なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(345)

船越通信、癸械苅機   。横娃隠固1月7日   北村慈郎


・明けましておめでとうございます。「新しい年の皆さまの歩みの上に主の導きをお祈りいたします。今

年も状況はますます厳しくなるのではと思いますが、平和を造り出すそれぞれの歩みを希望をもってして

いきたいと願います」(週報原稿メールから転記)。


・昨年12月24日の日曜日は、朝のクリスマス礼拝と夜の燭火礼拝が重なって、忙しい日曜日でしたが、主

エスの降誕の時に喜びをもってあずかることができたことを、心から感謝いたします。その日の夜、大

方の片づけが終わってから、私も船越教会から鶴巻に帰りました。31日(日)の週報は、暮れにでも来て

準備するつもりでした。ところが、鶴巻に帰ってから、携帯と手帳をその日着ていた背広のポケットにい

れたままであったことが分かり、緊急の連絡が入ったりすると困るので、25日の月曜日昼前に鶴巻を出

て、船越教会に行くことにしました。船越教会に着いたのは午後1時頃でしたが、それから少し会堂の片

づけをして、31日の週報も礼拝式の部分だけ分かっている範囲で印刷して(船越通信は私の冬期休暇で割

愛しました)、受付の机に置きました。それに階段下の掲示板の礼拝予告を31日のものに変えました。1

月7日の礼拝予告は集会室の机の上に置き、31日の礼拝後掲示板の礼拝予告を変えてくださるように、メ

モの紙を置いて、午後4時過ぎに忘れ物を持って、船越教会から鶴巻に帰りました。それから2018年1月5

日(金)の午後2時頃船越教会に来るまで、年末年始の冬期休暇をゆっくりと取ることができました。あ

りがとうございます。


・その間、12月30日(土)と1月3日(水)の午後は、寿の越冬に行き、炊き出しの配食に参加しました。

30日には、先日召されたHさんのお連れ合いもボランティアとして来ておられましたので、私もお会いし

て、お連れ合いももちろんそうでしょうが、私自身も突然のHさんの帰天にはびっくりして、まだ受け入

れがたい状態です、と申し上げました。お連れ合いは、Hさんが入院中私が2度見舞った時に、私が

祈ったことを、Hさんは感謝していたと、おっしゃってくださいました。特に最初の見舞いの時は、H

さんの病室に3人ぐらいの医者や看護師がいて、慌ただしく、しばらく待って、その方々が退室されてか

ら、ナースステーションの看護師にHさんを見舞ってよいかどうか聞いて、いいと言うので病室に入って

行ったのです。すると、Hさんは口に酸素吸入器を着けて、呼吸も苦しそうでしたので、話そうとするHさ

んを止めて、Hさん、今日は一言祈って失礼しますと言って、短く祈ったのです。その時Hさんは苦しそう

な状態で「アーメン」と、声を出して言われました。この時私がひと言祈ったのは、牧師だからというよ

りは、Hさんとは、寿で長い間一緒に活動を共にして、いろいろな話をしてきていましたので、一人のキ

リスト者の友人として自然に祈ったのです。お連れ合いは、暮れには必ず越冬に何日か参加していたHさ

んのことを思い出して、自然に体が動く感じで、この日越冬に来られたと、おっしゃっていました。3日

の日も何人か、何時も越冬でお目にかかる人とお会いすることができ、言葉を交わすことができました。

私はこの所越冬中午後9時から行われる野宿生活者のパトロールには参加していませんので、越冬の全体

的な把握は出来ませんが、寿公園で行われる炊き出しや医療相談、生活相談は、寿公園に年末年始の越冬

中に行政によって大きなプレハブ2棟が建ち、そこに野宿生活者の人たちが泊まっていた時期の越冬と比

べると、縮小しているように見えます。一方テレビ報道などによりますと、ネットカフェで年末年始を過

ごす人も多く、格差が広がっていて、貧困の問題が寿地区のような寄せ場に集約されているだけでなく、

いろいろな所に拡散していて、なかなか私たちの目には見えなくなっているように思えます。


・私は3日に寿に行く前に、伊勢佐木町有隣堂に寄り、鹿島茂の『新版吉本隆明1968』を購入し、読ん

でいます。後少しで読み終わりますが、この本の中に「昭和12年格差社会」について書かれています。

昭和12年=1937年には盧溝橋事件が起きた年です。その記述の中で鹿島茂はこのように記しています。<

都市の底辺で、日雇い労働(現代ならフリーターや派遣社員)を強いられて、金満家階級に対するルサン

チマンを溜め込む一方で、「ひとりでいるのと変わらない」が、ある種の共生感を与えてくれる「想像の

共同体」、つまりナショナリズムに帰属しているという意識を持つのは、精神の浄化作用においてかなり

の満足感を与えてくれるはずである>(同書211頁)。この指摘は、現在の格差社会での社会的弱者である

人々にも当てはまるように思われます。2018年も私たちは難しい問題と直面しながら生きていかなければ

なりません。日曜毎の礼拝がそのためのエネルギーを得る場となることを願って、新しい年の旅に踏み出

していきたいと思います。


・1月31日の日曜日の礼拝は、私は連れ合いと一緒に紅葉坂教会の礼拝に出席しました。今まで船越教会

に来てから、牧師休暇の日曜日は鶴巻に近い秦野西教会の礼拝に出席していましたが、今回は、紅葉坂

会の礼拝が信徒講壇で、関田先生と同年代の紅葉坂教会の信徒であるH・Kさんが信徒講壇を担当するとい

うことを伺っていましたので、紅葉坂教会の礼拝に出席させてもらいました。H・Kさんは、1999年に紅葉

坂教会で問題になった、戦時下に紅葉坂教会の礼拝に出席しようとした、国家の弾圧によって教会が解散

させられたホーリネス教会の或る牧師の礼拝出席を、紅葉坂教会がお断りをした出来事に触れて、お話し

をされました。H・Kさんは説教の最後に、この問題が起こった時に書いた私の文章の一部を引用してくだ

さいました。その部分を下記に記しておきます。


・「私たちは、現在から将来への歴史社会の中でどう生きていくのかが、今、ここで、問われています。

私たちは、その問いに応えて行かなければなりません。その時、過去の私たちの教会に学び、もしそこに

乗り越えなければならない課題があるとすれば、私たちの責任としてその課題にどう応えるのか、私は、

その都度決意表明を込めて言葉化して行きたいと思っています。その言葉が実際に私たちの行為と一つで

あるのか、それとも両者が乖離し、その言葉が虚偽に過ぎないのかは、歴史の審判に委ねる他ありませ

ん」。