なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

使徒言行録による説教(98)

          使徒言行録による説教(98)使徒言行録28章17-22節、

ローマ皇帝に上訴したパウロは、未決囚としてローマに到着しました。途中パウロらの乗っていた船が難

破して、命からがらマルタ島に上陸し、そこで3か月間滞在しました。そういう危機的な経験をして、カイザ

リアからローマまで囚人としてローマの百人隊長の下で護送されて、ローマにやってきたのです。ローマで

は未決囚として一人の兵士の監視下に、一件の家を自分がお金を出して借りて、そこに住んでいたようです

(28:30に「パウロは、自費で借りた家に丸2年住んで、・・・」と記されています)。その家でパウロは軟

禁状態に置かれていたのではないかと思われます。自分からは、自由にローマの街に出て、ユダヤ人の会堂

や、ギリシャアテネで行ったように、街の広場で人々に福音を宣べ伝えることはできませんでした。しか

し、自分の家に人を招いて、招いた人々に福音を語ることはできたようです。次回扱います使徒言行録28章

23節に、「パウロは、朝から晩まで説明を続け、神の国について力強く証しし、モーセの律法や預言者の書

を引用して、イエスについて説得しようとしたのである」と記されている通りであります。

パウロは未決囚で、ローマの市民権を持っていましたので、ローマ皇帝に上訴していますが、まだ裁判を

受けて刑が確定していませんでしたので、このようなある程度の自由な行動が許されたのでしょう。しかも、

パウロ自身は、自分は無罪であると確信していたと思われます。囚われの身ではありますが、自分の家に訪

ねてくる人々には、心置きなく福音を弁明することができたようです((28:30,31参照)。ローマに行くこと

を切望していたパウロにとっては(ローマ1:8-15参照)、例え囚われの身であっても、ローマに来ることが

出来たのですから、望みがかなえられたわけです。この機会を積極的に用いて、福音宣教の使命を果たして

いくのだというパウロの気概が伝わってくるようです。

・ボンフェッファーがヒットラー暗殺計画に加わったということで、ナチスの秘密警察ゲシュボに逮捕され

て獄中にあった時、彼は、イエスの福音を証言する聖書の言葉をもって、囚人たちを慰め励ましたと言われ

ます。それは、どんな状況にあっても、唯一の慰めの言葉、イエス・キリストの福音によって、人は慰めら

れ励まされるというボンフェッファーの信仰の証言であったと思われます。

イエス・キリストの福音を信じるということは、それほどに何物にもかえられない大きな喜びであります。

キリスト教や教会の拡張などということを超えて、イエスによってもたらされた福音に与かって、他者と共

に生きていきたいという情熱こそ、ローマに到着したパウロの内面そのものだったのではないでしょうか。

使徒言行録の著者ルカが伝えていますローマ到着後のパウロの振舞に、私はそのような思いを持つのであ

ります。

・ルカは、ローマ到着後三日たってから、パウロは重だったユダヤ人を招いて語り合った次第を次のように

述べています。17節ですが、「三日の後、パウロはおもだったユダヤ人たちを招いた。彼らが集まって来た

とき、こう言った。『兄弟たち、わたしは、民に対しても先祖の慣習に対しても、背くようなことは何一つ

していないのに、エルサレムで囚人としてローマ人の手に引き渡されてしまいました』」と。21章の叙述

によれば、パウロエルサレムユダヤ人からリンチされそうになったところを、ローマの兵士に救い出さ

れたのでありました。しかしここでは、そのようなエピソードには言及せず、パウロユダヤ人の告訴によ

って獄に囚われの身となったということだけを、簡潔に要約しているのであります。

・18節、19節にはこのように記されています。「ローマ人はわたしを取り調べたのですが、死刑に相当する

理由が何も無かったので、釈放しようと思ったのです。しかし、ユダヤ人たちが反対したので、わたしは皇

帝に上訴せざるをえませんでした。これは、決して同胞を告発するためではありません」。

・ここも、厳密に言えば「パウロがカイザルに上訴していなかったら、ゆるされたであろうに」と言ったの

は(ローマの官憲ではなく)アグリッパ王でありました(26:32)。また、パウロをローマ人の総督が釈放し

ようとしたかどうかは必ずしも明らかではなく、むしろ総督がユダヤ人に気に入られようとして、エルサレ

ムで裁判をすることを提案したために、パウロは公正な裁判を求めて皇帝に上訴せざるをえなかったという

事情がありました。今までの叙述との比較から、そのような細かなところの違いはありますが、全体として

考えてみますと、パウロユダヤ人の迫害のためにエルサレムで拘束され、またユダヤ人の悪意のためロー

マ皇帝に上訴せざるを得なかったことは確かですから、この部分の叙述も間違っているわけではありません。

要するに、パウロは、自分はやむをえぬ事情によって裁判を受けるためにローマに来たのであって、ユダヤ

人の同胞に対してなんの悪意も抱いていないということを訴えているのです。その上で、

・「だからこそ、お会いして話し合いたいと、あなたがたにお願いしたのです。イスラエルが希望している

ことのために、わたしはこのように鎖につながれているのです」(20節)と、パウロは語っているのです。こ

の後半の言葉は、まさに事態の中心を突く鋭い洞察でありました。ユダヤ人は、待望のメシアはまだ来てい

ないとして、なお待ち望み続けていますが、キリスト信徒は、イエスにおいて待望のメシアがすでに到来し

た、と信じているのです。これが両者を分かつ決定的分岐点であり、パウロはその故にこそ、同胞の告訴を

受けているのであると言っているのです。

・これを聞いてローマのおもだったユダヤ人たちは、このように答えました。「私どもは、あなたのことに

ついてユダヤから何の書面も受け取っておりませんし、また、ここに来た兄弟のだれ一人として、あなたに

ついて何か悪いことを報告したことも、話したこともありませんでした」(21節)と。

・この彼らの応答は、私たちを驚かせます。すでにエルサレムの騒乱以来、二年以上もたっているばかりで

なく、当時のエルサレムとローマの間には、活発な交流がありましたから、あの事件がローマに伝わってい

ないとは、とうてい考えられないからです。どういう事情があったのかは分かりませんが、パウロについて

の悪意ある報告がローマのユダヤ人たちに届いていなかったのは、大変幸いなことでした。ローマのユダヤ

人たちが偏見なくパウロと話し合うことができたからです。しかもローマのユダヤ人たちは積極的にパウロ

から聞こうとする態度を持っていました。22節前半に、「あなたの考えておられることを、直接お聞きした

い」とある通りです。ここには、単なる風聞によって偏見を抱くことなく、直接その言い分を確かめた上で、

誤りなき判断を下したいというローマのユダヤ人たちの思いが表れています。

・ただ22節の後半「この分派については、至るところで反対があることを耳にしています」というローマの

ユダヤ人たちの言葉からしますと、実際には、パウロについての悪評も、すでにローマに伝わっていたのか

も知れません。

・ですから、このところのローマのユダヤ人たちの応答は、歴史的事実であったのか、使徒言行録の著者ル

カの文学的構成なのかはよく分かりません。ただローマに到着したパウロが、まず初めにユダヤ人たちを招

いたということは事実に違いありません。なぜパウロは、エルサレムユダヤ人に捕えられて殺されそうに

なって、ローマ皇帝の上訴して、未決囚としてですが、やっと念願のローマにやっと来れたのに、そのロー

マでもまず最初にユダヤ人たちを招いたのでしょうか。

パウロが書いたローマの信徒への手紙9章から11章には、ユダヤ人のことが記されています。そこには神

の救済は、まずユダヤ人に与えられましたが、ユダヤ人が神に逆らったので、異邦人に向かい、異邦人が神

の救済に与かることによって、ユダヤ人が悔い改めて、最終的には異邦人もユダヤ人も神の救済に与かるこ

とができるという、神の壮大な計画が述べられています。そこでは、神は逆らう民をも見捨てずに誠実に救

いの働きを一歩一歩進めていかれる方であるということが語られています。

パウロユダヤ人として同胞の悔い改めのために、並々ならぬ情熱を注いでいました。そのようなパウロ

の同胞への愛は、「わたし自身、兄弟たち、つまり肉による同胞のためならば、キリストから離され、神か

ら見捨てられた者となってもよいとさえ思っています」(ローマ9:3)というパウロ自身の言葉によってよ

く示されています。パウロは、福音宣教をした町で、まずユダヤ教の会堂に行き、ユダヤ人に福音を語り、

そこで反発するユダヤ人に繰り返し出会っていたに違いありません。それでもまずユダヤ人からというのが

パウロの強い思いでした。ローマでまずユダヤ人たちを招いたのは、そのようなパウロユダヤ人に注いで

いた情熱からでした。

・私たちは、このようなパウロの姿勢に学ぶ必要があるのではないでしょうか。まず第一に、イエス・キリ

ストの福音への絶大な信頼です。パウロがローマに行きたいと願い、このような形でローマにやって来たのは、

上訴したためですが、それ以上にパウロは、ローマの人々とイエス・キリストの福音を分かち合いたいと願っ

ていたのです。身近なユダヤ人たちと、として見知らぬ他者である異邦人たちと。第二に、パウロは、効率

を求めませんでした。何度も何度もパウロユダヤ人の反発を受けたのですから、ユダヤ人を飛び越えて、

最初から異邦人に福音を宣べ伝えでもよかったろうと思おうわけですが、まず同胞の身近なユダヤ人たちに

イエス・キリストの福音を語ったのです。第三に、人々の中に信仰を呼び起こすのは、神ご自身であって、

自分の力ではないという信仰です。コリントの信徒への手紙一にこういうパウロの言葉があります。「わた

したちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、

異邦人には愚かなものですが、ユダヤ人であろうがギリシャ人であろうが、召された者には、神の力、神の

知恵であるキリストを宣べ伝えているのです」。そもそも十字架につけられたキリストを宣べ伝える福音宣

教は、「ユダヤ人にはつまずかせるもの」であり、「ギリシャ人には愚かなもの」なのです。そのつまずき

や愚かさを超えて、人々がイエス・キリストへの信仰に導かれるのは、神の召し以外の何ものでもありませ

ん。

パウロはそのことを信頼して、十字架につけられたキリストを宣べ伝えているのです。言葉とその生きざ

まを通して。