なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

エレミヤ書による説教(91)

  「降伏による平和」エレミヤ書34:1-7   2018年4月22日(日)船越教会礼拝説教


・今日の説教題は「降伏による平和」にしました。「降伏」で思い起こさざるをえないのは、かつてアジ

アの国々に対して侵略戦争をした私たちの国が、敗戦によって降伏したことです。


第二次世界大戦における日本の降伏は、1945年8月14日午後11時、ポツダム宣言受諾を連合国

に通達、8月15日、ラジオの玉音放送天皇が日本の降伏を国民に知らせ、9月2日の降伏文書調印に

よって決定しました。


・ところが、1945年2月には、近衛文麿元総理大臣を中心としたグループが、戦争の長期化がソビエト

邦軍による日本占領により、日本の赤化(共産化)を招くと主張して、戦争の終結を主張する「近衛上奏

文」を昭和天皇に進言しました。しかし、昭和天皇はこれを却下しました。


・もしこの時、昭和天皇が戦争終結を主張する「近衛上奏文」を受け入れて、降伏していれば、1945年4

月1日から始まる沖縄の地上戦も、8月6日のヒロシマへの原爆投下も、8月9日の長崎への原爆投下もなく

て済んだわけです。


・歴史に「もし」はありませんが、日本の降伏がもう少し早ければと思わざるを得ません。「降伏による

平和」によって、多くの人が命を失わずに、また家も町も破壊されずに済んだのです。


・この「降伏による平和」という説教題は、今日のエレミヤ書の箇所で、ユダの王ゼデキヤに語ったエレ

ミヤの預言を読んだ時に、思い付きました。その預言は2節から5節のところに記されています。


・このエレミヤの預言では、ユダの王ゼデキヤが、戦わずにバビロンに降伏するならば、バビロンに連れ

て行かれるけれども、ゼデキヤは剣にかかって死ぬことはない。平和のうちに死に、その葬儀に際しては

歴代の王と同じように、香がたかれ、人々は「ああ、王様」と言って嘆くであろう、と言われているので

す。


・この言葉を、エレミヤがエルサレムでゼデキヤ王に告げた時、バビロン王の軍隊は、ほとんどユダの国

の町々を征服して、エルサレムとまだ残っていたラキシュとアゼカを攻撃していた(7節)というのです。


・このエレミヤの預言に対してゼデキヤ王はどのように応えたのでしょうか。


・そのことは今日のエレミヤ書の箇所には記されていませんが、エレミヤ書の他の箇所を読みますと、ゼ

デキヤ王はこのエレミヤの預言に従いませんでした。ゼデキヤは周辺の小国と同盟を結び、バビロニア

当時覇権を争っていたエジプトを頼って、バビロン軍と対峙します。その結果バビロン軍に捕らえられ、

ゼデキヤの子どもは彼の眼のまえで殺され、ゼデキヤ自身も目をえぐられて盲目となってバビロンに連れ

て行かれ、バビロンの地の牢獄で死んでいきます。


エレミヤ書52章10節11節にこのように記されています。<・・・バビロンの王は、ゼデキヤの目の前で

彼の王子たちを殺し、また、ユダの将軍たちもすべてリブラで殺した。その上、バビロンの王はゼデキヤ

の両眼をつぶし、青銅の足枷をはめ、彼をバビロンに連れて行き、死ぬまで牢獄に閉じ込めておいた>

と。


・ゼデキヤはバビロンへの降伏を拒んだため、バビロンと徹底抗戦して、ユダの国とユダの国の人々を戦

争に巻き込んで、たくさんの人の命を犠牲にし、自らも両眼をえぐられて、バビロンで獄中死せざるを得

ませんでした。エレミヤがゼデキヤに降伏の預言を語っていたにも拘わらず、です。ゼデキヤの責任が問

われます。


・ゼデキヤは王でありますから、ユダの国にあって国家権力を代表している人物です。ゼデキヤがバビロ

ン王に降伏するか、徹底抗戦するかは、ユダの国の住民の命と生活にとって決定的な影響を与えます。エ

レミヤはその王であるゼデキヤに向かって、神を信頼してこうすべきではないかと、バビロンへの降伏の

預言を語ったのです。


・この預言者エレミヤとユダの国の王であるゼデキヤとの確執の出来事を思いますときに、戦争を引き起

こす国家や権力者に対して、きちっと批判的発言を語る預言者の存在がいかに重要であるかが分かりま

す。


・「近代日本のキリスト者で、どこまでも信仰の立場から身を以って国家的忠誠の問題と正面から対決し

続けた思想家といえば、何びともまず指を内村鑑三に屈するにちがいない」(丸山眞男)と言われます。


内村鑑三は、「腐敗と虚飾にまみれた日本」と「神から使命を与えられた日本」をめぐって葛藤しまし

た。内村鑑三には、「神から使命を与えられた日本国」という「祖国愛」が結構強くあったと思われま

す。今はどうかわかりませんが、以前「高校の倫理の教科書で、内村が<Jesus>と<Japan>の『二つの

J』に忠誠を捧げたという有名な話が載って」いましたが、内村の祖国愛とは、この二つのJの一つに当た

ります。


・内村の祖国愛は、神に使命を与えられた「日本国」を愛することでした。そうであるが故に、「腐敗と

虚飾にまみれた日本」を悲しみ、その時の現在の政府であった明治政府を内村は批判したのです。


・正直に申し上げますと、私の中には「祖国愛」というような、日本の国への思いはそんなに強くありま

せん。皆さんの中にはどうでしょうか。


・けれども、国家が存続する限り、日本の国は、少なくとも基本的人権を認め、すべての人の命と生活を

守り、戦争をしない平和国家でなければならないと思っています。


・特に15年戦争と太平洋戦争によって悲惨な戦争を行った国として、敗戦を契機に与えられた平和憲法

きちっと守って、世界平和を諸国の中で求め、平和を創り出す国になってもらいたいと切に願っていま

す。


・しかし残念ながら、現在の現実の日本の国は、「基本的人権を認め、すべての人の命と生活を守り、戦

争をしない平和国家」とは言えません。むしろ安保法制をはじめ集団的自衛権の行使容認、特定秘密法・

共謀罪を成立させて、今は戦争のできる国になりつつあります。


・敗戦後、1800万人とも2000万人とも言われる他国の人々を殺し、300万人の日本人の命を犠牲にした戦

争を二度と再びしてはならないという決意によって、戦後日本は戦争をしない国をめざしてきたにも拘わ

らず、です。


・かつて私たちの教会もキリスト者も、1941年6月に国家の要請によって成立した日本基督教団に加わ

り、戦争に反対できずに、むしろ積極的に戦争協力をしてしまいました。


・その過ちを認め、二度と再び同じ過ちを繰り返さないために、1967年のイースターに鈴木正久議長名で

「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」(戦責告白)を公にしました。その戦責告

白にはこのように記されています。


・<「世の光」「地の塩」である教会は、あの戦争に同調すべきではありませんでした。まさに国を愛す

る故にこそ、キリスト者の良心的判断によって、祖国の歩みに対し正しい判断をなすべきでありました。

/しかるにわたしどもは、教団の名において、あの戦争を是認し、支持し、その勝利のために祈り努める

ことを、内外にむかって声明しました。>


・この「声明」とは、戦時下日本基督教団が植民地支配下にあったアジアの諸教会に戦争協力を求めて、

教団統理名で送った「日本基督教団より大東亜共栄圏に在る基督教徒の送る書簡」を指します。


・<まことにわたしどもの祖国が罪を犯したとき、わたしどもの教会もまたその罪におちいりました。心

の深い痛みをもって、この罪を懺悔し、主にゆるしを願うとともに、世界の、ことにアジアの諸国、そこ

にある教会と兄弟姉妹、またわが国の同胞にこころからのゆるしを請う次第であります>。


・そのように懺悔した後に、<終戦から20年余を経過し、わたしどもの愛する祖国は、今日多くの問題を

はらむ世界の中にあって、ふたたび憂慮すべき方向にむかっていることを恐れます。この時点においてわ

たしどもは、教団がふたたびその過ちをくり返すことなく、日本と世界に負っている使命を正しく果たす

ことができるように、主の助けを祈り求めつつ、明日にむかっての決意を表明するものであります>。


・この懺悔と決意表明を私たちは継承していきたいと願っています。


・特に<わたしどもの愛する祖国は、今日多くの問題をはらむ世界の中にあって、ふたたび憂慮すべき方

向に向かっていることを恐れます>は、安保法制を成立させ、改憲を目論んでいる安倍政権においては、

まさに今現在の問題でもあります。


預言者エレミヤがゼデキヤ王に向かって、臆することなく「降伏による平和」の預言を語ったことを、

私たちは心に深く刻みたいと思います。


・またヨハネによる福音書によりますと、イエスはピラトの審問において、ピラトが「それでは、やはり

王なのだな」言ったとき、イエスは答えて、<「わたしが王だとは、あなたが言っていることです。わた

しは真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た。真理に属する人は、わたしの声を

聞く」>と言ったと記されています(ヨハネ18:37)。


・イエスは権力者ピラトに取り込まれることなく、明確に対峙しています。


・私たちもその姿勢を見倣って、「戦争をしないで」平和を造り出すために、自らの立ち位置を明確に打

ち出して、主イエスの証人としての役割を、今この時代と社会において果たしていきたいと願います。


・主が私たちにその信仰の確信と勇気を与えてくださいますように!