を張って生きていた人物だったのでは

ないでしょうか。

・私たちは、監禁されたままの不自由な状態の中でも、パウロの毅然とした態度と、その信仰の確かさを見失

ってはならないと思います。この時代の不安と恐れの中で、イエスを信じ、真におそるべき神との関係におい

て軸をしっかりと定め、この時代の不安と恐れから解放されて、神の前に対等同等な、特にこの社会の中で小

さくされている他者と共に生きていきたいと思います。