なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

使徒言行録による説教(46)

        使徒言行録による説教(46)使徒言行録13:13-25、
              
・13節に、「パウロとその一行は、パフォスから船出してパンフリア州のペルゲに来たが、ヨハネは一行と別れてエルサレムに帰ってしまった」と記されています。

・前回のところにありました、キュプロ島における魔術師エリマとの対決を終えて、一行は海を渡って北上したというのですが、2節では「バルナバとサウロ」が伝道に派遣されたと記されていましたが(4節も)、ここでは「パウロとその一行は」と言われています。アンティオキア教会から派遣されたのは、バルナバとサウロ、それに助手のヨハネの三人でした。最初、その中ではバルナバが年配者として主導的な立場にいたと思われます。そのことは、バルナバが3人の中で最初に名前が記されていることによって示されていると思われます。ところが、キュプロスのパフォマスで出会った魔術師エリマとの対決で勝利したのは「パウロとも呼ばれていたサウロ」でした(13:8-12)。使徒言行録の著者ルカは、その流れの中で、13節では「パウロとその一行は・・・」と三人の呼び方を変えているのです。そしてこれは、今やパウロがこの三人のリーダーというか、主導的な位置に着いたことを示していると思われます。

・「かつてはバルナバパウロエルサレム使徒団にとりなし、後にはタルソにいるパウロをアンティオキアに伴って、この教会に結びつけた恩人であったが、今やこのパウロが先頭に立ってくれることを、バルナバは喜び見守る人物として、背後に退いている様子を、ルカは暗示しているのであろう」(高橋三郎『使徒行伝講義』200頁)。

・さて一行はキプロス島の西端にある港パフォスから船出して、パンフィリア州のペルゲに行きましたが、この一行に従って来たヨハネヨハネ・マルコ)は、ここで「一行と別れてエルサレムに帰ってしまった」というのです。その理由を、ルカはここでは一切述べていません。

・15章36節以下を見ますと、その後、バルナバパウロは、第二回の伝道旅行に、ヨハネ(・マルコ)を一緒に連れて行くか行かないかで、別々に宣教をするようになったことが記されています。バルナバはまたヨハネを連れて行きたいと主張したのですが、パウロは自分たちから離れ、宣教に一緒に行かなかったような者は連れて行くべきではないと主張して、二人の間で意見が激しく衝突して、二人はついに別行動をとるようになったというのです。

・このパウロの第一回伝道旅行の途中で、ヨハネエルサレムに帰ってしまったということが、後に、15章36節以下では、バルナバパウロが別行動をとる原因になっているわけで。それが何かを、ルカは全く述べていませんが、パウロヨハネとの間に相当大きな亀裂が起こったことが考えられます。田川健三さんによれば、このヨハネ・マルコはマルコによる福音書の著者であり、「かつて生きていたイエスの思い出をあれだけ一生懸命伝えようとしたマルコと、(他方)かつて生きていたイエスのことなんぞどうでもよく、自分が勝手に見ていた幻影のキリスト理念だけに固執して、そこから新興宗教のドクマを形成し、宣伝しようとしていたパウロが、一緒に伝道旅行をやったとて、うまく協調できるわけがなかったのである」(『新約聖書、訳と註2下、使徒行伝』345頁)と言っています。

・つまり、パウロヨハネ・マルコは宣教の内容についてその考え方を異にしていたというのです。「イエスという男の思い出と、イエスとは無関係に宗教的な信仰の対象としてドグマ的に形成されたキリスト理念」という二つで、新約聖書の中には、時にはこの二つが同時にからまりあって出て来ますが、しかし決してこの二つは融合することはないというのです。そういうことからしますと、使徒言行録は、その著者ルカによって、マルコの系譜ではなくパウロの系譜にしたがって記されていると言えるでしょう。

・さて、パウロとその一行は、ペルゲから内陸を北に向かって進んでピシディア・アンティオキアにやってきました。新共同訳では、「ピシディア州のアンティオキア」となっていますが、ピシディアがローマの属州になったのは、4世紀はじめ以降と考えられますから、1世紀には、まだ「ピシディア州」というローマの属州は存在していません。ですから、この新共同訳は明らかに間違いです。このピシディア・アンティキアは、シリア王国セレウコス・ニカートルが紀元前300年頃建てた町で、国境の要塞都市として重要な位置を占めていました。ユダヤ古代史を書いたヨセフスによれば、国境の安全を期するために、多数のユダヤ人を入植させたと言われています。ですから、この町にはユダヤ人の会堂がありましたので、パウロバルナバ安息日にその礼拝に参加し、会堂司の求めるままに、パウロは立ちあがって、説教をしたというのです。その説教が、13章16節から47節までに記されています。今日のテキストはその最初の部分です。その聴衆は、ユダヤ人と、異邦人の中でユダヤ教に改宗してはいませんが、同じ神を礼拝するために来ている「神を畏れる人びと」でした。

使徒言行録には、すでにペテロ(3:12-26)とステファノの説教(7章)が記されています。ここでのパウロの説教は、ステファノの説教と同じように、イスラエルの歴史から説き起こしています。ただステファノの場合は、アブラハムから語られていますが、パウロは、出エジプトから語り始めています。そして40年の荒野の旅を経てカナンに入り、七つの民族を滅ぼして、その土地を領有したことが語られます。そして裁き人としての士師時代を経て、預言者サムエルのとき、民の求めに応じて神はサウルを40年間王として立てられたこと。しかしその後サウルを退けて、ダビデを王位につけたことに解き及んでいます。22節で、このダビデに神の期待がかかっていたことを、ルカは強調しています。「それからまた、サウルを退けダビデを王の位につけ、彼について次のように宣言なさいました。『わたしは、エッサイの子でわたしの心に適う者、ダビデを見いだした。彼はわたしの思うところをすべて行う』」と。その理由は、ダビデの子孫から救い主イエスが生まれるということが、はじめから神の計画の中にあったということを示すためであると思われます。

・このようにパウロの説教は、民族の歴史的出発点であった出エジプトから、ダビデを経て、まっすぐにイエスの出現に説き進んでいきます。そして、洗礼者ヨハネの出現に言及し、ヨハネをしてイエスの証言をさせています。「その方はわたしの後から来られるが、わたしはその足の履物をお脱がせする値打もない」(25節)と。

・このルカによるパウロの説教の始めの部分は、ルカによってまとめられたものだと思われますが、おそらく原始教会の伝承に基づいているものと思われます。そこにはイエスをメシア(キリスト)とする信仰、そしてイエスが現われるまでには、イスラエルの歴史を一貫して導いてこられた神の導きの歴史があるということが強調されているように思われます。23節に「神は約束に従って、このダビデの子孫からイスラエルに救い主を送ってくださったのです」とあり、これがこのパウロの説教の最初の部分の結論ではないかと思います。

・今日の歴史を生きている私たちは、この歴史に一貫して働く神の慈しみをどのように受け止めているでしょうか。この礼拝毎に祈られる祈りの中でも、混沌とした現代社会の様々な問題、困難、苦しみ、悲しみに触れられることが多いと思います。そういう現代という歴史の現実の中に働く神の一貫したみ業を、私たちはどのように信じているのでしょうか。イエスがメシア、救い主であるというときに、そのイエスに私たちはどのようなことを見ているのでしょうか。

イスラエルの歴史の中で、紀元前587年に起こったバビロニア捕囚という出来事を通して、ユダヤ人は自らの信仰を根本的に問われたに違いありません。先ほど使徒言行録のパウロの説教の出エジプト以来のイスラエルの歴史の記述には、ダビデからすぐイエスに直結していますので、バビロニア捕囚については触れていません。

・「神の民イスラエルの歴史を貫いていると信じてきた神の慈しみと真実が、実は単なる幻想にすぎなかったのではないか。もし神の慈しみと真実が、かつてイスラエルの民に注がれていたとしても、今やそれは取り去られ、永遠に失われてしまったのではないか。歴史を貫くものは何も存在せず、王国の滅亡も苦しみも、不確実で不安定なこの世に起こる、ばらばらな歴史の一コマにすぎないのではないか、というそのような疑いが生じた時代」(三好明)がバビロニア捕囚時代ではなかったかと思います。

・けれども、イザヤ書53章のような「苦難の僕」に示されているような、メシアを待ち望む信仰によって、捕囚の民はその厳しいバビロニアでの生活を耐え忍び、歴史に一貫する神の慈しみと真実への信頼を保って、生き延びたのではないでしょうか。そのメシアとしてイエスが現われたというのです。

・では、イエスをメシアとする信仰とは、どんな信仰なのでしょうか。先ほどの田川健三さんのように、パウロとマルコは根本的に違ったイエス観に基づいているのでしょうか。私には、そのようには思えません。マルコ福音書のイエスの物語は、イエスの十字架の出来事を経て復活物語の中の16章7節に、女性たちを通して弟子たちに伝えるようにと、「あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われていたとおり、そこでお目にかかる」という言葉があります。マルコ福音書はイエスの復活信仰をもって最初から読んでいくと、十字架へと極まるイエスの生前の物語は、「自分の十字架を負って私に従ってきなさい」というイエスの招きに応える信仰者の歩むべき道を示しています。私たちはイエスを十字架にかけて殺した存在です。その私たち負の存在を背負って十字架に死んで復活したイエスは、私たちに、負の存在から、神と隣人の前に和解と平和を生きる新しい存在として生きる道を備えてくださっているのではないでしょうか。たしかにパウロのキリスト信仰には、歴史を捨象する観念化、抽象化の危険性はありますが、パウロ自身は、回心後、この新しい存在を生きて行こうとしたのではないでしょうか。

・歴史的現実は、いつの時代もイエスの十字架に極まるものではないかと思います。その中でイエスの復活の希望に基づいて、この十字架に極まる歴史的現実の中を、神の助けを求めつつ、イエスに従って歩んでいくことができたら、それに優る幸いはありません。