なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(183)

          船越通信癸隠牽魁 。横娃隠看10月26日                  

・16日の木曜日に船越教会に来ましたら、12日の日曜日に、大型の台風19号が近づいているので、外

階段下に立てかけてある古い看板が倒れて、通りがかりの人に怪我でもさせては困るので、4人で上の教

会の庭に寝かせておきましたが、その看板が階段下に二本の支柱が掘られた穴の中に納まって立てかけ

られていました。穴はまだセメントで固めてはありませんでしたが、多分N・Hさんがしてくださったの

ではないかと思いました。19日の日曜日は礼拝後、Wさんが差し入れてくれた美味しいパンをみんなで

いただきながら懇談の時を持ちましたが、その時N・Hさんに確かめましたら、お一人でその作業をして

くださったということでした。4人で上げた看板を一人で降ろしたのですかと言いましたら、上げるのは

大変だが、降ろすのは一人でもできましたよとおっしゃいました。船越教会の外階段は25段くらいあり

ます。それを相当重い看板を一人で降ろすのですから、作業に慣れているからと言っても、そう簡単では

なかったのではないかと思います。N・Hさんは、「庭に放置しておけば、看板が汚れてしまうので」とお

っしゃいました。その日、N・Hさんは、仮設置した状態でよければ、支柱の穴をコンクリートで固めます

が、と言われましたので、よろしくお願いしますと言って頼みました。

・この日は懇談してみんなが散会した後、私は10月28日から30日まで行われる教団総会の会期中に予定し

ています私の支援会の10・29「全国交流集会」の準備で資料の印刷などをして、午後2時半ごろ船越教会

を出ました。その時N・Hさんは教会の裏の崖を登る階段をセメントを作って補修していました。いつもあ

りがとうございます、先に帰らせてもらいます、と声をかけて、私は船越教会から鶴巻に向かいました。

その時、教会の階段を降りると、既に看板の支柱はコンクリートで固められていました。

・1年前の船越教会と現在の船越教会では、大分風景が違って見えるのではないかと思われます。今年3

月から4月にかけて、会堂の外装ペンキ塗り工事をしましたので、会堂の外観がきれいになりました。7月

には道路側崖の法面落石防止網とその崖の上のブロック塀撤去とフェンス更新工事が行われました。それ

だけではなく、教会の庭や樹木の手入れがN・JさんやN・Hさんによって行われていますので、教会の庭も

きれいになっています。礼拝に来る人も気持ちよく感じるのではないでしょうか。

・21日(火)には、寿で関わりのありますコンゴの方の難民認定訴訟が東京地裁でありあしたが、今回

私はちょうど農伝の授業の日と重なってしまい、傍聴に行くことができませんでした。今回は第9回公判

でしたが、この裁判には予定が重ならない限り、できるだけ傍聴するようにしています。この裁判を傍聴

していて感じるのは、日本の国の難民認定制度の壁の厚さです。裁判は、弁護士側の難民を立証する証拠

書類の提出とその書類に対する国側の反論書類(難民とは立証できない)のやり取りですが、それを傍聴

席で見ているだけでも、日本の国は個人の人権を尊重するという視点がどれほどあるのかという思いを持

ってしまいます。

・23日(木)は、国会前の辺野古新基地建設反対座り込みに行く予定でしたが、午前中雨が降っていま

したので、電話連絡でこの日は座り込みをしないことになり、私はいつもより少し早目に鶴巻を出て船越

教会に向かいました。電車に乗っていましたら、外が明るくなって雨が上がっていましたが、そのまま船

越教会に来ました。この日の夜は聖書研究会がありました。テキストはガラテヤ人の信徒へ手紙4章8-2

節でした。

・この箇所は、ガラテヤの信徒たちがユダヤ主義者に影響されて、パウロの宣べ伝えた福音、ただイエス

キリストを信じる信仰による義から律法の実行による義という異なる福音を信じるようになったことに対

して、ガラテヤの信徒たちがもう一度パウロの宣べ伝えた福音への信仰に立ち返ることを願って、ガラテ

ヤの信徒たちにパウロが情で訴えている所です。「わたしの子供たち、キリストがあなたがたがの内に形

づくられるまで、わたしは、もう一度あなたがたを産もうと苦しんでいます。できることなら、わたしは

今あなたがたのもとに居合わせ、語調を変えて話したい。あなたがたのことで途方に暮れているからです」

(ガラ4:19,20)と、パウロは述べています。パウロの手紙を読みますと、最初期の教会にも福音理解の

相違があったことがわかります。パレスチナユダヤ人中心のエルサレム教会の福音理解は、彼らの伝統

である割礼や律法や神殿礼拝から全く自由ではなかったと思われます。一方パウロの福音理解は、律法か

ら自由で、ただイエス・キリストを信じる信仰による義に基づいていました。それだからこそ、ユダヤ

からは異邦人と蔑まれていた非ユダヤ人にもパウロの福音は受け入れられていったのだと思います。いず

れにしても、最初期の教会からは、福音は一つであっても、それを受け止める側の福音理解は一つではな

かったということが、ガラテヤの信徒への手紙を読んでいますと、よくわかります。そういう意味では、

最初期の教会から教会の一致は信仰の対象ではあっても、現実の教会は多様性があるということではない

かと思われます。私は免職の事で教師委員会と面談したときに、一教師委員の教義の一致がなければ一緒

にやっていけないという趣旨の発言に対して、一致を信じるが故に、違った者たちが一つをめざして対話

していくことができるのではないかということを申し上げました。もし教義による一致が教会の一致の前

提条件になるとすれば、正統と異端という枠組みができてしまうのではないでしょうか。福音の真実によ

る一致を求めて対話と論争にかける、そこに歴史的教会の営みはあるのであって、自らを正統化すること

を歴史的教会は慎むべきではないかと思うのです。ガラテヤの信徒への手紙を読んでいて、パウロが苦し

みながら手紙を書いてガラテヤの信徒へ呼び掛けているその姿勢に学びたいと思います。