なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(577)

船越通信、№577 2023年7月30日(日)北村慈郎

 

  • 23日(日)は礼拝が終わって、皆が散会した後、私はこの日午後4時から蒔田教会礼拝堂で行われる、今年度第一回オリエンテーションの準備をして、午後2時半過ぎに船越教会を出て、蒔田教会に向かいました。第一回オリエンテーションは、毎年6月から7月にかけて、その年の新任教師が出そろったところで、神奈川教区の「教区形成基本方針について」の学びという形で行ないます。オリエンテーションは、教区の教会・伝道所に赴任した新任教師、按手・准允志願者、教師検定試験受験志願者、神学生を対象にしていますが、教区内の教師や信徒の方も希望すれば、誰でも参加できるようにしています。オリエンテーションの課題は、教団成立の問題、教団信仰告白と1967年の「戦責告白」、1970年代に起こった教団問題(万博・東神大問題、教師検定試験問題、合同のとらえなおし等)その後の性差別問題、聖餐問題などについて、それらが何が問題であるのかという事実認識を共有することにあります。教区総会などの議論のときに、これらの教団の歴史的な問題に関係するようなことがありますが、その際事実認識が欠落しているために議論がかみ合わないことが起こり得ます。そのようなことがないようにと、神奈川教区は常置委員会の責任でオリエンテーション委員会を設置し、教団問題のガイダンスを行なっているのです。ですから、オリエンテーションは、その人の考え方や立場を問うものではありません。今回は、神奈川教区形成基本方針について、教区議長の古谷正仁蒔田教会牧師に発題をお願いしました。発題の後、質疑を受け、その後最後に参加者一人一人に感想や意見を言ってもらってオリエンテーションを終えました。その中で、神奈川教区総会で按手・准允式の前に、議長が「この方々の受けた教師検定試験は、神奈川教区の立場から見て、不当とまではいえないと思われる方は挙手をお願いします」と言われることが問題になりました。この日オリエンテーションに来られた方の中には、1970年代半ばに教師検定試験が出来なくなった事情については、ほとんど理解していない人が多かったように思われます。私が説明して、今でも教師検定委員会が問われた問いに答えていないまま試験だけを行なっているので、受験拒否を続けている人がいることをお話ししました。神奈川教区は、現在の教師検定試験には問題があるけれども、「不当とまでは言えない」というところで受け止めて、その試験を受けて教団の教師になった人への按手・准允を行なっているわけです。もう一つ、神学生の方が、現在の教団の教師検定試験に合格するためには、自分を偽わって、教師検定委員の意に沿う回答をしないと難しいと、先輩から聞いているが、という発言がありました。この発言は今回だけではありません。以前のオリエンテーションでも、参加者の一人から、自分は教団の教師検定委員会がそれまでの試験実施の際に教団新報に講評を出しているので、それをよく読んで、教師検定委員会に対する傾向と対策を考えて、試験に臨んで一回で合格できたという発言がありました。一方自分は何回も落ちて、やっと合格したという方もいました。今回も私は、オリエンテーション委員会の委員長として、オリエンテーションの司会をしていましたので、自分を偽らなければ合格できないような教師検定試験を教団にさせてしまっていることに、私はその教団から戒規免職処分を受けてはいますが、長年教団の教師を続けている者として申し訳ないと思っていると、自分の気持ちを伝えました。オリエンテーションは午後6時まででしたが、5分ほど超過してしまいました。黙祷をもって終了し、その後散会しました。私は、この日は鶴巻ではなく、船越教会に戻り、24日(月)も一日、25日(火)に予定しています支援会の通信第31号発送作業の準備をしました。
  • 今回は、通信第31号に添えて、支援会第10回総会資料、宣言現在版、ゆるキリ通信を同封することになっていましたので、通信はプリントパックに印刷をお願いしましたが、その他は自分で印刷機で印刷しなければなりませんでしたので、それを23日(日)夜と24日(月)一日かけて船越教会で行ないました。今回は会員のみに送りますので、それぞれ950部になります。24日(月)夜9時には、25日(火)の作業を、印刷物を封筒に入れて封をするだけでよいところまで準備を終えることができました。
  • 25日(火)は、私は午前9時ごろから作業を始めていましたが、午前10時ごろから支援会事務局の人が5人来てくれて、作業をしましたので、正午少しすぎにはすべての作業を終えることが出来ました。何時もは船越ごはん停でお弁当を買ってきて、お昼を食べて、午後も作業を続けるのですが、この日は大変暑い日でしたので、正午過ぎに作業が全て終えましたので、そのまま解散することにしました。皆が帰った後、午後3時半過ぎにヤマト運輸の集配が来て、900弱のDM便を持って行ってくれました。私はその後、後片づけをして、船越教会から鶴巻に帰ってきました。
  • 26日(水)は、午後4時半から高座渋谷教会で教区の基地・自衛隊問題小委員会(以下基地小)があり、私も出席しました。この日は基地小が主催する9月23日(土・休)開催の「台湾・沖縄・琉球弧を戦場にするな! 全国キャラバン」(講師:藤本幸久さん・影山あさ子さん~ドキュメンタリー映画監督~)のチラシが出来上がりましたので、その配分を中心に話し合いました。基地小を終えて、鶴巻に帰って来たのは午後7時過ぎでした。
  • 27日(木)は、直近2回の木曜日お休みしました、国会前の辺野古新基地建設反対の座り込みに出かけました。沖縄の辺野古浜のテントの座り込みが始まって6月23日の沖縄慰霊の日の頃の東京新聞の「辺野古・高江リポート」(琉球新報の紹介記事)に、7000日と書かれていました。それから100日後に国会前の座り込みが始まりましたので、国会前もそろそろ7000日になります。随分長い間続いています。それでも日本政府に辺野古新基地建設を断念させることができないでいることに、忸怩たる思いがあります。軍事基地は戦争を前提にしているわけですが、戦争放棄を掲げる日本の憲法第9条にこそ未来があると信じます。