なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(234)

         船越通信癸横械粥 。横娃隠鞠11月1日    


・10月24日(土)17:00より25日(日)の礼拝まで船越教会の今年度の修養会が行われました。Nさんが時間

を間違えて午後1時過ぎには船越教会に来ました。今年は参加人数が少ないと思っていましたが、当日Iさん

から休みが取れたので出席するという連絡を受け、急遽船越のお弁当屋さんにお弁当を一つ増やしてもらい

11個にしてもらいました。修養会は17::00からとなっていましたが、発題協議が始まるのは18:30からで、集

まって来た人たちで自由な話し合いをしていて、先ずは18:00近くなってお弁当をいただきました。18:30よ

り発題で、Wさんから「船越教会と聖餐」というテーマで発言してもらいました。Wさんは、船越教会50年誌

にある「1972年礼典執行に関する申し合わせ」ができた時代背景として、1956年 水俣病発生、1965年 ベ

トナム戦争勃発、1967年 第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白、 1968年 全共闘

動、1969年 万博キリスト教館出店問題、1970年 東京神学大学機動隊導入、1972年 沖縄返還、1975年 

ベトナム戦争終結 に触れ、この船越教会の申し合わせ策定の背景を3点にまとめて話しました。➀船越教会

が戦争責任告白を担う決断をした教会である。∈F釮瞭鐱椶慮従?、経済至上主義で水俣病をはじめ多く

公害病を発生して、人権侵害を放置している。6技媚邯該導による二重教職制の矛盾点が一向に是正さ

れる兆しがないため、O牧師は補教師のまま礼典執行を行い、現状肯定からの脱却の可能性を計った。私は

「聖餐・戒規免職問題・船越教会」という題で、教団における私の戒規免職問題と現在船越教会で牧会して

いる私自身とのつながりをお話ししました。現在の教団執行部の姿勢は、山北さんの戦争責任告白以降の

40年の教団の歴史を否定的に評価した「荒野の40年」の立場ですから、戦争責任告白を担う教会として決

断した船越教会のような教会は、教団においては少数の立場になります。私の教団における戒規免職問題

も、戦争責任告白をどう受け止めるかという問題と突き詰めれば重なっていると思っています。また聖餐

に関する理解におきましても私と船越教会は共通していますので、私が教団において戒規免職問題を担っ

ていくことと、船越教会の牧会を引き受けていることとが矛盾しないで実践することができるということ

をお話ししました。Wさんと私の発言を受けて、その後自由な話し合いを行いました。特に結論が出たわ

けではありませんが、当座は今の状態を続けていくことを確認しました。その他船越教会横須賀平和セン

ターの活用、特に希望者には宿泊提供ができるように、センターの案内の内容を再確認して、皆さんに

お知らせするようにしました。いろいろ意見が出ましたので、その意見を踏まえて役員会でも一度整理し

て、センター案内を完成することにしました。もう一つは、礼拝説教についての話し合いに関していです

が、これはしばらく中断することにしました。25日の日曜日朝の話し合いの時間では、教会のことについ

てはほぼ出尽くたましたので、個々人の現状報告をしていただき、それぞれが関心を持っていることや、

取り組んでいる課題について分かち合いました。

・25日の礼拝後、神学校を出て最初に働いた東京の足立梅田教会の関係者が帰天して、その方のお別れ

会が足立梅田教会で14:00からありまいたので、私はすぐに船越教会を出てそちらに向かいました。ちょう

ど2時間かかって足立梅田教会に14:00ちょうどに到着しました。1時間のお別れ会とその後足立梅田教会の

方々と交流の時を持ち、この日は鶴巻に帰りました。26日(月)には、娘から連絡があり、紅葉坂教会

の葬儀の看板があったということで、急遽私が出席することにしました。この日は連れ合いが午後4時か

ら目の手術があり、私も付き添いましたが、終わってから、私は咳がでるものですから、連れ合いを娘に

任せて、鶴巻に帰りました。

・29日の木曜日は国会前の辺野古新基地建設反対の座り込みに行きました。辺野古の工事再開に踏み切

った政府の行為は、沖縄の人々の思いを踏みにじるもので、許しがたいことです。テレビで中谷防衛大臣

佐賀県を訪問して佐賀空港への普天間の米軍オスプレイ配備を打診したところ、佐賀県自衛隊は引き

受けるが米軍は引き受けられないということで佐賀空港への普天間米軍オスプレイ配備は取り下げたとい

うことでした。どうも佐賀空港への配備は米軍が反対しているということのようですが、それにしても、

政府の沖縄県への対応と佐賀県への対応の差が気になります。沖縄の方からすれば、日本政府は沖縄をあ

る意味で植民地と考えているのではないかという思いを持つのは当然ではないでしょうか。

・30日(金)夕方船越教会に来て、31日(土)の10・31集会の準備をしました。プログラムなどを印

刷し、持って行く物をそろえました。31日(土)の10・31集会は、私の支援会の名称が「北村慈郎牧師

の免職撤回を求め、ひらかれた合同教会をつくる会」になってからの、初めての集会でした。どのくらい

集まるか心配でしたが、83名の方が北は北海道から、西は山口から集まってくれました。この集会の報告

は、いずれまた通信でしたいと思っています。私の開会の挨拶だけ、以下に記しておきます。<教団いお

いて私が戒規免職を最終的に決定したのは、5年目です。今安倍政権の強権的な姿勢が辺野古の新基地建

設の問題で露骨に現れています。政府は名護市を飛び越えて賛成派の三つの町に交付金を支給しようとし

ていますが、これは明らかに分断政策です。この政府の強権的姿勢は、日本基督教団では一歩先駆けて行

われており、伝道推進室が現教団執行部に近い沖縄の教会を支援し、沖縄教区を分断しています。私の問

題も、教憲教規、信仰告白による一致を上から統制することによって実現しようとする現教団執行部の強

権的な姿勢と関係しています。その意味で辺野古の闘いと私の戒規免職撤回の運動は、どこかで通底して

いると、私自身は思っています。そこで、この会が教団政治の中でどのように道を切り開いていくかとい

う課題と共に、同じ問題意識を共有する仲間で、この国と教団の現状の中で、どのような宣教活動をめざ

し、実践していくのかという課題にも取り組んでいけたらと願っております。今日は3人の方から発言し

ていただきますが、その後協議の時に、みなさんのご意見をいただきたいと思います。それを受けて、こ

の会としては今後の運動に繋げてきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします>。