なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(176)

            船越通信癸隠沓供 。横娃隠看9月7日                  

・8月31日の日曜日の礼拝には、新しい人が出席しました。茨城県に住んでいる方で、日本基督教団におけ

る私の戒規免職処分のことも知っていて、一度船越教会に来て私の説教を聞きたいと思い、この日は朝6時に

家を出て来たというのです。礼拝後礼拝堂で彼と話を午後1時頃までしました。彼はペンテコステ派の教会に

出席していて、キリスト教界の情報もよく知っていました。私の知らないこともいろいろと教えてもらいまし

た。日本のプロテスタントの教会でメガチャーチと言われる教会のこともよく知っていて、その内部にある問

題についてもいろいろと話してくれました。午後1時ごろ別れましたが、彼はその後午後3時から始まる渋谷

にあるバプテスト教会の第3(?)礼拝に行くのだと言って帰っていきました。この日の礼拝は8月最後の日

曜日でしたので、少人数の礼拝とばかり思っていましたが、礼拝出席者が15名もありました。

ペンテコステ派の教会はある種の宗教性を濃厚に持っているのではないかと私は想像していますが、現在ア

フリカでもペンテコステ派の教会が広がっていると言われますし、ヨーロッパにも入っているとも言われてい

ます。ウィキペディアによるペンテコステ派教会についての説明は以下の通りです。<原始キリスト教を中心

としたペンテコステ派と同等の教義を教え実行していた教派は、聖書の時代から世界中の様々なところに存在

してきた。近代ペンテコステ運動は、1901年にカンザス州トピカのベテル聖書学院で行われた年末年始の祈

祷会で、指導者であるチャールズ・F・バーハムをはじめ神学生のほとんどがいわゆる「聖霊バプテスマ

を体験し、異言で神をほめたたえたことが契機となった。バーハムは、テキサス州のヒューストンに聖書学校

を移転して、その学生でもあった牧師のウィリアム・シーモア1906年アメリカのロサンゼルスのアズサ通

りで集会を行ったところ、集会中に聴衆である信徒のなかに「聖霊バプテスマ」を受け、エクスタシー状態

に陥り、異言を語る現象が起こった。このことがロサンゼルスの新聞に掲載されて、全米に広まった。 この

ようなペンテコステ運動のいわゆるリバイバル集会は、3年にわたってロサンゼルスのアズサ通りにある伝道

館、メソジスト教会などの教会堂を借りながら続けられ、その間にアメリカ各地のみならず隣国のカナダや海

を越えたイギリスなどからも集会へ集う参加者がいた。そのような参加者があかしすることによって世界中に

広められた。そして、1914年にアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団が生まれたのを皮切りに、フォースクエ

ア福音教会、ユナイテッド・ペンテコステ教会などの各教団が発足し運動が組織化され始めた。ホーリネス教

会の四重の福音(しじゅうのふくいん)「新生・聖化・神癒・再臨」を修正して継承している。ホーリネスの

「聖化」(きよめ)に相当するものは「聖霊の満たし」と表現し、聖霊に満たされた結果、宣教を進める力が

与えられ、新約聖書使徒言行録、コリントの信徒への手紙一)にある異言をともなう祈りをする、という信

仰を持つ。この異言をペンテコステの出来事において使徒らに発現した聖霊の賜物(=カリスマ)と同じもの

であるとする主張から、自らをペンテコステ派、その宣教運動をペンテコステ運動と呼ぶようになった>。日

本の数少ないメガチャーチはほとんどペンテコステ派の教会ではないかと思います。

・2日(火)には教区の常置委員会があり、私もオリエンテーション委員長と寿地区活動委員会委員長として

陪席しました。4日(木)には午後国会前の辺野古新基地建設反対座り込みに参加しました。辺野古の海では

ボーリング調査が強行されており、カヌーや船での抗議行動が毎日行われています。その抗議行動の防波堤に

なっているのが、海上保安庁のゴムボートと職員です。辺野古に新基地建設を進めようとする沖縄の防衛施設

庁をガードするために海上保安庁がその役目を引き受けているのです。キャンプ・シュワブのゲート前の抗議

行動などには警察庁から警官が来ています。本来国民の命や財産を守るべき警察庁海上保安庁辺野古新基

地建設に駆り出されて、沖縄の人々や全国から抗議行動にかけつける市民の壁になっているのです。この日座

り込んでいたのは、私を含めて5人です。4人は年配の女性です。最高裁アスベストの裁判に来たという人

の何人かから「頑張ってください」と声をかけられました。また、一人の大学生が話しかけてきて、しばらく

私たちと話し合っていきました。彼は大学で法律の勉強をしているようでした。最終的な目標は司法試験を受

けて、本人としては検事になりたいということでしたが、弁護士をめざしているということでした。しかし今

司法修習生時代の生活費は自分でまかわなければならないので、それが自分には無理だから、先ずは行政書

士か司法書士の資格を取って働き、その上で司法試験をめざしたいということでした。なかなか真面目な青年

に思えました。けれども、米軍基地や自衛隊のことについては、中国や韓国の脅威がある以上必要だという考

えのようでした。その点をかつての日本の侵略の歴史と戦後日本の国がきちっと賠償責任を果たしていないと

いうことなどを指摘し、ちゃんと歴史を学びなさいと、女性たちがその青年に教え諭していました。彼はその

批判にも耳を傾けていましたが、時間になったのでと言って、その場を去っていきました。この日は午後6時

から日比谷公園野外音楽堂で「戦争させない 9条壊すな 総がかり行動」があり、座り込んでいた私も含め

て5人はその集会にも参加しました。しかし、私は他の2人と一緒に会場に行きましたが、途中で軽い食事を

しましたので、会場に着いた時には、もう一杯で入れず、そのまま3人で帰ってきてしまいました。この集会

には5,500人が集まり、集会後デモがありました。

・5日(金)は午後6時から蒔田教会で行われた「合同のとらえなおし」を学ぶ集会に参加しました。Tさん

の話は沖縄出身者でなければ出ないだろう香りを感じさせる話で感銘を受けました。その集会に現役の時に教

会ぐるみで沖縄との関わりに取り組んでいた隠退牧師のHさんが来ていて、神奈川教区はもっと沖縄に関心が

ある教区だと思っていたが、こんな少人数の参加者なのか、今辺野古では命を懸けて基地建設に反対している

人がいるのに、という厳しい発言がありました。Hさんの気持ちはわからないわけではありませんが、これが

現在の神奈川教区の現状です。