なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(361)

 今日(5月3日)から6日まで神奈川教区のリフレッシュ@かながわ(福島家族の保養)が行われます。

私は今日(3日)と明日4日ボランティアとして参加します。被爆の恐れの中で生活している福島の方々を

少しでも支援していきたいと思います。    



       船越通信、癸械僑院   。横娃隠固4月29日   北村慈郎


・22日(日)の礼拝には耳の不自由なOさんが出席したいと、前週に連絡がありました。Tさんからは、

説教原稿をパソコンに入れておき、当日の礼拝でOさんに紙原稿ではなく、パソコンで見てもらいたいと

いう要望がありました。その時は前もって説教が出来るかどうかわからないので、Tさんには確約はでき

ないと申し上げました。何時も私の説教は礼拝の直前にならないと、その日の礼拝でする説教の全体の構

想がまとまり、原稿にすることができないからです。これは長年の私の癖のようなもので、どんなに時間

があっても、礼拝の直前まで、ああだこうだという逡巡が続くのです。礼拝の直前になると、物理的にこ

れ以上逡巡できないので、これでいこうと、大げさに言えば清水の舞台を飛び降りるつもりで、決断せざ

るを得ないわけです。それが私の説教準備が終わる時です。その私の出来上がった説教原稿をメールでT

さんに送っても、その時にはTさんは既に家を出て教会に向かっているに違いありません。ということ

で、Tさんには前もって説教原稿を送ると確約ができなかったのです。けれども、22日の日曜日は朝7時ご

ろには、その日の説教原稿が完成しましたので、それをTさんにメールに添付して送ることができまし

た。ですから、その日礼拝では、Tさんが横について、私の話の順序に従って、Oさんにパソコンで説教原

稿を読んでもらうことができました。


・礼拝後お茶をいただきながら、Oさんの質問に私が紙に書いて答えるという形で、Oさんと筆談をしまし

た。Oさんは、日本基督教団信仰告白と教憲教規を法的な拘束力として考える立場を意識してか、「信

仰告白」について私がどう考えるかという質問をされました。私は日本基督教団信仰告白について普段

考えていることを紙に書いて説明しました。教団信仰告白は1954年の成立で、内容的には戦時下教団の教

義の大要の焼き直しで、使徒信条にプロテスタントの基本的な教義を前文にしたものであること。当時の

教団は戦後自由になって教団成立以前の教派の教会に戻る教会離脱の問題(会派問題)に直面していて、

信仰告白のない教会はあり得ないという長老教会の一部も教団を離脱したが、教団内に留まった長老主義

教会を意識して、長老主義教会も教団内に留めるために教団信仰告白を制定したという面があること。信

仰告白は本来「今ここで」という状況的な教会の讃美・告白であるという面からすると、教団の信仰告白

には戦時下の教団の戦争協力についての反省が一切なく、とても状況的な教会の信仰告白とは言えないと

いうこと、等を紙に書いて説明しました。もう一つの質問は、横浜地区集会での講演についてです。講演

者がその講演の中で寿地区センターの活動を批判していたのが気になったということで、その点当日自分

も発言したが、Oさんは私が寿地区センターを支える教区の委員会である寿地区活動委員会の委員長であ

るということもあって、どうなのだろうかということでした。私はその講演者の教会と寿地区センターの

日雇労働者野宿生活者に対する関わり方の違いが背景にあるのではないかという説明をしました。横浜

地区総会に出た他の方からもOさんと同じような趣旨のことを聞いていましたが、日雇労働者や野宿生活

者に対する関わりのあり方で、どちらが正統なのかというような話には、私自身は付き合うつもりはあり

ませんが、必要な時には何らかのコンタクトを考えたいと、Oさんにはお話ししておきました。この日の

礼拝は比較的早めに終わりましたので、Oさんとの筆談を終えて、12時40分ごろには散会しました。その

後私はいつものように来週の準備をしました。そして午後2時頃Hさんが届けてくれました2017年度の教会

会計の報告と共に教区に提出する船越教会の諸報告を整え、それにオリエンテーション委員会と寿地区活

動委員会の年度報告をもって船越教会を出ました。途中蒔田の教区事務所のポストにその三つの書類を入

れてから、鶴巻に帰りました。


・26日(木)は、午前中は横浜地裁で安保法制違憲訴訟の第6回口頭弁論があり、この日は前もって原

告の一人として傍聴できるという連絡をいただいていましたので、傍聴の抽選なしに傍聴席に入ることが

できました。裁判では原告側から弁護士二人と、内戦や戦争があった海外の国で障がい者支援のNGOの働

きに関わっている方の原告意見陳述がありました。まず最初に、新安保法制法の以下4点について憲法

反を指摘している原告側準備書面11について弁護士の一人が意見陳述をしました。∥故危機事態にお

ける集団的自衛権行使を容認したこと。後方支援活動の違憲性。PKO新任務と任務遂行のための武器

使用の違憲性について。こ宛魴蛎發良雋鐡勀標遒琉齋硺。次にもう一人の弁護士からは、安保法制法に

よって日本の社会がどのように変わってしまうかを裁判所が良く理解されるようにという観点から意見陳

述がありました。最後の所を引用しておきます。<軍隊をもつことで、一瞬わずかばかりの安心が得られ

るかもしれません。しかし、それで危険は増すことはあっても減ることはありません。精神的な安心を求

めることは、逆に客観的には安全を害することにつながるのではないかと思います。/また、いつでも戦

える国・戦う準備をする国になることは、国の政策もそれに応じて根本的に転換され、財政・教育・福祉

その他国の政策全体のなかで、軍事的必要性が優先されていきかねないことを意味します。/そして、戦

争遂行体制ないしその準備体制の構築に向けて、個人よりも国家に価値をおき、国家・公共のために個人

の権利制限が当然視され、日常の社会生活や文化においてもそのような価値観の浸透が図られることにな

りかねません。/戦争で人を殺し、殺されることもなく戦後72年を過ごしてきた平和なこの国を、少なく

ともこのままの形で次の世代に手渡したいものです>。NGOで働いている方は、<安保法制が成立してし

まった今、・・・(日本が)紛争に武器をもって参加するような事態になった場合、これまで築いてきた

「武力は使用しない」ことによる信頼が崩れ、現地で活動する人々の安全が脅かされることを強く懸念し

ます>と言い、<私は今後も、海外に行きますが、自分の安全が護られるため一番大事なのは、日本が武

力を行使しない国である、という立場をこれからも維持することです>とおっしゃいました。裁判傍聴後

YWCAで行われた報告会にも出て、その後久しぶりに本牧のホームで生活していますNさんをお訪ねしてし

ばらく懇談してきました。姉妹は比較的お元気で安心しました。