使徒言行録による説教(88)使徒言行録25:1-12、
・監禁状態で2年間も放置されたままにされるということが、監禁されている人間にとってどんなに苦しい
ことであるのかは、経験した者でなければ分かりません。パウロは、ローマ総督フェリクスによって2年間
も監禁のままカイサリアの兵営に留められていたというのです。パウロの願いとしては、一刻でも早く自分
が目指すべきローマに行きたかったに違いありません。しかし、パウロは拘束されていましたので、彼には
自由がありませんでした。ローマ行きを自分で試みることができなかったのです。この時パウロはカイサリ
アのローマの兵営にいましたが、カイサリアに移送される前には、エルサレムに駐留するローマ兵がいた館
の中にある兵営にいました。それは、エルサレム神殿でパウロが清めの期間の七日間を終えた時に、事実で
はありませんが、パウロがエルサレム神殿にギリシャ人を連れ込んで神殿を汚したというので騒動が起きて
ユダヤ人からリンチを受けそうになったとき、ローマ兵によって助けられて兵営に連れて行かれたのです。
その夜パウロは、傍らに主イエスが顕われて、「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証しした
ように、ローマでも証しをしなければならない」(23:11)という言葉を聞いたというのです。
・このイエスの言葉はパウロにとってどんなに大きな力であっただろうかということを思わずにはいられま
せん。自分の意志で行動することができない拘束の状態のまま2年間もカイサリアに留まっていなければなら
なかったパウロですが、「ローマでも証しをしなければならない」という幻の中に現れたイエスの言葉は、
パウロのローマ行きは神によって定められているという告知でしたので、パウロはその時をじっと待ってい
たのではないでしょうか。パウロは自ら書いたローマの信徒への手紙の中で、「苦難は忍耐を、忍耐は練達
を、練達は希望を生む」ということを、信仰者であるわたしたちは知っていると言っています。カイサリア
のローマの兵舎に監禁・拘束されていた2年間の時は、パウロにとって正にそのような苦難が希望を生む時
だったのではないでしょうか。
・パウロを2年間カイサリアのローマの兵舎に監禁拘束したままにしていたローマ総督フェリクスは、ユダヤ
人に対するあまりにも横暴な行動を繰り返していたために、ユダヤ人によってローマ皇帝に訴えられて、総
督の地位を失います。フェリクスに代わって就任したのがフェストゥスです。フェストゥスは、総督として
着任して3日たってから、カイサリアからエルサレムへ上って行きました(25:1)。フェストゥスはエルサレ
ムに上って、先ず大祭司をはじめとするユダヤ人の支配層との関係を構築しておこうとしたのではないかと思
われます。ローマ総督としての自分の働き(治安維持)にとって、ユダヤ人支配層との関係をよくしておく
ことは欠かせないことだったからでしょう。
・すると、<祭司長たちやユダヤ人の主だった人々は、パウロを訴え出て、彼をエルサレムへ送り返すように
計らってもらいたいと、フェストゥスに頼んだ。途中で陰謀をたくらんでいたのである>(25:2,3)というの
です。このことは、2年も経過したのに、ユダヤ人の主だった人々はパウロを殺そうという陰謀をあきらめず
に持ち続けていたということを意味します。フェストゥスが総督に就任したのは紀元60年と言われています。
60年代後半にはユダヤとローマは戦争状態に突入します。その結果エルサレムの町はローマによって完全に
破壊され、エルサレム神殿も破壊されてしまいます。60年前後のエルサレムのユダヤ人はユダヤ教を要にし
て熱狂的な民族主義者になっていたのではないかと考えられます。ユダヤ教の一分派のナザレ派とは言いな
がら、非ユダヤ人である「異邦人」に福音を宣べ伝えるパウロのような異質な分子を受け入れる余地がユダ
ヤ人側にはなかったということではないでしょうか。ローマ兵は、ユダヤ人たちがパウロをリンチにかけよ
うとして騒動を起こした時に、エルサレムの治安維持を目的として、パウロを捕えたのだと思われます。そ
の捕えたパウロがローマ市民権を持っているというので、前任の総督フェリクスは、判断を下せずに監禁拘
束状態のまま放置したのでしょう。
・その点新任の総督フェストゥスは、パウロの問題に取り組んで道をつけようと考えていたと思われます。
パウロをエルサレムに連れ戻すように計らってくれという、大祭司たちやユダヤ人の主だった人たちの頼み
に、フストゥスは、自分はすぐにカイサリアに帰るので、パウロもカイサリアに監禁されているのだから、
あなたたちの有力者がカイサリアに告発すればよいではないかと言いました(25:4,5)。フェストは8日か
10日ほどエルサレムで過ごしてから、カイサリアに下り、翌日裁判の席に着いて、パウロを引き出すよう
に命令しました(25:6)。フストゥスは有能な役人だったのでしょう。問題を先送りせず、一つ一つ迅速に
処理していく人物だったと思われます。この裁判でも、ユダヤ人側の訴えは立証できずに、むしろ無罪を
主張するパウロの弁明に説得力がありました。<しかし、フェストゥスはユダヤ人に気に入られようとして、
パウロに「お前はエルサレムに上って、そこでこれらのことについて、私の前で裁判を受けたいと思うの
か」と言います>(25:9)。
・それに対してパウロはこのように言って、皇帝に上訴します。<私は皇帝の法廷に出頭しているのですか
ら、ここで裁判を受けるのが当然です。よくご存じのとおり、私はユダヤ人に対して何も悪いことをしてい
ません。もし、悪いことをし、何か死罪に当たることをしたのであれば、決して死を免れようとは思いませ
ん。しかし、この人たちの訴えが事実無根なら、だれも私を彼らに引き渡すような取り計らいはできません。
私は皇帝に上訴します>(25:10,11)。フェストゥスは、パウロの皇帝への上訴を受けて、陪審の人々と協
議してから、「皇帝に上訴したのだから、皇帝のもとに出頭するように」と答え、裁判は終わります。その
結果、パウロはローマに連行されていくことになります。そのようにして、パウロのローマ行きが実現する
ことになるのです。
・このパウロのローマ行きの実現は、パウロが望んだことではありますが、パウロ自身が企てて実行した結
果、パウロがローマに行けたとうのではありません。パウロは相当自由を与えられていましたが、ローマに
よって捕らわれた囚人でした。ですから、パウロ自身がローマ行きを計画して実行することはできませんで
した。パウロは囚人としてローマに護送されたのです。全く受け身の形でパウロはローマに行くことができ
たのです。
・私はこのパウロのローマ行きのことを、使徒言行録を読みながら思いめぐらしていくうちに、一つのこと
に思い当たりました。それは、イスラエルの民が捕囚の地バビロニアからパレスチナ、エルサレムに帰還で
きたということに通じるものが、この使徒言行録も著者ルカが伝えているパウロの物語にはあるのではない
かということです。捕囚の民がパレスチナに帰還できたのは、バビロニアからペルシャに覇権が変わったか
らです。ペルシャの王様キュロスは、捕囚の民イスラエルに解放令を出して、イスラエルの民を捕囚状態か
ら自由にします。そのことによって、バビロニアの捕囚の民は故郷に帰還することができました。そのペル
シャの王キュロスを、第二イザヤはヤハウエの「牧者」、「主が油注がれた人」(メシア)と言っています。
イザヤ書44章28節、45章1節にこのように記されています。<キュロスに向かって、わたしの牧者、/わた
しの望みを成就させる者、と言う。/「主がエルサレムには、再建される、と言い/神殿には基が置かれ
る、と言う。/主が油注がれた人キュロスについて/主はこう言われる。/わたしは彼の右の手を固く取
り/国々を彼に従わせ、王たちの武装を解かせる。/扉は彼の前に開かれ/どの城門も閉ざされることは
ない。>
・ヘブル語聖書(旧約聖書)によれば、イスラエルは神に選ばれた民です。モーセが指導者になってイスラ
エルの民が奴隷の地エジプトを脱出したという出エジプトの物語は、正に神に選ばれたイスラエルの民が主
体になって解放を獲得する物語です。そのイスラエルの民を神が導き給うのです。ところが、捕囚の民イス
ラエルのバビロニアからの解放は、イスラエルの民が主体的に神に導かれて捕囚の地バビロニアから故郷パ
レスチナに帰還したのではありません。ペルシャ王キュロスの解放令による受け身の解放です。これはパウ
ロのローマ行きと相通じるのではないでしょうか。
・ローマの信徒への手紙の最初の所に、パウロはローマの教会への訪問についてこのように書いています。
そのところで、<・・・神が証ししてくださることですが、わたしは、祈るときにはいつもあなたがたのこ
とを思い起し、何とかしていつかは神の御心によってなあたがたのところへ行ける機会があるように、願っ
ています。>(1:9,10)と言い、<・・・・何回もそちらに行こうと企てながら、今日まで妨げられている
のです。>(1:13)と言っているのです。パウロはローマ行きを何回も企てながら、実現しなかったという
のです。つまり、パウロは主体的にもローマ行きを何度も試みたというのです。ただ成り行きに任せている
のではなく、自分から道を拓こうと何度も努力したというのです。でも、実現できなかったのです。
・ところが、使徒言行録によるパウロのローマ行きは、囚人として連行されて行くのです。パウロがローマ
でもイエスの福音を証しするのは、幻に現れた主イエスの言葉によれば、パウロは「ローマでも証しをしな
ければならない」(ローマでも必ず証しをする)のです。ここでは前にも申し上げたように、神の必然を表
わす「必ず・・する」デイが使われているのです。
・このようなパウロのローマ行きに示されている神の必然は、思わぬ形で実現していくのです。パウロにと
っては大祭司たちをはじめとするユダヤ人たちも、ローマの総督もローマの兵隊も敵対的な人たちです。そ
の敵対的な人々を通してパウロのローマ行きが実現していくのです。バビロニアの捕囚民にとって、ペルシャ
王キュロスによってエルサレム帰還が実現したように。
・このことは、私たちが平和の実現を信じ、希望するときにも、主体的に私たちが平和の実現のために働く
と共に、神は様々な人たちを動かすことによって、思わぬ形で平和への道を開かれるということをも忘れて
はならないと思うのです。「苦難が忍耐を、忍耐が練達を、練達が希望を生む」ということを。