なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(119)

        
         船越通信癸隠隠后 。横娃隠廓7月28日       

・7月21日の日曜日には、船越教会の礼拝説教をKさんにお願いして、私は、岩手奥中山教会の

創立32年(伝道所開設から62年)の創立記念礼拝の説教を頼まれ、土曜日から月曜日にかけて

行ってきました。土曜日は午後2時56分東京駅発新青森行き東北新幹線で行くことになっていま

した。ところが、電車の整備で遅れているとのアナウスがあり、奥中山教会にもその旨連絡をし、

発車の時間を待っていました。電車は20分くらいの遅れで東京駅を発車しました。岩手ぬまくな

いで下車。予定より遅れましたが、駅前に奥中山教会のE牧師が迎えに来てくださり、先生の自動

車で奥中山の幾つかの場所を案内していただいてから、奥中山教会に着きました。教会には皆さん

の持ち寄りによる夕食が用意してあり、10数名の教会員の方々が私を迎えて下さいました。私

は、約50年前東京神学大学在学中に、奥中山出身の友人と二人でひと夏、今は建物だけが道路か

ら奥中山教会へ入るすぐ左側の場所に残されている奥中山伝道所に泊りこみ、夏期伝道実習のよう

なことをしたことがありました。その時伝道所のお隣に家があった方に大変お世話になりました

が、その日私を迎えてくれた教会員の方々の中にはその方もいらっしゃいました。

・当時はまだ1960年代前半で、ちょうど東京オリンピックのあった年だったと思います。このころ

から日本社会は高度経済成長の時代に入っていきますが、私が奥中山に行った時には、戦後この地

に入植して開拓したキリスト者開拓団の家族の方々の生活は大変厳しかったように思えました。友

人と訪問したある家族の住んでいた家は、木造で板を貼った外壁には隙間があって、これではこの

地方の厳しい冬の寒さの時は大変だろうなあーと思いました。ただ柵の中に飼われていた牛に子牛

が誕生したばかりで、その子牛が実にかわいらしかったことが思い出されます。その家も開拓団の

仲間ということでした。この奥中山には、当時確か日本キリスト教奉仕団の施設があり、ユースホ

ステルも運営していて、そこに友人のお母さんが働いていました。その頃クリスマスの時期にその

奉仕団の企画として、雪の中を橇に乗って回るクリスマスのキャロリングをするというのがあり、

私の連れ合いはそれに2度参加しています。

・奥中山は私にとってそういう懐かしい所です。しかし、上記の私の友人なども発足に関わり、既

に天上の人でしたが、彼のお父さんの開拓地を提供して、障がい児の施設奥中山学園カナンの園が

1972年に設立されました。このカナンの園がその後障がい児・障がい者支援のさまざまな施設(学

校、作業所、グループホーム、ケアホームなど)を、収容型施設ではなく地域密着型というか、奥

中山という地域の中で共に生きるという方針で、町の中に沢山散在して持っているのです。1996年

にも私は奥中山教会の創立記念礼拝に招かれて奥中山に行き、その時にもカナンの園の案内をして

いただきましたが、今回はその時よりも更に多様化した施設ができている感じを受けました。カナ

ンの園が設立されてから、公的な障がい児・障がい者の施設も奥中山に出来るようになって、岩手

県の中では奥中山という町は福祉の町になっているように感じました。人口3000人の内福祉関係の

方々が当事者を含めて600人位いるということとでした。

・奥中山教会も、私が神学生時代に行った伝道所の時代には礼拝出席者は数名でしたが、1996年に

来た時は100名近かったのではないでしょうか。それから17年経った今回もそれに近い人数だっ

たのではないでしょうか。教団年鑑では80名強の礼拝出席になっています。カナンの園関係の方々

が圧倒的に多いようですが、町の人も礼拝に来ているようです。障がいのある方も礼拝参加者に多

いということで、礼拝はインクルージョン(包括)の形に工夫されています。子どもも大人も、障

がい者も健常者も対等な関係にあることが自然に現われている感じです。聖書や讃美歌の歌詞や使

徒信条や主の祈りの言葉は、プロジェクターによって礼拝堂の正面の壁に映し出されます。

礼拝参加者はただ受け身ではなく、いろいろな役割を担っていて、参加型の礼拝になっています。

私は、土曜日教会でみなさんと夕食を共にした後、奥中山高原にある宿泊施設に送っていただき、

そこで一泊しました。ナトリウム系の温泉のある所で、土曜日の夜も日曜日の朝も温泉に入ってゆ

っくり過ごすことができました。日曜日の朝温泉に入ったのは、牧師になって今回が初めてかも知

れません。奥中山教会の教会員の方が迎えにきて下さって、日曜礼拝を共にし、礼拝後には持ち寄

りの愛餐会がありました。午後1時半には終わり、その後カナンの園で働いている方が自動車で施

設の全体を案内して回ってくれました。黒豚を飼っている所があり、羊が数頭放牧している場所が

あり、クッキー工場があり、またケアホームの部屋にも当事者の方の了解を得て入らせていただき

ました。今回羊が結構ワイルドであることを知りました。名古屋の東山動物園の子どもが触れ合う

ことのできる羊は、奥中山の羊と比べて小さくおとなしかったように思います。案内して下さった

方にお聞きしたら、それは子どもの羊だそうです。大人になった羊は結構ワイルドだそうです。案

内してくれた人が、メエー、メエーと呼ぶと、どすの利いた声を出して羊が二匹突進してきまし

た。奥中山にいた羊を、聖句カードに描かれているように、イエスさまが肩の上に載せて、連れ戻

してくるという風には、どうしても想像できませんでした。

・さて、日曜日は奥中山教会を午後4時ごろ、私の裁判支援会の世話人をしてくださているKさんの

運転する自動車に乗せて頂いて、途中石川啄木の碑や記念館にある古い民家や学校などを見せてい

ただき、盛岡の内丸教会の牧師館に連れて行って頂きました。内丸教会の牧師はNさんで、以前川

崎のまぶね教会の牧師をしていたこともある方です。中原さんのお連れ合いのS牧師は土沢教会の

牧師をしていますが、お二人ともKさん同様私の裁判支援会の世話人を引き受けてくださっていま

す。この日の夜と翌日の月曜日のお昼前後の2回メンバーは少し入れ替わりましたが、私を囲んで

懇談の時を持ちました。主に私の裁判のことと聖餐問題について話し合いました。日曜日の夜は内

丸教会の牧師館、旧宣教師館で、木造の立派な建物で天上も高く部屋数も多く、八戸北伝道所のI

牧師と別々の部屋に泊らせていただきました。二つの会を終えて、月曜日午後4時頃の新幹線で帰

途に就きました。