なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(233)

 11月は半月近く、このブログに記事をアップできませんでした。私の支援会の10・31集会のまと

めと、新教コイノーニア原稿入稿などの作業が重なり、余裕がありませんでした。このブログを見てくだ

さる方には、大変申し訳ありませんでした。これからは、できるだけ明けないようにしたいと思います。

 今、新教コイノーニアの初校が上がり、執筆者・発言者(約40名)に校正をお願いしているところで

す。この新教コイノーニアは来年1月25日発行予定ですが、私の戒規免職問題とは何か? について、

手続き問題だけでなく、内容的にもよくまとまっているものに、支援会として自画自賛できるものにする

ことができました。完成した時には、支援者の約800名には支援会として、カンパをお願いしますが、

お送りすることになっています。そして広く教団の方々だけではなく、キリスト教界の人々に読んでいた

だき、現代の教会の宣教の使命について考えていただければと願っております。



            船越通信癸横械魁 。横娃隠鞠10月25日    

・17日(土)に教会の崖上の家が売りに出されて、新しい人が購入したからと、旧家主の方から連絡が

あり、教会の敷地との境界線の確認のために立ち会って欲しいと頼まれていましたところ、17日(土)に

測量する業者がやってきて、立ち合いました。崖やぶの上に石壁があって隣家が立っていますが、土地の

境界は石壁の下から少し教会の崖に入ったところにありました。境界を示す石杭が2本設置されていまし

た。

・18日の日曜日は礼拝後1か月ほどピースボートに乗って来られたHさんのお話を聞きましたが、その体

験はいずれ教会の機関誌「船越の丘から」に書いてくださるということですから、どうぞご期待ください。

Hさんのお土産のチョコレートとお茶をいただきながら、しばらく懇談して散会しました。その後Tさんが

残って、午後4時ごろまで、11月15日のDVD鑑賞会の案内を郵送する作業を一人でしてくださいました。

11月15日の「宮沢レーン事件」のDVD観賞会によって、今回計画したDVD鑑賞会は終わります。その後

のことは、11月15日のDVD鑑賞会が終わったら、また改めて新しい企画を考えたいと思っています。前

菅原文太の発言のあった辺野古の闘いのDVD鑑賞会のとき、終わってからその鑑賞会に来た数名の方と懇

談の時を持ちました。懇談は予定したわけではありませんが、DVD観賞会後お茶を飲みましたが、その延長

で午後4時ごろまでいろいろと話が弾んだ次第です。DVD鑑賞会と共にそのような時間も必要なのかと思わ

されました。次回の企画からはそのことも考慮に入れて進めたいと思います。

・この週の前半には比較的自由な時間が多くありましたので、最近新教出版社から出た、ウィリアム・ウィ

リモンの説教をめぐるバルトとの対話『翼をもつ言葉』を読みはじめ、4分の3ほど読みました。ウィリ

モンは、バルトは「神について語るのではなく神から語った」といいます。〈ウェッブによれば、バルト

は、神の弁舌のいきいきとした、圧倒的な力に崇敬の念を抱いていた。それゆえ、新しい語り方を求めた。

また、自分を含め、人間による神の説明すべてに、つねに疑いの目を向けた。そして、だから強固に、大

胆に、しかもしなやかに、多彩に、粘り強く語る者になった。おそれ多くも神が語ってくださるとき、

「キリストの福音は、不安にさせ、ショックを与える。それは攻撃の最たるものであり、いっさいを疑わ

しいものにせずにはおかない」。神の恵みは、あたたかい抱擁ではなく、「稲妻」であって、私たちをよ

り深い自己理解に導くと同時に、現在の自己を粉砕する〉(131頁)と記されています。私の説教はどうか

といいますと、バルトのように「神から語る」とまでは言えない、もどかしさを抱えながら、「神につい

ての説明」を繰り返しているのかも知れません。聖書は神の言葉の証言集といえると思いますが、ひとつ

のことをそれぞれの違った切り口で語っている神の言葉の証言集ではないでしょうか。私は今もバルトの

説教集から時々バルトの説教を読んでいますが、聖書のテキストに即して、そのメッセージが溢れ出てく

るバルトの語りに驚いています。

・22日(木)には午前中に、私の裁判の時にお世話になったO弁護士を関内の事務所に、支援会のT・N

さんとお尋ねしました。実は私の支援会では裁判の記録を一冊にまとめる予定でいます。その作業をT・N

さんがしてくださっていて、大体まとめてくださいましたので、それを見てもらって、公にしてはまずい

もの、公にする場合注意する点などをお聞きしました。いくつか指摘していただきましたが、特に個人名

については名誉棄損にならないように配慮すべきであると注意を受けました。現在新教コイノーニア『聖

餐・戒規免職・対話 イエスのいのちを受ける ~日本基督教団への問いかけ~』(仮称)はすでにすべて

の原稿を新教出版社に入稿していますので、校正待ちになっています。その新教コイノーニアの出版の後

に裁判記録を出すことになっています。一応裁判記録の出版が終わりますと、私の戒規免職撤回というこ

とからすれば、こちらの主張を文章化して公にすることが一段落します。後は戒規免職撤回とひらかれた

合同教会をつくる運動を教団内で地道に積み重ねていくことになります。そちらの運動としては、10月31

日(土)午後1時から紅葉坂教会で支援会の10・31集会があります。先ずはこの集会を出発点をして、今

後の取り組みを考えていきたいと思っています。

・22日(木)には午後4時半から高座渋谷教会で基地・自衛隊問題小委員会があり、私は一度船越教会

に寄り、24日の修養会に必要な書類を取ってから、高座渋谷教会に向かいました。基地・自衛隊小委員会

では毎回厚木、座間、横須賀の報告があります。今回は10月1日に横須賀に来た原子力空母ロナルド・レ

ーガンのことが、横須賀でも厚木・座間でも話題になりました。ロナルド・レーガンが横須賀に停泊して

いるときに、艦載機の訓練が行われ、大和近辺の爆音の凄さが問題になりました。艦載機の爆音は、私も

大和で一度聞いたことがありますが、耳がどうかなってしまうのではというほどの恐ろしく大きな音です。

そのロナルド・レーガンに安倍首相が自衛艦の観艦式の後、自分から希望して乗ったということですが、

この人は何を考えているのか、人の痛みに対する感性が全く欠落しているとしか思えません。沖縄の辺野

古の新基地建設問題でも、菅官房長官にしろ安倍首相にしろ、沖縄の人々が沖縄戦を強いられ、この70年

間どのように歩んできたのか、沖縄の人々の身になって考えるという視点を全く持たないで平然としてい

られることが私には考えられないことなのですが・・・。

・24日(土)午後5時から修養会があります。今回の出席者は少な目で11名ですが、船越教会の聖餐の

歴史をWさんに発題してもらい、私の戒規免職の問題とつなげて日本基督教団の中での船越教会の立ち位置

を確認するときにしたいと願っています。なお、その他に「船越教会平和センターの案内」の確認や相談

したい件がありますので、そのための時間も持ちたいと願っています。修養会は実質的には25日(日)礼

拝前までで終わり、その後日曜礼拝をして散会することになっています。私は25日の礼拝後すぐに足立

梅田教会に出かけたいと思います。足立梅田教会は神学校を卒業して私が最初に赴任した教会ですが、10月

14日に帰天した教会員の方のお別れの会が午後2時から行われます。できればその会に出席したいと思って

います。