なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(380)

船越通信、癸械牽亜  。横娃隠固9月23日  北村慈郎


・9月16日(日)の船越通信は、連れ合いが入院中でしたのでお休みにさせてもらいました。

・9月12日(水)は連れ合いが入院中でしたが、午後7時から大和で基地撤去をめざす県央共闘会議幹

事会がありましたので、私も教区の基地・自衛隊問題小委員会を代表して参加しました。この会では報告

事項として、「この間の特記事項及び活動」がありますが、それを伺っていますと、下記のように米軍機

自衛隊機の事故が頻繁に起こっている現実を突きつけられます。

7月18日:空自早期警戒機の那覇空港でタイヤパンク。時間分空港閉鎖。

     空自戦闘機の機体パネルの不具合で嘉手納基地に緊急着陸

      米西部カルフォルニアモントレー郡の米軍基地に着陸しようとしたブラ  ックホーク

ヘリの回転翼の風でテントが飛ばされて人がけが。

27日 米海軍ヘリMH53E、厚木基地内で窓枠を落下させる。

8月 4日 岩国基地海上自衛隊電子偵察機EP3が部品を落下。
  
 13日 岩国基地海上自衛隊ヘリMCH101が部品を落下。

14日 MV22オスプレイ奄美空港緊急着陸

9月 5日 久米島空港普天間所属の米海兵隊ヘリUH1が緊急着陸

これらの頻繁に起こる事故が、いつ大規模な事故につながるかは予測できませんし、その危険性は大き

いと思われます。軍事力による安全保障が戦争のない日常においても、これだけの危険性を私たちに与え

ているということは、軍事力による安全保障は真の安全保障とはなり得ないことを如実に示しています。

憲法第9条に基づいて、軍事力によらない平和外交による諸国との平和的共存の道を、自決権をもってそ

の道を進もうとしている沖縄の方々と共に、ヤマトの私たちも模索していかなければなりません。基地問

題に関わる者として、基地撤去をめざす県央共闘会議幹事会に出るたびにそのことを再確認させられてい

ます。

・13日(木)には、入院している連れ合いが第一回目の抗がん剤投与を受けました。副作用を予防する

薬と共に抗がん剤投与が行われましたが、副作用予防の点滴が終わった後も抗がん剤の点滴は24時間続

き、翌日14日(金)の午後に終えました。第一回の抗がん剤投与ではほとんど副作用はなく、連れ合い

は医者からも元気だねと言われたと言っていました。13日(水)午後6時半から紅葉坂教会で支援会の

世話人・事務局会がありましたので、午後5時過ぎに病院を出て紅葉坂教会に向かいました。紅葉坂教会

には午後6時半少し過ぎて到着しました。私の他にも遅れる人があって、会は予定の時間から少し遅れて

開催しました。この日はキリスト新聞意見広告の件をはじめ、教団総会会期中の全国交流集会(10月24日

開催)の件、その集会の案内チラシ発送の件、そしてリーフレットの件などを協議しました。

・16日(日)の日曜日は、この日から一週間私の夏期休暇の後半でしたので、船越教会の礼拝は信徒講

壇でIさんが担当してくれました。この日私は連れ合いが船越教会の礼拝に来れない時に出席していま

す、鶴巻の自宅から比較的近い渋沢にあります秦野西教会の礼拝に出席しました。秦野西教会の方々に

は、まだ連れ合いの病気のことをお伝えしていませんでしたので、連れ合いにも頼まれて、この日は秦野

西教会の礼拝に出席して、礼拝後教会の方々に連れ合いの病気のことをお話しました。みなさんびっくり

していましたが、励ましの言葉をいただいて帰ってきました。そのことを、この日も午後病院に行き連れ

合いに伝えました。

・第一回の抗がん剤投与も終えましたので、治療面で当座やることは終わりましたので、退院が近いと

思っていました。ところが、なかなか退院してよいと言われません。看護師さんの話では、インシュリン

の数値が安定するまでということで、やっと21日(金)午前中に退院することができました。入院した

のが8月31日(金)午後1時半ですから、ちょうど丸々3週間の入院になりました。この日は午後5時過

ぎに娘が鶴巻の自宅に来てくれることになっていましたので、連れ合いの退院直後でしたが、午後6時半

から寿地区活動委員会が寿地区センターでありましたので、午後5時過ぎに鶴巻を出て寿地区センターに

向かいました。この日の委員会には、骨折でしばらくお休みしていたSさんも出席して、他の委員も全員

出席の委員会を持ちました。8月は委員会はお休みでしたので、2か月分の諸報告を委員全体で共有し、

秋から冬に向けての取り組みについて協議の時を持ちました。委員会は午後8時過ぎに終わり、午後9時半

ごろに鶴巻に帰ってきました。

・私は連れ合いが3週間入院中、毎日病室に顔を出しました。21日(金)に連れ合いが退院して自宅生

活が始まりましたが、入院中私はボーとして過ごしていたために、連れ合いの糖尿病の食事の準備が難し

く、22日(土)は娘が全面的に助けてくれて、何とかなりましたが、食事作りが私の今後の課題になりま

す。