なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(587)

船越通信、№587、2230年10月15日(日)北村慈郎

  • 8日(日)の礼拝説教は、帰天した関田寛雄先生に代わって船越教会の代務者を引き受けて下さった、元住吉教会のM牧師にしていただきました。先生は歩くのが少し不自由ですので、前もって打ち合わせをして、船越教会までご自分の自動車でいらしていただき、船越教会の少し手までの梅田隊道のトンネルに行くところで降りていただきました。その先生が乗って来た自動車は私の次男が運転して梅田隊道のトンネルを出た所に駐車するようにしました。先生が帰る時に、そこから次男が運転してきて、先生に引き継ぐことにしたのです。先生には自動車を降りた所から、道路を渡って少し歩いて船越教会の外階段下入口まで来てもらい、階段は往きも帰りも楽ちん号階段昇降機に乗ってもらいました。会堂も玄関や講壇の段差があり、心配でしたが、先生はスリッパなしでとご自分からおっしゃってくださり、けつまずくこともなくてよかったです。この日のM牧師の説教は、何れ教会だより「船越の丘から」に掲載されると思いますが、ご自身の個人史に触れながらのお話で、私自身は大変興味深く伺いました。礼拝後、先生を囲んで昼食会を、集会室と和室で行ないました。教会員の方々の手作りの栗ご飯とお煮しめなどがお重にきれいに並べられたお弁当を皆でいただいた後、参加者一人一人の自己紹介をして、最後にM先生のお話があって、昼食会を終えました。午後1時少し前でしたが、その後先生をお送りして、次男が運転してきた先生の自動車に乗ってもらい、そこでお別れしました。私は、まだ皆さんが後片付けをされていましたが、先に失礼して、次男の運転する娘の自動車で鶴巻に帰ってきました。
  • 10日(火)は面談ではなくリモートで、教区の常置委員会がありました。私も参加しました。この日の常置委員会では、紅葉坂教会信徒のTさんと紅葉坂教会役員会の連名で、私の戒規の問題に関わる教師委員会の手続きに関する質問書を文書で、前回教区総会で教団問安師に来た総幹事の網中さんに出す件で、教区議長が受け止めてくださり、議長の手紙も添えて出すことになりました。その他議事の中では、来年度の財務の予算案の説明がありました。来年度の各委員会への教区交付金は5%アップということになりましたが、オリエンテーション委員会は前年度踏襲で来年度の予算も実施計画と共に既に宣教方策会議のための資料として提出していましたので、そのままでいくことにしました(後日教区主事からお電話をいただき、5パーセントアップにして再提出しました)。その他はほぼ定例の議事でした。午後7時半ごろにはリモートの常置委員会は終了しました。
  • 11日(水)は午後4時半から高座渋谷教会で基地・自衛隊問題小委員会(以下基地小)があり、私も出席しました。基地小では毎回、前回記録承認に続いて、各種の報告をしています。厚木・座間、横須賀、沖縄関係、社会委員会、基地撤去をめざす県央共闘会議・いのくらなどです。その後に協議事項を扱っています。今回は、 ① 9月23日「台湾・沖縄・琉球弧を戦場にするな!全国キャラバン」のふりかえり、 ②「PFAS」への声明文の件と自衛隊候補生の射殺事件の件、 ③基地・自衛隊問題小委員会通信2について、④2024年度活動計画案について(宣教方策会議に提出)などを扱いました。午後6時ごろに終了し、それぞれ散会しました。
  • 12日(木)はこの日も国会前の辺野古新基地建設反対の座り込みに参加しました。座り込みは午後1時から4時までですが、私は鶴巻駅11:43発の小田急快速急行新宿行きの電車に乗るようにしています。この日は、ギリギリまで中国上海に住む、夫は中国人で本人は韓国人という女性から相談の電話を受けていて、マンションから急いで鶴巻駅まで行き、かろうじて11:43の快速急行に乗ることができました。この電車に乗らないと、午後1時頃までに座り込みの場所に着くことができません。この日の座り込み中、私は基地小の時に同じ基地小の委員の翠ヶ丘教会信徒のIさんから借りた、安斎育郎の『ウクライナ戦争論』を読んでいました。この本はウクライナ戦争の内実をプーチンのロシアによる軍事侵攻ではなく、アメリカによって仕組まれた戦争という観点から記されています。その出来事の詳細な分析を読む限り、この人は憶測で書いているとは思えません。私たちが行っている「ウクライナに平和を!」のスタンディングでも、今までも戦争による犠牲者への支援ということで行ってきていますが、そのことを今まで以上にはっきりと打ち出していく必要があるかも知れません。この日の座り込みは4人で、午後4時少し前に横断幕などの片づけをして、散会しました。
  • 13日(金)は午後7時からリモートで支援会の世話人・事務局会がありました。その中で、紅葉坂教会のオルガニストの方からの提案として、北村支援会のチャリティー・コンサートについて話し合いました。その結果支援者のすそ野を広げるためにもこの企画には意味があるということで、支援会主催で協賛してくださる教会を募り、北村支援会のチャリティ・コンサートを行っていくことにしました。その他通信第32号の編集発行、来年秋の教団総会に向けて教区総会決議議案の作成、キリスト新聞への意見広告、来年の支援会総会などについて話し合いました。リモートは午後8時半ごろに終了しました。
  • 14日(土)は午前11時過ぎに鶴巻を出て、午後1時から横浜磯子教会で行われる映画会、古居みずえ監督・撮影「飯館村べこやの母ちゃん――それぞれの選択」に行きました。東日本大震災・東電福島第一原発事故から12年が過ぎ、被災した人々、特に原発事故によって避難区域に住んでいた方々がどうなっているのかという思いもあって、この映画会に参加しました。映画は、3人の女性に焦点を当てて、その一人一人がこの12年間どのように過ごしてきたのかを坦々と追っています。それぞれ力強く生き抜いていく姿が印象的でした。この映画を観て、飯館村の人びとが戦後開拓者としてこの村に入って来たことを知り、神学校時代の友人の出身地岩手県の奥中山もそうだったことを思い出しました。原発事故による放射能汚染は人災です。東電と国は被災者を最後まで救援すべきです。