黙想と祈りの夕べ通信(464)復刻版を掲載します。2008年8月のものです。
昨日は教師委員会の面談に行ってきました。このことについては、少し整理して機会があれば、報告
したいと思います。
黙想と祈りの夕べ通信(464/5[-46/47]2008・8・24発行)復刻版
8月17日の日曜日は私の夏期休暇の1日でしたが、神学生のKさんが説教するのに、実習を受け入れてお
きながら、全て任せ切りで、実習の神学生の説教も聞かないで、神学校に報告するというわけにもいかない
ので、休みを返上して礼拝の牧会祈祷、幼児祝福、祝祷と派遣のことばを担当しました。また、夏の礼拝に
はキリスト教主義学校から中学生や高校生が夏休みの宿題で日曜礼拝に出席し、その証明を書くのも私の責
任ですので、17日は通常のように礼拝に出ました。けれども、土曜日まで完全に夏期休暇という頭でしたの
で、この通信を忘れてしまい、17日は発行できませんでした。そこで今号は17日、24日合併号とします。ロ
ーズンの聖書日課を2週間分いれますので、ナウエンの日課はお休みにします。
さて私は8月21日(木)-22日(金)にIさん(牧師)と関西神学・『教会と聖書』共催夏期合宿に行って
来ました。この夏期合宿に私が講師として招かれたからです。Iさんはこの合宿に毎年参加しておられるそう
です。たまたま以前『教会と聖書』誌に教師退任勧告のことで原稿依頼を受けましたので、そのことが今回
の夏合宿の講師ということになったわけです。その私の原稿が掲載された『教会と聖書』誌68号は2月23日発
行でした。ちょうどその前に常議員会があり私の再勧告が可決されました。編集後記に編集長のI・Tさんが
「もう常議員会なんか行きたくない」旨の文章を書いたことが、編集委員会で無責任と指摘されたて、I・T
さんの自己批判の文章のみが『教会と聖書』号外(4月1日発行)として出ました。『聖書と教会』69号は6月
13日発行です。そういう誠実な姿勢に動かされたこともありますが、私は夏期合宿の講師を引き受けました。
合宿で私が話したのは、自分がキリスト教に関わり、教会の教職として歩んできた40年近い経験を報告した
だけに過ぎません。25名位参加者があり、その中には近江金田教会のYさん(牧師)もいました。
この夏期合宿が行われた場所は丹波篠山です。西宮北口にある教会から自動車で1時間ぐらいのところでした。
盆地で京都と同じように暑いところだと聞いていましたが、合宿の期間は比較的涼しく快適でした。集会は前
記のI・Tさんが牧師をしている日本キリスト教団篠山教会の会堂で行われました。一日目の夕食は篠山では有
名なお店で済ませ、宿泊は小高いところにある旅館でした。天然温泉ということで、お風呂にもゆっくり入れ
ました。私は一日目の夕食前に話をしましたので、その後は気分もゆったり過ごすことができました。丹波篠
山は城下町です。城はありませんでしたが、堀は残っていました。町全体が城下町の様相を残し、そのことに
よって観光客を目当てにしているようでした。古い日本家屋だけでなく、大正ロマン館という洋風のレトロ建
物があり、なかなか雰囲気のある街でした。2日目、朝食を旅館で済ませ、教会に戻り、午前中私の話を受け
てKさん(牧師)が、「“使徒行伝”の転換期から、教会発足時の『正統』を問う!~“関西神学塾“からの
発言~」という題で、講演しました。特に使徒行伝13章から15章を扱い、著者ルカによる「混在」から「正
統」への道を話されました。聖書の時代からさまざまなものが混在している多様性に対して、それを許さな
い正当化の試みがなされていることを示し、現在の教団の状況とも重なることを指摘されました。質疑応答
と参加者の感想を聞き、午前合宿の予定されたプログラムを終えました。こういう形で関西神学塾の方々が
私の教師退任問題を共有しようとしてくださることをうれしく思いました。合宿終了後、岩手のわんこそば
とちょっと似ている篠山の皿そばをみんなで食べて、散会しました。私はIさんと西宮北口まで自動車で送っ
てもらい、大阪に出て新幹線で帰ってきました。
(この日の通信にはナウウンは割愛されています。)