なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(296)

 下記の船越通信を読んでいただければわかると思いますが、新年に入ってからやけに忙しく、課題

に追われています。ここに記していない課題も抱えていて、新春の私の船出は、100mランナー気分で

す。


       船越通信癸横坑供 。横娃隠掲1月15日    北 村 慈 郎

・1月8日(日)の船越通信は、この日は私の冬の休暇中でもありましたのでお休みにさせていただき

ました。

・8日の日曜礼拝を私は本所緑星教会で守りました。実は昨年秋ごろに本所緑星教会の役員の方から現

在一年間牧師不在中なので、私に礼拝説教に来てもらえないのかと依頼されました。本所緑星教会は私の

支援会を支えて下さっていますので、出来るだけその依頼に応えしたいと思い、お引き受けした次第です。

その代り8日の船越教会の礼拝説教は役員会の了承を得て、Mさんのお願いしました。Mさんありがとう

ございました。

・さて8日は大変寒い日でした。鶴巻を朝8時頃出て、新宿から総武線に乗り換えて両国駅で降りて、約15

分ほど歩いて本所緑星教会に10時ごろに着きました。両国駅を降りると、両国国技館前には幟が何本も立

っていて、お相撲さんも何人も行き来していて朝から活気に満ちていました。この日から初場所の大相撲

が始まりまるからでしょうか。その風景を眺めながら、私は小学生時代に何度か父に国技館に連れて行っ

てもらったことを思い出していました。その頃父親は薬の仲卸の仕事をしていて、国技館で相撲があると

きには、メーカーからの招待がありました。その招待に何度か連れて行ってもらったのです。四角い桟敷

席で、お茶屋さんからはいろいろな食べ物や飲み物が運ばれてきました。そこで食べた焼き鳥は今でも忘

れられません。私が中学生になったのが、1954年4月ですから、その前なのでまだ敗戦後10年も経っていな

い時期です。食糧事情もままならない頃でしたから、それだけ国技館で食べた焼き鳥が私の記憶に刻印さ

れたのではないでしょうか。父の勤めていた薬の会社は父の姉家族を中心とした親族会社で、1950年代後

半には倒産してしまいました。社内的な原因もありましたが、それだけではなく当時薬の仲卸業そのもの

が成り立たなくなったからです。父親の勤めていた会社はメーカーの三共製薬の傘下に入りました。その

会社は今でもあるのではないでしょうか。父親は責任を取り、その後自分で薬の会社を作ったり、他の人

と共同でやったりしましたが、なかなかうまくいかず、50歳後半から60代は苦労の連続でした。父親が他

の人と共同でつくった会社には、高校を卒業して私も働いていましたが、高校時代から筋萎縮症で寝たき

りだった母親が亡くなったのを契機に、私は神学校に行く決心をしました。この時父親の反対を押し切っ

て、私は神学校に入学しました。両国の国技館を見ていましたら、昔の父親との関係が走馬灯のように思

い起こされました。私が神学校に行くと言い出した時の、父親の困惑した顔は今でも忘れられません。今

の自分なら、あの時神学校に行くなどということは言い出さなかったかも知れません。若気の至りで直線

的に突進していったのでしょう。今振り返ってみて、結果的には私にとっても父親にとっても悪くはなか

ったのでは、と勝手に思っていますが、不思議なものです。

・1日からのこの2週間、年初めのこの時期にしては結構忙しく、中身の濃い時間を過ごしました。2日は

寿の越冬に、姪の娘が行きたいというので、一緒に参加しました。金曜日の炊き出しには普段なかなか参

加できませんので、3日も私一人で参加し、夜の集約会議までいました。寿はかつての寄せ場とは全く様

相を変えて、福祉の街になっていますが、日本社会の矛盾が集約しているということでは、以前と全く変

わりません。貧困の問題で言えば、かつての寄せ場としての寿が寿町という地勢的枠を越えて日本社会全

体に格差の問題として拡大しているのが現状です。5日は連れ合いが風邪気味でしたので、国会前の辺野

古新基地建設反対の座り込みに行きました。9日(月・祝)は、地域の新年の餅つきの会に参加しました。

私たちの住んでいるマンションは一個独立しているのですが、隣の地域にあるマンション群がひかりの街

というコミュニティーを作っていて、その中に私たちのマンションも属しているからです。午前中参加し

ましたが、住民の数からすれば、ごく限られた人たちの参加だったように思われました。私も3回ほど餅

つきをしました。10日(火)は農伝と常置委員会に行きました。11日(水)は夜厚木や座間を中心と

する県央の基地問題に取り組んでいる市民運動の幹事会が大和であり、教区の基地・自衛隊問題小委員会

が委員を出していますので、何時も出ている委員が出られませんので、私が代わって出席しました。ここ

に来られている方々は、爆音訴訟の方も含めて、日常的に基地の監視行動を続け、その時々に抗議行動を

しています。それも何十年もです。頭が下がります。12日(木)には高座渋谷教会で基地・自衛隊問題

小委員会(基地小)がありました。基地小では、上記の県央の幹事会に来ていたお二人を講師にお招きし

て、2月9日(木)午後6時半から8時に高座渋谷教会で公開学習会を開催します。「2016年、神奈川の

基地はどう動いたか?」ということで、2016年の一年間の監視行動をまとめて報告してもらいます。是非

参加していただければ幸いです。沖縄だけでなく、今岩国の米軍基地強化が顕著になっていますが、神奈

川も基地強化に動いているのではないかと思います。その現実をしっかりと把握して、何ができるかを模

索していきたいと思います。

・13日(金)には夜船越教会の聖書研究がありました。汽謄皀峠颪魍悗鵑任い泙垢、機↓競謄皀峠顱

テトス書の牧会書簡には、すでに制度的な教会が現れており、現代の教会の問題に通じるものがあります。

福音書パウロ書簡など比べますと、やや平板的な感じがします。その汽謄皀峠颪鯣震牟技佞砲靴覆ら

学んでいます。

・14日(土)は午後磯子教会で教区核問題小委員会主催の映画会、「飯館村の母ちゃんたち土とともに」

の上映と古居みずえ監督のトークがありました。私も出席しました。この監督は長年パレスチナの女性と子

どもたちを撮り続けている人で、放射能イスラエルによって突然住み慣れた土地を奪われた人たちの日

常をカメラでとらえて、問題の深刻さと被害者の自立の逞しさを描いていると思いました。