なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(333)復刻版

 黙想と祈りの夕べ通信(333)復刻版を掲載します。2006年2月のものです。

 数日前に紅葉坂教会から教会創立110年から120年の10年間の教会の記録を120年史のような形で遺して

おくことになっているからと、その一部に私の教師退任勧告・戒規免職問題の記録があるので、その最終

稿に目を通してもらえないのかと原稿が送られてきました。誤字や年代表記の間違えと、多少教団史の記

述における認識の間違い部分を訂正して、送り返しました。この私の問題は、2006年くらいから教団常議

員会において顕在化していますので、かれこれ7~8年になります。まだ終わっていません。その原稿を読

んでみて、改めて随分長い間、また相当のエネルギーを教会としても私個人としてもこの問題に投入して

いることが分かりました。
 
 私のストレスを心配してくださっている方も多くいらっしゃいます。幸い私にはこの問題でそれほどの

ストレスは感じていません。連れ合いもそうです。それは、私の教師退任勧告および戒規免職の常議員会

や教団総会でのプロセスに、私も連れ合いもほぼすべて立ち会っているからだろうと思います。そのプロ

セスがいかに不当であり、非民主的な手続きの繰り返しであったかを、つぶさに見て知っているからから

です。その点で、私自身の側に何もやましいことがありませんので、裁判や教団内における戒規撤回の運

動を可能な限り続け、後は歴史の審判に委ねるのみです。

  
        黙想と祈りの夕べ通信(333[-20]2006・2.12発行)復刻版


 最近Tというホテルのことが、メディアで取り上げられているが、実は先日Hさんを教会で招いたとき

に、お泊り戴いたのが桜木町にあるTホテルでした。ちょうどHさんに宿泊していただく日の2日前に、朝

日新聞の一面トップに、新しくできた横浜のホテルが、建築許可を取った後、勝手に駐車場や障がい者

の部屋を作り変えていたという不正が公になったところでした。よっぽど他のホテルに変えようかとも思

いましたが、宿泊日が迫っていたので、そのままにしてしまいました。実は昨年秋に兵庫の長田活動セン

ターのSさんを招いたときには、桜木町のWホテルに部屋を取りました。Tホテルとは5000円ほど高かった

ので、以前沖縄のY牧師にもTホテルに泊まっていただいたこともあるので、安いTホテルにしてしまった

のです。Hさんは九州から来ますので、交通費もかかるからということもありました。教会の負担もそれ

だけ少なくてという思いもありました。今回のことがあって、安さを求める私のような存在が、Tホテル

の不正を間接的に補完しているのではないか、と思わされました。ホテルに一泊するということは、それ

なりの費用がかかるわけで、それをできるだけ安くすませようという発想には、どこかに落とし穴がある

ように感じました。

 上記の私の発言に続いて、一人の方から以下のような発言がありあました。今日朗読したマタイ福音書

20章1-16節の労働者の譬えは、以前日曜学校の子供たちと夏期キャンプのときに一緒に考え、学んだとこ

ろだ。そのときにこの譬えに目が開かれた。主人の言葉「わたしがしてやりたいのだ」がポイントであ

る。確か牧師が言ったと思うが、「労働者にはそれぞれ家族がいたら、その日一日分の賃金をもらって帰

らないと、その労働者の家族はご飯が食べられなくて困るよね」と。私は知的障がい者の作業所や母親支

援のレスパイトにボランティアとして関わっている。辺野古の基地反対で国会前の座り込みに行ったと

き、同じ国会前で重度の障がい者が、自立支援法反対の訴えをしていた。自立支援法は国会で可決してし

まった。4月から収入の余りない障がい者の自己負担が増える。健常者が外出するのとペルパーを必要と

する障がい者が外出するのとは全く違う。障がい者が外出するためには、人手もお金も必要である。前に

は援助のあった給食費のようなものも、4月からは一割負担になる。弱さを持つ人には健常者より支援も

厚くあるべきなのに、削られていくのでは話にならない。「わたしはしてやりたいのだ」という譬えの主

人のように、弱者には厚いという社会が来ることを祈りたいと思う。

 また、別の方からの発言がありました。最近「白バラの祈り」という映画を見た。ヒトラー独裁政権

ミュンヘン大学に、抵抗運動をして処刑された「白バラ」と呼ばれる学生グループがおり、その内の一

人の女性ゾフィィに視点をあてた映画である。ドイツ国民としてある意味守られて学んでいた彼らだった

が、自分たちの国が行っている様々な残虐行為を知り、命を差別し惨殺したり、一人一人の命が大切にさ

れないような国の誤りに気づき、ヒトラー政権打倒のビラを大学構内に撒いた。自分の「良心」にもとづ

いて行動し、自分の「安全」を捨てた。彼女の祈りは「神様、私を見捨てないで下さい」であり、最後の

言葉は「太陽は輝き続ける」。自分自身の感性と勇気が問われて続けていると感じた。