なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(199)

船越通信癸隠坑后 。横娃隠鞠2月22日    

・15日の日曜日は、久しぶりにAさんが礼拝に出席し、まだ体調は万全とは言えないようですが、比較的お

元気にしておられるので、うれしく思いました。礼拝後の懇談では、もっぱら泌尿器科系の病気の話になり、

私も症状からすると、前立腺に関係するようで、一度泌尿器科で診てもらうように勧められました。また、

食事の話になり、お連れ合いを2年前に天上に送ったAさんは、なかなか自分で食事を作るのに苦労している

ようです。食事作りは、ある面で慣れではないかと思いますが、若い時に作らざるを得ない環境に置かれた

人は、年をとってもそう苦労なく食事作りはできるように思います。その点、私の場合は中学時代後半から

母が寝たきりになり、自分で作らざるを得ない状況に置かれましたので、食事作りは何とかこなせるように

なっています。ただ美味しい味付けや、料理のバラエティーまでの腕はなく、食べることは人の手を借りな

くても何とかできるという程度です。以前紅葉坂教会時代に単身赴任の方が、冬の時期には水炊きのような

鍋でなんとかしのいでいるという話をしていましたが、船越教会にいるときには、私も冬場は殆ど毎回水炊

きをしています。最近は、味がついた鍋のスープがいろいろスーパーに出ていますので、それを使うことも

あります。塩麹のちゃんこ鍋スープとか、寄せ鍋のスープとか、キムチ鍋のスープとか、いろいろあります。

一通り試してみましたが、タラやエビやホタテなどの魚類に野菜を入れる寄せ鍋のスープが、一番美味しい

ように思います。

・さてこの週は前半、16日の月曜日に鶴巻に帰ってから、20日の金曜まで、どこにも出かけることもなく、

鶴巻で過ごしました。やらねばならないことが一つあり、目先の課題に追われて後回しにしてきていました

が、少し集中してその作業に時間を取ることができました。それは、名古屋時代の人から私の説教集を是非

出して欲しいと、昨年5月ごろに言われ、名古屋時代の別の方から当時の私の説教テープを聞いて、これを

と思うものを大分送ってもらっていて、そのテープ起しもある程度できていますし、紅葉坂教会時代の説教

もテープ起ししてくれる人があって、これもある程度そろっているのですが、自分としてはどうもこれを出

す意味があるのかという思いがあり、なかなかこの作業が進まないでいました。私に説教集を出すように勧

めてくれた名古屋の方も大分お年を召していますので、できれば今年の前半6月ごろまでに出せるようにと、

これから頑張っていきたいと心に決めました。船越教会に来てから、ほぼ完全原稿(と言っても、実際の説

教では多少アドリブがはいったりしますが)を作っていますので、マルコによる福音書の1章から6章までの

説教原稿と、上記の説教テープから起こした名古屋時代の御器所教会と紅葉坂教会時代のものを二つか三つ

ずつくらい加えて、それに2011年度の福音と世界に掲載させてもらいました聖書随想を再録して一冊にする

ことにしようと思っています。この船越通信にこの自分の決意を公にすることによって、退路を断って、取

り組んでいきたいと思います。

20日金曜日の夜に寿地区活動委員会があり、出席しました。神奈川教区では次年度より各委員会の委員長

は2期以上継続できないことになっていますので、来年度の寿地区活動委員会の委員長も私はできませんの

で、新しい方を選ぶことになりました。一応引き受けてくれる方が決まり、ほっとしました。私が寿地区活

動委員会の委員長に就任したのは2002年4月ですから、この2015年3月末で13年間委員長を務めたことになり

ます。委員になったのは1996年4月からですので、委員もこの3月で19年していることになります。一昨年寿

地区センターの30周年の記念の会がありましたので、寿地区センターの活動30年間のほぼ3分の2近く関わ

っていることになります。これからも委員の一人として健康が許される限り寿地区センターの活動を支えて

いきたいと思っています。

・21日土曜日には、紅葉坂教会で教区の核問題小委員会主催の「福島の現実を聞かせて」という主題で、お

二人の方のお話を伺いました。チラシにあるお二人のプロフィールは以下の通りです。関ジョニー(本名関

久雄):<岩手県生まれ。横浜にて無農薬八百屋「八百萬屋」を開業。チェルノブイリ原発事故をきっかけ

脱原発運動に参加。自作の詩を歌うようになる。1994年に福島県二本松に家屋と共に移住。現在、自然体

験宿泊施設NPO法人「りょうぜん里山がっこう」事務局として活動しながら、福島の子供たちの保養にも取

り組んでいる。>、星ひかり(ペンネーム):<東京生まれ。結婚後、福島で3人の子どもを育てながら地

域で活動をする。郡山にて被災。1週間の避難所生活を経て、東京の妹宅へ娘2人を連れて避難。以後東京

で生活再建をする。深い喪失感から自分の言葉を失うが、ふつふつとした思いを詩に書きはじめ、自分の

体験や福島の現状を語り始める。仕事や子育てのかたわら、歌や詩の朗読を通して、命、平和を語る活動

を続けている。「つながろう!放射能から避難したママネット」会員。NPO法人ココロとカラダを育てる

ハッピープロジェクト副代表。>

・お二人のお話を聞いて、お二人のお話しに共通していた二つのことが心に響きました。一つは同じ被災を

受けた者や支援の運動を共にしている者の中に起こるいがみ合いや分断という問題です。このいがみ合いや

分断を越えて、被災の現実を伝えていき、支援の輪をどうつくり出していくかという課題です。お二人とも、

何かに突き動かされて、これをしなければとの思いで動いているという趣旨のことをおっしゃっていました。

お二人とも、それを祈りという言葉で言い表していたように思います。もう一つは、星ひかりさんが、生存

権を保障する憲法25条に触れながら、結局は命を守ること、普通に生きていくことが出来ることに尽きるの

ではという趣旨のことをおっしゃっていましたが、このことは関さんもおっしゃっていました。星さんは、

避難者の母親の中には、疲労がたまって人間が崩れ、子どもを虐待してしまう人もいると、被災の厳しい現

実の一端も語っていました。そして、いつまで経っても、このことを忘れないでくださいと。