なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(369)

    船越通信、癸械僑后   。横娃隠固6月24日   北村慈郎


・17日(日)の礼拝には聴覚に障がいのあるOさんが出席することになっていましたので、何とか説教

原稿を土曜日には完成しようと努力しましたが、どうしても無理でした。土曜日の夜10時過ぎに17日

の日曜日の礼拝でOさんの隣でパソコン通訳をしてくださるHさんには、説教の完成は日曜日の朝7時頃に

なりますと、メールで連絡しました。Hさんからは日曜日の朝UBSで説教原稿をもらえれば、大丈夫ですと

いうことでした。日曜日の朝は10時過ぎに自宅からパソコンを持って来て下さったHさんにUBSに入れた説

教原稿を渡し、説教原稿をHさんのパソコンでOさんに読んでもらうことが出来ました。Oさんには紙原稿

も渡しましたが、紙原稿だけではどこを私が話しているのか分かりません。私の話に従ってHさんが説教

原稿の当該箇所をパソコンの画面に映し出してくれましたので、その方がOさんにとっても分かり易いの

ではないかと思われます。前回もOさんが船越教会の礼拝にいらしたときには、日曜日の朝説教原稿を

メールでTさんに送り対応していただきました。早めに説教原稿を完成できればいいのですが、長年の私

の癖で、最終的には日曜日の朝にならないとなかなか完成しません。そのためにお二人にはご迷惑をおか

けしてしまっていますが、お許しください。


・この日の礼拝後には、17日の船越通信にも書いておきましたが、「キリストの風」集会から私たちの

教会に寄せられているアンケートのことを、礼拝出席者のみなさんにお話ししました。そのアンケートの

回答を8月末までに出したいと思いますが、それまでに一度礼拝後にみなさんと話し合う機会を持ちたい

と思っていることをお伝えしました。この日は、その後みなさんとお茶を飲んでしばらく懇談して散会し

ました。その後、私は次週の準備をしてから、23日の教区総会議案、私の戒規免職撤回議案の補助資料A

424頁を240部印刷と組合せをしてから、それを持って鶴巻に帰りました。


・18日(月)は、午前中上記補助資料を240部完成させ、午後1時30分に教区事務所に持って行き、教区

総会資料の封筒に入れました。その後教区事務所2階で行われていた本年度のリフレッシュ@かながわの

報告集作成の作業を手伝いました。こちらはA424頁で700部ということですが、働き手が6~7人いました

ので、午後4時過ぎには完成しました。こちらも教区総会資料の封筒に一部ずつ入れ、更に教区の107の教

会・伝道所に一部ずつプラスそれぞれの教会のボランティアの数分を封書にして、教会総会当日寿地区セ

ンターの資料に入れさせてもらって、各教会・伝道所に配布するということです。それでも残ったのは郵

送することになります。


・19日(火)は10:05~10:25に行われる農伝のチャペル礼拝の説教担当に私がなっていましたので、朝8

時過ぎに鶴巻の自宅を出て、近くのコンビニで午後の農伝の説教学の資料をコピーしてから農伝に向かい

ました。農伝のチャペルが終わった後、私は農伝の図書室の中にある自習机で午後の授業の準備をしまし

た。正午になりましたので、この日は農伝の昼食をお願いしてありましたので、学生や教師のみなさんと

食堂でカレーとサラダの昼食をいただきました。農伝は授業のある時には昼食だけ賄いをしてくださる方

がいて、食事を用意してくださっています。授業の無い日と授業のある日でも昼以外の朝も夜も寮生は自

炊をしているようです。私は1960年代前半に東京神学大学(以下東神大)に入学しました。その頃は東神

大の校舎と男女の学生寮は、井の頭線井の頭公園駅から少し歩いた牟礼というところにありました。食

堂もあり、普段は3食その食堂でつくられたものを食べましたが、余り美味しかったという記憶はありま

せん。むしろ夜でかけて帰ってからする食事は、冷たくなっていましたので、何ともわびしい感じがしま

した。ある夏には神学校の食堂で赤痢が発生し、入院する学生が出たことがありました。私は幸い入院は

しなかったのですが、食堂は保健所による消毒が行われ、一時閉鎖しました。その食堂を利用していた寮

生で、入院しなかった私たちは寮から外に出られないで、カップラーメンでしのいだことがありました。

牟礼には3年の終わりまでいて、東神大はそこを東京女子大に売って資金を作り、私が4年からは三鷹の大

沢にある国際基督教大学(以下ICU)の敷地の一部に移転しました。その時から東神大の学生もICUの食堂を

利用するようになりました。牟礼の時の食事からすると、ICUの食堂の食事は格段に良く思えました。私

は東神大の大学院に入った時に結婚し、横浜の大倉山のアパートで連れ合いと暮らすようになりましたの

で、ICUの敷地に移ってからの東神大の寮生活は1年間だけでした。ICUの敷地に東神大が移ってからはと

もかく、牟礼時代の寮生活での食事は貧しかったとしか言いようがありません。その時の食事からすれ

ば、農伝の昼食は大変豊かでおいしく感じられます。


・23日(土)は午前10時から清水が丘教会で第140回教区総会がありました。私は午前9時頃には清水

が丘教会に着き、受付で登録する人に、寿地区センターのニュースなどの印刷物を各教会・伝道所にもっ

て行ってもらうためにお願いして渡す作業を手伝いました。受付する人を見て、顔と所属教会が一致する

人が段々少なくなっており、それだけ教区の諸教会・伝道所の教職議員、信徒議員に新しい顔の人が多く

なっているということです。今回の総会では、しばらくなかった准允・按手の前に日本基督教団信仰告白

を唱和するという動議が出ました。賛否意見の後採決しましたが、否決されました。ただ以前よりは賛成

が多くなっているように思われました。教団総会議員選挙はかながわ明日の教団を考える会推薦者は、信

徒5名は当選しましたが、教職の方が推薦5名中3名が当選で、2名が落ちてしまいました。今回の総会に

は、教区総会決議秋の教団総会議案が二つとも、私の戒規免職撤回議案と聖餐論議の場設定議案ですが、

138名中100名ないし99名の賛成多数で可決しました。また、天皇の「退位」「即位」に関する政府への要

望議案も138名中116名の賛成多数で可決されました。