船越通信癸横僑押 。横娃隠暁5月22日
・15日はペンテコステの礼拝でした。今回はペンテコステの礼拝案内を出すことができず、またこの日に
都合の悪い方が教会員の中に数名いて、礼拝出席者は少ない人数ではないかと思っていました。ところが、
多くはありませんが、12名の出席者があり、共にペンテコステの礼拝に与かりました。私は、聖書日課
からテキストを選び、ヨハネ福音書14章15-27節に基づいて説教をしました。ヨハネ福音書のイエスの告
別説教の一節ですが、イエス、父なる神、弁護者である聖霊が一体として語られているところです。私は
説教の中でめずらしく三位一体について説明の言葉を加えました。古代教会における教義形成において三
位一体論とキリストの人性と神性の両性論、まことの人でありまことの神であるキリストが中心的な教え
として採択されたわけであります。このようなキリスト教の教義については、おそらく歴史的に聖書を読
む者には全く観念的なもので、教会の護教のためのものに思えるかも知れません。けれどもバルトの教会
教義学も三一論的構造によって書かれていますが、バルトの三一論は決して護教的とは思えない豊かさが
感じられます。ですから私は三位一体という神についての教えは、神の豊かさの表現として捉えたいと思
っています。ただ教義の神聖化には私は否定的ですので、三位一体なる神など信じられないという人には、
信じられないのならば、信じなくでもいいのではないですか、と言うようにしています。若い時には、そ
ういう人にはむきになって教義の弁護をしたように思いますが。この日の礼拝には聖餐式もありました。
礼拝後いつものようにお菓子をいただきながら、お茶を飲んで、しばらく懇談して散会しました。その後
も関本達也さんと中野順子さんが、午後2時半ごろまで庭の手入れをしてくださいました。梅の木にカイ
ガラムシ(?)なのか、仁丹を少し大きくしたような黒い粒が枝にびっしりついているのです。その枝を
切ってしまおうということになりかけましたが、良く調べてからにしようということになりました。二人
が帰った後、しばらく仕事をして、この日も鶴巻に帰りました。このところ船越教会の私の滞在日は、原
則として土曜日から月曜日になっていますが、実際には金曜日から日曜日夕方までになっています。悪し
からずご了承下さい。
・先週はほとんど毎日集会などで出かけましたが、この週に出かけたのは、17日火曜日の農伝と20日
金曜日の寿地区活動委員会の2回だけでした。農伝の説教演習では今回4年生で、来年3月卒業する二人に使
徒言行録3章1-10節をテキストに説教をつくってきてもらい、農伝の礼拝堂で実際に説教をしてもらい、
の後教室に戻って講評の時を持ちました。二人共よく準備した説教でした。ただ何となく私には二人の説
教を聞いていて、違和感のようなものを体で感じてしまいました。それは何なのだろうかと考えてみまし
たが、二人共「語る」ことが優っているからではないかと思うのです。私は説教者には「聞く」姿勢が大
切ではないかと考えています。説教は聖書から何を聞き、それをどのように語るかですが、聖書に聞くと
いう作業は、ある意味で聖書との格闘のようなものです。毎回毎回聖書と格闘して、聞いたメッセージが
その人ならではのものであるかが大切なように思います。かく言う私自身がそのようなメッセージを語り
得ているかに自信はありませんが、そういうその人の主体を通した聖書の解き明かしが、その人固有の証
言になるのではと思うのです。ですから、説教者には会衆と共に聖書から聞くという姿勢が不可欠のよう
に思えるのです。説教を語る者が、語る自分に何がしかでも酔うものを持ってしまったら、会衆との間に
隔たりが生まれてしまうのではないでしょうか。会衆より自分を一段上に置いてしまっているからです。
この日の講評では、そこまでは話しませんでしたが、この一年間のどこかでこの問題を一緒に考えてみた
いと思っています。
・寿地区活動委員会では、毎回寿地区センターの活動だけではなく、寿地区センターと関連が深い諸団体
の報告も聞くことになっています。今回私も可能な限り裁判に傍聴した難民として日本に来たコンゴのM
さんが、裁判所から国にMさんの難民申請を認めるようにという判決が出て、今どうされているかをカラ
バオの会の報告で伺いました。生活保護を受けて何とか日本で生活しているとのことでした。ぜひこの日
本社会の中で生きる道が整えられるようにと願わずにはおれません。協議では主に5月28日(土)に予定
しています、寿地区活動委員会主催の講演会の打ち合わせをしました。今回の講演会は講師が『難民高
校生』を書いた仁藤夢乃さんです。・・・最初参加者が少人数でしたが、委員会では100名を越える申
込者があるということで、一安心しました。性を売り物にさせられている高校生の実体は、私の想像以
上のようで、この社会の病理の現れですが、仁藤夢乃さんからその現実の一端を聞けるのではないかと思
っています。私はこのところずっと寿地区センターの講演会では講壇の正面に掲げる横断幕を書いてい
ますが、今回もその役割を与えられました。