なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

マルコ福音書による説教(10)

マルコ福音書による説教(10)  マルコによる福音書2:18-22
 
  「新しいぶどう酒は新しい革袋に入れるものだ」。
  このマルコによる福音書2章18節から22節は、断食についての問答が記されています。イエスの時代の敬虔なユダヤ人はしばしば断食をしていました。ここでは、人々が(マタイは「ヨハネの弟子」、9:14。ルカでは「パリサイ人律法学者たち」、5:27)断食についてイエスに質問し、それにイエスが答えているのであります。
  断食は、一般的には現代の私達にとりましては、健康療法(断食道場)やハンガ-ストライキ(抗議の手段としてのハンスト)などで知られている位かも知れません。他の宗教ではどうしているか分かりませんが、キリスト教の世界で宗教的な意味を持った断食が行われているということは、殆ど聞いたこともありません。そういう意味では、私達にとって、断食はそんなに身近なことではないでしょう。
  けれども、イエスの時代のユダヤ人にとっては、断食は祈りと施しとならんで、神への謙遜で、信頼に満ちた人間の態度を表す重要な行為の一つとして考えられていました。「旧約の律法で規定されている断食は、大贖罪日におこなわれたものが唯一の断食であります(Lev.16:29-31,23:27-32,Num.29:7)。この断食は、秋の新年に行われ、全国民の懺悔を表し、贖罪によって神との交わりが更新される」と考えられていました。新約の時代にもこれが守られていたとは、使徒行伝279節の「断食期」という言葉からも知ることができます。このほか、「イスラエルの民族的災難の記念日にも、集団的な断食が行われていました」。ゼカリヤ書819節に、こう言われています。「万軍の主はこう仰せられる。四月の断食と、五月の断食と七月の断食と、十月の断食とは、ユダの家の喜び楽しみの時となり、また祝いの時となる。ゆえにあなたがたは、真実と平和とを愛せよ」と。これは、⑴ネブカドネザルによるエルサレム包囲の始まった10月(テベテ)10日(2Kings.25:1),エルサレムの陥落した 4月(タンムズ)の 9日(Jer.52:6ff.),⑶神殿の破壊された 5月(アブ)の 7(2Kings.25:8),⑷ゲダリヤの殺された 7月(チスリ)の 2日(Jer.41:1Zek.8:19を比較)とでありました。つまり、バビロニアによるイスラエル民族の国家的滅亡という事件です。このような集団的断食と共に、個人的にも敬虔なユダヤ人は断食をしていた。パリサイ人は週2回、律法を守るためにモ-セがシナイ山に登ったという週の第5日(木曜日)と、下山したという週の第2日(月曜日)に断食をしていました。ヨハネの弟子たちもほぼ同様に断食をしていたのでしょう。
  しかし、このような断食の実行は、ともすると形式主義になる危険が常に伴います。イエスご自身、マタイによる福音書6章16節以下で、「人に見せるために」する断食の偽善を鋭く批判しています。そこには、断食という肉体的な苦行を通して、より深く神に魂を集中する断食本来の目的から外れ、人間の虚栄が表れているからであります。聖書の中にも、旧約聖書ですが、そういう人間の姿がイザヤ書58章3節から7節のところに記されています。そのところを読んでみますと、「彼らは言う『われわれが断食をしたのに、/なぜ、ごらんにならないのか。/われわれがおのれを苦しめたのに、/なぜごぞんじないのか』と。/見よ、あなたがたの断食の日には、/おのが楽しみを求め、/その働き人をことごとくしえたげる。/見よ、あなたがたの断食するのは、/ただ争いといさかいのため、/また悪のこぶしをもって人を打つためだ。/きょう、あなたがたのなす断食は、/その声を上に聞こえさせるものではない。/このようなものは、わたしの選ぶ断食であろうか。/人がおのれを苦しめる日であろうか。/このこうべを葦のように伏せ、/荒布と灰とをその下に敷くことであろうか。/あなたは、これを断食ととなえ、/主に受け入れられる日と、となえるであろうか。/わたしが選ぶところの断食は、/悪のわなをほどき、くびきのひもを解き、/しえたげる者を放ち去らせ、/すべての軛を折るなどの事ではないか。/また飢えた者に、あなたのパンを分け与え、/さすらえる貧しい者を、あなたの家に入れ、/裸の者を見て、これに着せ、/自分の骨肉に身を隠さないなどの事ではないか。」
  ここでは、断食は、神に嘉せられるために、隣人愛に結ばれ、かつ真の義の追求を伴うものでなければならないことが語られているのであります。断食は、このイザヤ書の中でも語られているように、そのものとしての行為は「おのれを苦しめること」、「その身を悩ますこと」であります。神への謙遜を表す行為と信じられていましたが、それは「悲しみ」や「懺悔」のしるしであります。詩篇69篇10節には、「わたしが断食をもって、わたしの魂を悩ませば、/かえって、それによってそしりをうけました」とい言葉があります。「断食は、悲しみである。人間の罪-他人の罪と自分の罪、その悲しみ、嘆き、そのあらわれが断食である。主なる神に救いと助けを嘆き求めている人間の悲しみ」(鈴木正久)であるといわれます。聖書を見ますと、断食を行う機会と動機は様々であります。「困難な仕事に着手したり(Judg.20:26,Esther.4:16),過ちの赦しを願ったり(1Kings.21:27),病気の回復を求めたり(2Sam.12:16,22)寡婦が夫の喪に服したり(ユデ8:6Lk.2:37),誰かの葬式に際し悲しみを表したり(1Sam.31:13,2Sam1:121)、国家の不幸を嘆いたり(1Sam.7:6,2Sam.1:12,バル1:5Zech.8:19),災いの終わりを願ったり(Joel2:12-17,ユデ4:9-13)……神との出会いを準備したり(Ex.34:28,Dan.9:3)する時などである」。
  バプテスマのヨハネの弟子たちとパリサイ人は断食していた」と記されています。この背景には、人間を覆う罪と死の(暗い)現実があります。それに直面して、悲しむ人間がいるのであります。「ヨハネの弟子たちとパリサイ人の弟子たちが断食をしているのに、あなたの弟子たちは、なぜ断食をしないのですか」とい質問に対して、イエスは答えて言いました。「婚礼の客は、花婿が一緒にいるのに、断食が出来るであろうか。花婿と一緒にいる間は断食は出来ない」と。
  「婚礼の客」と訳さているところは、直訳しますと、「婚宴の部屋の子ら」であります。ユダヤではヨハネによる福音書2章に記されていますカナの婚宴の物語に示されていますように、二人の男女が結婚式を挙げますと、彼らは家に留まり、一週間ばかり、その家が開放されて、婚宴の喜びが続くのであります。激しい労働の生涯で結婚式の週は、人々の人生の中で最も楽しい週であったことでしょう。この幸せな週に花婿と花嫁の親しい友人が招かれてきます。そして彼らのことを「婚宴の部屋の子供ら」という言い方で呼んだというのです。
  エスは弟子たちが何故断食をしないのか、という質問に対して、彼らは「婚宴の部屋の子供ら」だと言うことによって、私達人間は本質的に喜びの中にある存在なのだ、ということを示したのでしょう。日々の労働の厳しさの故に、宗教的な厳格主義のゆえに、様々な悲しみ、苦しみのゆえに、日々生きることが祝福とは思えなくなっている人々に、全ての者の根底に喜びがあるという事実を突き付けているのです。そういう喜びを見失っている者たちにたいして、自ら花婿として我々の中に立たれ、われわれを「婚宴の部屋の子供ら」の喜びへと招くために。そのようなイエスが共におられるところでは、神による救いと助けが現実となっているのです。そこでは、人間の悲しみの表れとしての断食は、すでに過去のものになっているのです。人間の悲しみと嘆きは、神の救いと助けの成就であるイエスによって、聞き届けられ、喜びに代えられているというのです。それ故に、イエスと共にいる弟子たちは断食をする必要がないのです。パウロという人は、「あなたがたは、主にあって、いつも喜びなさい。繰り返していうが、喜びなさい」(Phil.4:4).「わたしの神は、ご自信の栄光の富の中から、あなたがたの一切の必要をキリスト・イエスにあって満たしてくださるであろう。」(Phil.4:19)と語っています。
  マルコの福音書の記者は、イエスの出来事の中に、既に断食の必要としない新しい時の到来を見てとったのでしょう。ヨハネの弟子たちやパリサイ人の弟子たちを断食へと追いやる人間の悲しみや嘆きがないというのではありません。そのような力からイエスによって私達が解放されているというのです。21-22節の二つの譬え、ぶどう酒と革袋、服の破れと布切れがここに結び付けられている意味は、イエスにある新し時の到来を意味しています。イエス・キリストはすべてを新しくする。イエス・キリストにあるとき、すべてが新しくなると。それは、イエスと共に歩む道が、伝道の書の著者のいう「日の下に新しいものはない」という生に対して、究極的な神の支配(神の国)の成就・完成がイエスによって私たちの現実にもたらされていること、神の未来が現在に突入している神の現実を信じ、それにふさわしく、なおまだ私たち人間に悲しみや嘆きもたらす日常にあって生きて行くことができるという新しさではないでしょうか。