なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(243,244)

          船越通信癸横苅魁 。横娃隠暁1月3日    

・新年おめでとうございます。新しい年も皆様の上に主の導きをお祈り申し上げます。

・昨年のクリスマスの時に、教会の皆様宛てにきたクリスマス・カードを、一部は12月20日の船越

通信で紹介しましたが、その後来たものを下記に紹介いたします。

・「クリスマスおめでとうございます。混乱する今の世界において船越教会と皆様に主の限りない恵みが

ありますように、お祈り申し上げます。先日はクリスマス・カードをありがとうございました。皆様の寄

せ書きは、クリスマス期間の間、メサイヤやオラトリオを流しているCDプレイヤーの横に飾らせていただ

きました。昨日のクリスマス礼拝はF教会に列席しました。 2015年12月 W」

・「度々のご案内いただきならが妻のシャロームと私自身の病院に追われ遂にお伺い出来ず申し訳ありま

せんでした。来年もよろしくお願いいたします。T」


          船越通信癸横苅苅押 。横娃隠暁1月10日    

・昨年の12月27日(日)、2015年の最後の礼拝後のお茶を飲みながらの懇談の時を終えて、皆さん

が散会した後、私は1月3日(日)の週報を印刷して受付に備えてから船越教会を後にしました。1月3日

は年末年始の休暇をいただいて、私はお休みすることになっていたからです。年末年始の休暇は、12月

28日(月)から1月7日(木)までと自分で勝手に決めていました。というのは、1月8日(金)の夜に

船越教会の聖書研究会がありますので、8日には船越教会に来ることになっていたからです。

・その間寿では年末年始の越冬活動がありますので、今回は越冬に少なくとも3日は参加できるのではと

考えていました。ところが、12月27日(日)が終わって鶴巻に帰る頃から鼻水が頻繁に出るようにな

り、その状態が3日ほど続きました。そのために年末は寿の越冬には参加できず、やっと体調か回復した

1月1日にお昼頃寿に着き、皆さんと新年の挨拶を交わし、午後の炊き出しのお餅つきに参加することが

できました。餅つきが始まる前から、炊き出しを待つ人々の列ができていました。お餅ですので、つきあ

がってから、それを小さく分けて、御雑煮の汁にいれて皆さんにくばりますので、もち米が蒸けあがる時

間と、それを臼に移してお餅になる時間が相当かかりますので、お餅がつきあがり次第、断続的に炊き出

しが行われました。午後1時前から始まって、最後のお餅がつきあがったのは午後4時過ぎになっていま

した。私も2回ほど、杵をもたせてもらって、餅つきに参加させてもらいました。この日は比較的暖かな

日でしたので、日中のお餅つきはおだやかな感じで終始しました。炊き出しが終わり、私はまだ体調が万

全ではありませんでしたので、それで失礼させてもらい、鶴巻に帰りました。今回はこの1回だけ、しか

も数時間しか寿の越冬に参加するだけでした。それにしても、寿公園に2棟の大きなプレハブが越冬期間

だけ横浜市に設置させて行われていた越冬と、現在のようにブルーシートでテントを越冬実行委員会が自

主的に作って行っている越冬とは、大分様相を異にしています。プレハブ越冬は2003年が最後でした。

その2003年に寿に自立支援センター「はまかぜ」がオープンしています。形の上では路上生活者・日

雇い労働者に対する行政の関与が大きくなったということなのでしょうが・・・。

・寿地区センター30年の記録『いのちの灯 ともしつづけて』の冊子の「はじめに」に書いた私の文章

の一部をここに引用させてもらいます。

・<はじめに「寿地区センター三〇周年記念誌」刊行に当たって 寿地区活動委員会委員長 北村 慈郎

/・・・・ かつて日雇い労働者が仕事を求めて集まる場を寄せ場と呼び、寿地区は全国四大寄せ場の一

つであった。労働者集約という意味での寄せ場はこの10年間(2003年~2013年)で急速にその

機能を解体してきた。しかし寄せ場を必要としない社会に移行する10年間ではなく、日本社会の矛盾が

集約して現れる寄せ場という意味では解体されるどころかますます強化されてきた10年であったと言え

る。さらには寿地区が特別ではなく日本社会の寿化と言っても過言でないくらい、都市周辺に野宿者、ネ

ットカフェ難民、年収にして100万円台の生活保護受給者の収入と変わらないかそれ以下の非正規雇用

者の増加という形で、社会の貧困層が増大している。特に2008年暮れのリーマンショック以降、そし

て2011年3月の東日本大震災および東京電力福島第一原発事故による被災者支援の遅れにより、ます

ます日本社会は格差が広がり、一部富裕層を除いた圧倒的多数の貧困化が増進しているのが現状である。

/寿地区では約6500人の住民の内約4500人は生活保護受給者である。2000年時点での全国生

活保護受給者約110万人に対して2013年時点では約216万人に増加している。この事実も、ここ

10年の日本社会の貧困化を明らかに示していると思われる。寿で1993年に始まった炊き出しは、炊

き出しの必要のない社会をめざしながら、当初は半年間ほどだったが、2009年以降は八月だけ休み、

後の11ヶ月は炊き出しをせざるを得ない状況になっている。このような厳しい状況の中で寿地区センタ

ーは、寿日労(寿日雇労働者組合)をはじめ寿地区および神奈川全県パトロールの諸団体と連携して、諸

教会・伝道所及び個人の協力を得て寿地区住民及び日雇い労働者・野宿者の支援活動を続けてきた。その

支援活動が30年継続できたことを感謝すると共に、この支援活動が必要のない社会をめざして、今後も活

動を続けていきたいと思う。/この寿地区センターは日本基督教団神奈川教区によって設立運営されてい

るが、諸教会・伝道所が寿地区住民及び日雇い労働者・野宿者支援に協力してくださると共に、その問い

かけを受けて教会の宣教のあり方を再考していただければ幸いである。社会的に最も弱く小さな立場の人

を中心とし、そのような人々に仕える教会こそが、イエスの福音にふさわしい教会ではないかと思うから

である>。

・ここ数年私の寿との関わりは、殆ど寿地区活動委員会の一員として毎月の委員会に出席するだけになって

います。それは私の戒規免職問題に時間とエネルギーを賭けざるをかないからでもあります。私の説教集

『食材としての説教~聖書と現実の往還から』を出版し、この1月25日発売予定の支援会による新教コ

イノーニア『戒規か対話か~聖餐をめぐる日本基督教団への問いかけ』を完成させるのに相当の時間をか

けざるを得ませんでした。『戒規か対話か・・・』に寄稿して下さった方々の原稿を、編集校正の段階で

何度も読み直しましたが、その中には私の寿との関わりに触れているものが複数ありました。その個所を

読み直しながら、事柄としては寿からの問いかけを受けて、現在も船越教会での働きをしているつもりで

すが、皆さんが仰ってくれるほど、私は寿に時間をかけていない負い目を感じさせられました。今年はも

う少し時間を寿の関わりに使いたいと思っています。それにしても、原発問題、東日本被災者支援、福島

支援、沖縄・辺野古のこと、憲法9条と安保法制のこと、格差の問題、難民支援と、挙げればきりがない

くらいそれぞれ重要で緊急の問題が山積しています。自分の立ち位置を見失うことなく、私としては寿と

辺野古にこだわっていきたいと思っています。