なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信№18

船越通信№18   2011年8月7日     
 ( )内はこのブログで付け加えました。)
 
  報告を忘れていましたが、723Kさんをホームに訪ねました。1時間ほど話しました。耳が大分遠くなっている様子。亡くなった夫のGさんは仕事熱心だが、新聞も本も読まない人だったと。50年前に洗礼を受けた時に、Gさんは棒で自分の腰をいやというほど殴った。その時、憲法を示して、夫といえども妻の人権と権利を侵してはならないことを訴えたら、それ以来自分が教会に行くことに何も言わなくなったと、以前にも伺ったお話でしたが、おっしゃっていました。讃美歌はどれも好きだが、讃美歌第一編95が愛唱歌であると。ヒムプレーヤーを持って行きましたので、ヒムプレーヤーで演奏して、一緒に95を歌いました。しばらく前にTさんが伺った時には、元気がなかったと聞いていましたが、私が伺った時には、比較的元気でした。最後に祈って別れましたが、その時も私が祈り、主の祈りを共に祈り、そして最後にKさんが祈りました。
  731日の日曜日は、私はなか伝道所で礼拝説教と午後の発題を担当しました。Wさんから、礼拝では聖餐の話を、午後は戒規の問題をということでしたので、礼拝ではマルコ福音書14:22-26の最後の晩餐での聖餐に当たるイエスの振る舞いをテキストにしましたが、聖餐に関わる福音書の物語全体から、聖餐についての私の想いを「いのちの食事」と題してお話ししました。
  エスの生き様によれば、イエスは最も小さくされている者の地平に立って彼ら・彼女らと共に生きられた方です。「貧しい者、罪人たちと共に食事されるイエス」が聖餐の源にあるイエスの出来事ではないでしょうか。神の国はそのようにして地上に到来しているのだと、イエスは信じ行動したように思います。聖餐はそのような神の国の先取りとしての愛餐である食事の中で行われるようになったと思います。今日のテキストの最後の晩餐でのパンとぶどう酒をイエスの体と血として食べ飲む行為が、実際に行われたイエスのパフォーマンスだったのか、後の教会が考え出したものなのかはよくわかりませんが、いずれにしろこのパンとぶどう酒を分かち合う行為は、イエスの命の継承を意味したと思われます。イエスの命の継承とは、最も小さくされている人々が排除されない食卓共同体であり、それは神の国の先取りとしてこの世に現前するコイノーニア(教会)ではないかと思うのです。そのようなコンテキストから最後の晩餐での聖餐に関わるイエスの行為は、この物語の前後に示唆されています逃亡と裏切りを抱える弟子たちをイエスの命に繋がらせる、惠の先行と優位性を物語る出来事として理解することが出来るでしょう。その意味で聖餐は、人類共同体ともいえる神のもとにあって対等同等な人間同士がそのいのちを分かち合う象徴的な行為でありますので、希望するすべての人に開かれて当然のように私には思われます。そして最後に金芝河の「飯は天」という詩を朗読して終えました。
 「飯は天です/ 天は独りでは支えられぬように/ 飯は互いに分かち合って食べるもの/ 飯は天です。/ 天の星をともに見るように/ 飯はみんなで一緒に食べるもの/ 飯は天です/ 飯が口に入るとき/ 天を体に迎えます/ 飯は天です/ ああ 飯は/ みんなが互いに分かち合うもの」
 なお「福音と世界」20116月号、随想メッセージ~聖書と現実の往還から~6、「『炊き出し』と「聖餐式」に通底するもの」という私の文章も参照いただければ幸いです。
  午後は「私の戒規免職問題とは何か?」という題でお話をさせていただきました。この問題については関心があるようで、私が話した後で質問や意見が次々に寄せられました。私は私の戒規免職処分の根底には日本基督教団の教会の「護教」があると思っています。この護教の精神は戦時下の教団と同じです。現在教団で表面的に現れている現象としては福音主義教会連合と連合長老会、そして東神大が合体して教団を自分たちの恣意的な方向に統制管理しようとする動きです。特に東神大の危機(私は東神大は既に批判的な神学的実存を失った形骸化した神学校だと思っています)があると思っています。以上がなか伝道所で話した私の話の骨子です。以下はこの通信で付け加えますが、東神大がつぶれたら教団の教会も危ういと思っている信徒の方も多いと思いますが、それは感違いです。むしろ東神大は一度解体して、新しく出直さない限りだめです。神学を学ぶ場で自由な批判精神がなかったら、神学など学ぶことはできません。教条主義的な今の東神大は神学を学ぶ場としては最悪です。
    なか伝での質問や意見の多くは教会が組織になると組織悪に負けてしまうのかというものでした。私は、『自立と共生の場としての教会』でも書きましたが、教会を人の集まりとして捉え、参加者の自立と共生の場として教会を位置づけたいと思っています。ですから、牧師がいなくても、小集団に集まる人たちが聖書と現実の狭間で共に生きて行くグループの運動そのものが教会ではないかと考えています。(ただそういう信徒だけの小集団は信徒がそれなりに成熟していませんと、なかなか困難です。ですから、教職が過渡的に必要な面はあります。地方の教区では既成の教会が維持できなくなっているようです。しかし、その地域には福音を宣教する主体がなくていいということではないでしょう。その地域に生活する信徒が福音宣教を担う主体となっていかなければなりません。牧師がいなくても既成の教会の活動ができなくても、一人でも二人でも宣教の主体として信徒がその地域で生きて行くようになることではないでしょうか。そのような主体としての信徒を支えるにはどうしたらよいのかを考えなければならないと思います。)
    731{}午後6時から聖餐を考える会があり、24日のかながわ明日の教団を考える会で立ち上がった神奈川北村裁判支援会世話人及び事務局から、全国的な支援会にするために世話人には東京や大阪の支援会からも、事務局には東京からも入ってもらいたいとお願いしました。
    84日の木曜日には、船越教会に来る前に国会前の辺野古新基地建設反対の座り込みに参加してきましたので、船越教会に到着したのは夕方になってしまいました。